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オリーブオイルも亜麻仁油も体に悪い?

2019-06-27 17:45:48 | エセー

 

 欧米人の全遺伝子が解読された。その後、十三年たって、2016年に、ようやく日本人の標準的な遺伝子配列が明らかになった。

 

 健康本やテレビの健康番組はアメリカの健康食を真似たことを言って宣伝する。しかし、遺伝子が欧米人と日本人では異なる。健康食も自ずから違うとわかってきた。

テレビを鵜呑みにすると、大変なことになるようだ。

 

 

 

 

奥田昌子著  『日本人の体質』

 

 

1 無酸素運動で、やせるのか?

 

 

 「無酸素運動は、ダンベル体操やスクワット、腕て伏せで、筋肉がつくと基礎代謝量が増える。

 基礎代謝とは、心も体も安定している時に消費する必要最小限のエネルギーのこと。

 

 無酸素運動をすると、その後、約48時間にわたって、基礎代謝が高い状態が続くので、筋力トレーイングはやせ体質になれる」と。

 

 

僕は、有酸素運動はやせると思うが、無酸素運動は太るようの思うが。

 

 

2 テレビではオリーブオイルの宣伝が激しいが?

 

「オリーブオイルも大量にとると、かえって心臓病になる。なぜか。油が脂肪そのものだから。

オリーブ油、アマニ油、ごま油は健康によい、と言われるが、油は大さじ一杯で約110kmlあります。

 日本人は欧米人に比べて、内臓脂肪がつきやすいので、脂肪を摂取すれば、すぐに体につき、血糖値が上がり、血圧も上がり、動脈硬化が進む。心臓病も増える。

 

 動脈硬化を防ぎたいなら、善玉であろうと、油そのものを控えるべき」と。

 

 

欧米人はこれらのオイルをとっても余り問題ないが、日本人は欧米人の物真似をしても、体質に合わないようだ。

 

 

3 大豆は積極的に?

 

「日本人のカルシウム摂取量は米国人の約半分。骨粗鬆の発症率は米国白人の方が2倍高い。

これを、カルシウム・パラドックス、という。

 

 

 なぜか。日本人は、大豆や海藻、小魚、緑黄色野菜などからカルシウムを取ってきました。

 

 大豆製品にはイソフラボンがあり、骨からのカルシウム流出を防ぐから」と。

 

 

4 乳製品の脅威?

 

 

「日本人は乳製品はあっていない。

 乳製品の摂取量が増えるにつれて、男性では前立腺がん、女性では乳がんの率が高くなる」と。

 

「日本人は年齢を問わず、肥満になると、乳ガンの発症率が上がる。

 

 

 身長も乳ガンの発生に関係あり。閉経前、閉経後、いずれにおいても、背の高い女性は乳がんになりやすいことが明らかに。 

 

 

  日本人では運動による予防効果が明らかなガンは、大腸ガンと乳ガンのみ。

 

 

 夜間勤務の女性は乳ガンに1・4倍なりやすい。旅客機の女性客室乗務員は退職後、乳ガンになる確率が、そうでない女性に比べて5倍という報告がある」と。

 

 

僕は、乳製品が好きなので、ショックだが、ほどほどはいいと、勝手に思うことにしている。

小さい頃、牛乳を飲めば、背が高くなると言われ信用していたが。確かに、女性も身長は高くなるようだが、乳ガンの率が高まるとは。

 

 

5 心臓病に赤ワインはいいというが、ガンになる危険も?

 

 

「日本は心臓病の発症率は世界で最も低い国。

 

 死亡率もフランスより低い。しかし、予防として、赤ワインを飲め、という。これは、隣の芝生は青い、そのもの。

 

 ポリフェノールは赤ワインだけではなく、果物ならブドウよりブルーベリー、スモモ、イチゴに多い。コーヒーにも赤ワインなみに含まれている。ニンジン、ホウレンソウ、大豆、ゴマ、ニンニク、ナッツ類、海藻、緑茶にも含まれている。

 

 だから、赤ワインを飲む必要はない。

 

  問題はアルコール。

 

 アルコール消費量は、フランスを1とするつ、日本は0・66。

 アルコールそのものに発ガン性があるので、フランスは肝臓がん死亡率が欧米諸国の2倍から3倍高い。

 

 しかし、アルコールの発ガン問題は、欧米人より日本人の方が深刻。

 日本人の半分はアルコールを肝臓で分解する酵素が弱いので、食道ガン、肝臓ガン、大腸ガンになりやすい。

 日本人はビール中ビン1本以上飲むと、飲まない人に比べて、ガンの発症率が8倍になる」と。

 

 僕は、これらのデータを、飲みすぎの時、自戒して思い出したい。

 

 

6 お茶、コーヒーで不安定な気分に?

 

 

「カフェインは日本人には相性が悪い。

 

 摂取しすぎると、頭痛、不安、抑うつ、不眠、下痢となる。

カフェインは体に与える影響は個人差が大きい。

 日本人を含むアジア人は、カフェインで不快な症状が起きやすいタイプの遺伝子を持つ人が半数。

特に、カフェインを150ml摂取すると、不安定な気持ちになる。

 

 カフェイン150mlは玉露一杯、コーヒー一杯に同量が含まれている。

 

 一方、欧米人やアフリカ系の人、中国人は、カフェインが合わない人は少数。

 彼らと日本人は体質が違うのです」と。

 

先日も、テレビでコーヒーを飲むと、肝臓ガンを防ぐ、緑茶は熱中症に効く、と言っていたが、矛盾することが多すぎる。どちらをとるべきか。

 

 

7 日本人は少し太るだけで、糖尿病に?

 

「糖尿病は肥満しているとなると思っている人が多い。

 

 欧米人やアフリカ系ではあてはまる。米国白人糖尿病患者はBMIが30以上。

 対して、日本人患者のBMIは、糖尿病でない人よりわずかに高いが、普通体重に治まっている人が大部分。

 

 日本人は少しおなかが出る程度で危険信号となる。

 

 内臓脂肪は悪玉物質を多く分泌する。インスリンの効き目が落ちる。そして、糖尿病になる。悪玉物質は血糖値を上げる以外に、動脈硬化を促す。血の固まりを作って、脳の血管を詰まらせ脳梗塞にもなる。

 

 ところが、驚くことに、欧米白人はどんなに肥満しても内臓脂肪がつきにくい。大部分が皮下脂肪になる。

 

 伝統的に脂肪を大量に摂取してきた欧米人と異なり、アジア人は脂肪の少ない食生活を送って来たので、皮下脂肪をためる能力に欠ける。代わって、内臓脂肪に蓄積される。

 長年の食生活に合わせて遺伝的素因が変化したのです。

 

 

 内臓脂肪は、おなかのまわり、腹囲で、わかりやすい。

男性の腹囲の基準値は日本とアメリカではかなり違う。日本は85㎝、アメリカは102㎝。この基準値の意味は、腹囲102㎝のアメリカ人についている内臓脂肪量と、腹囲85㎝の日本人についている内臓脂肪量が同じということ」。

 

 

8 糖尿病の原因は脂肪の取りすぎ?

 

「終戦直後、ひどい食糧難だったが、カロリー摂取量で見ると、誤解する。

 

 現代人の方が食べていないのに、糖尿病になる人がはるかに多い。

 

 砂糖の摂取量も増えていない。砂糖の摂取量は1970年代以降、減り続けている。

 では、日本人に糖尿病が増えた原因は何か。

 

 答えは、カロリーの総摂取量に占める脂肪の割合が上がり、炭水化物の割合が下がったのです。

 

 

  かつて、沖縄の人たちは簡素な食事をし、糖尿病発症率が全国で最低だった。しかし、戦後、米国の統治で、一気に食の欧米化が進み、脂肪の割合が全国平均を上回っている。メタボの割合も全国でトップクラスになった」と。

 

 

9 日本人が体重を減らすなら、糖質制限はいいが、糖尿病防止には低脂肪で?

 

 

「糖尿病と言っても、日本人と欧米人では発症の仕組みが違う。日本人が糖尿病を予防し、進行を抑えるには、内臓脂肪を減らすことと、炭水化物を十分摂取することです。

 

 

 低脂肪食は、低炭水化物質と比べて、体内の脂肪が1・7倍多く落ちた。しかし、体重は低炭水化物食の方が減ったのです。

 

 

 炭水化物を少ししか食べないグループは、十分に食べているグループに比べて死亡率が1・3倍高いというデータがある」と。

 

 

10 日本人が糖尿病を防ぐには?

 

 

 「魚の摂取量が増えるほど男性の糖尿病の発症率が下がる。効果が高い魚は、アジ、イワシ、秋刀魚、サバなどの背中の青い魚とウナギ。

いずれも脂が多い魚。魚の脂に、EPADHAが豊富。日本人を含むアジア人にはあてはまる。

 

しかし、欧米人には研究では、同じ結果が出ない。

 魚を食べると、反対に糖尿病の発症率が上がるデータがある」と。

 

 

 

11 減塩よりも、アルコールと肥満で高血圧になる?

 

 

「減塩しても必ずしも血圧が下がるとは限らない。高血圧は、むしろアルコールや肥満など、塩分摂取以外の影響を強く受けている。

 

 これは、日本の秋田県は脳出血による死亡率が高い。

 1950年代、高血圧の患者の割合が秋田の農村は60パーセント。対照的に、同じ東北の岩手の漁村で20パーセント。その差、何と3倍。

 

 なぜか。

 秋田の農村は冬は雪に閉ざされ、新鮮な野菜や魚が手に入らないので、塩味の強い漬物や干し魚が多い。米どころなので、どぶろくを作り、屋内で酒を飲む。

 

 一方、岩手の漁村は、海藻や野菜、新鮮な魚を多く食べ、米が不足しているので、あまり飲酒をせず、冬にも涼に出て、体を動かしたから、脳出血が少なかった」と。

 

 

12 脳出血を防ぐには肉を食べて、酒は飲まない?

 

 

「脂肪には飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸がある。肉の脂肪は飽和脂肪酸。魚の脂肪は不飽和脂肪酸。日本人を対象とするコホート研究所の調査では、飽和脂肪酸を多く摂取する人ほど、日本人に多い脳出血の発症率が下がるとわかった。飽和脂肪酸には血管を丈夫にするのではないか」と。

 

「飲酒は脳出血の原因になる。アルコールは脳梗塞の発症率とほとんど関係なし。

 

 一日平均3合飲む人は、ときどき飲む人に比べて、2・5倍、脳出血になっている」と。

 

 

13 しかし、肉食は動脈硬化を引き起こす?

 

 

 「現在、日本では脳出血の割合が減り、代わって、脳梗塞が増えている。

 

 日本人の死因の四割が脳血管障害で、脳出血は脳の血管が破れて出血する。原因は高血圧。

 

 対して、脳梗塞は、脳の血管が詰まる。脳に血液が流れない。背景に動脈硬化がある」と。

肉食で脳梗塞に。

 

 

 

 

 

14 塩分を少々とっても、野菜でカリウムを補えばよい?

 

 

 「塩分の摂取量が多すぎても少なすぎても、死亡率や心臓病の発症率が上がる。

 専門家は、一日7・6gから15・2gの範囲という。

ただし、条件がついており、カリウムを十分摂取することと。

 和食の欠点で、塩分が多い割に、カリウムが少ない。高血圧や脳出血予防するには、併せて、一日、3・9グラムが必要。

 カリウムは野菜に多いが、ゆでると四分の一になる。生の方が多い」と。

 

 

 

15 現在、五十歳以上の人は、飲んだ井戸水で将来、胃ガンに?

 

 

「日本は、肝炎ウイルスとヘリコバクター・ピロリ菌の感染率が世界でも高いので、感染を原因とするガンの発症率が先進国の平均2倍高い。

 

 

 日本でピロリ菌感染者が多いのは、50歳以上の人。水道の整備されなかった時代に井戸水を飲んだことが原因。

 日本の上水道が90パーセント以上、普及したのは、1980年前後ゆえに」と。

 

 

 塩分を多く含む、イクラ、塩辛、練りウニなどを多く摂る人は男女ともに胃ガンになりやすい。

 

16 タバコを止めて、20年たたないと肺ガンの死亡率は減らない?

 

 

「日本は先進国の中で男性の喫煙率が高い。最近は少しずつ、減る傾向。 タバコを喫う人が減っても、ガンの発症率は目に見えて下がるには20年かかる。これを「タバコ病の流行モデル」という。

だから、タバコで肺ガンになる人はまだ、多い」と。

 

 

17 大腸ガンを防ぐには?

 

 

「日本人は赤肉の摂取量とともに大腸ガンの発症率が上がる。

 

 ここでいう、赤肉とは、牛、豚、羊、馬などの獣肉のこと。

脂ののったサーロインステーキは赤肉です。赤肉が発ガンと関係するのは、肉に含まれるタンパク質と、他の食品に入っている硝酸塩という物質が化学反応を起こして発ガン物質ができるという。

 

 白人は牛肉をしっかり食べても、ガンの発想率は大きく上がらない。日本人との人種差あり」と。

 

 

「肉の脂やラード、乳製品に含まれる動物性脂肪は体に悪いが、オリーブ油、ごま油、荏胡麻油は心配ないと言う人がいるが、間違い。

 どんな脂肪も体内で分解される経路は同じなので、胆汁の増加による発ガンには動物性脂肪も植物性脂肪もありません。採り過ぎれば同じく大腸ガンの発症率が上がる。

 

 

しかし、魚に含まれるEPADHAが大腸ガンを予防する。

 デスクワーク中心で体を動かさない人は、大腸ガンにかかりやすい」と。

 

運動が大腸ガン防止に効き目あることが明らかになったようだ。肉をとれば、ジョギングして防止を。


歌謡曲を歌って、情緒力をつけよう

2019-06-21 14:46:56 | エセー

 著者は、餃子と豆大福が大好物で、これらを食べなくても、幸せな人生を全うできますが、口にせずに死んで行くの人を気の毒と思います。

 また、ショパンを聴いたり、童謡や歌謡曲を歌うのが大好きで、これらを聴かず、歌わなくても、幸せな人生を全うできます。でもそういう人々を気の毒に思いますという。

 

豆大福や歌謡曲が好きのようで、庶民的な知識人だ。

 

 

 ここ二十年間で本屋が半減した。かつては駅前に本屋があって、黒山の人だかりだった。

今や、近くに本屋はないので、電車に乗らないと行けない、不便な世になった。

アマゾンでは、手に取れないので、感触がつかめない。

 

しかし、1975年、著者がアメリカから帰国して、来日した友人は本屋の多さと立ち読み姿を見てエキサイティングな光景だと語ったという。

 

 江戸末期、江戸末期に来たイギリス人は、普通の庶民が本を読んでいるのを見て、この国は植民地にできない、と諦めた。

 

白人によれば、自国を統治できない無能な民のために白人が代わって統治してあげる、と言う。

読書は国防に関わる。書店数の激減は国の将来に暗雲が立ち込めている。

 

 本を読んで金儲けできるわけではない、幸福になれるとは限らない。しかし、チェーホフは、こう言う。

 本の新しいページを一ページ読むごとに、私はより豊かに、より強く、より高くなると。

 

 

僕も、デジカメが出来てから、写真を見直すことが少ない。電子ブックが出てから、もう一度、読もうとは思わない。本は手許に置いて、線を引きたい。

 

便利な世界になると、あれもできる、これもできると勘違いする。実際は、機械に時間を横取りされて一日が終わる。

 

 

 藤原正彦著 『国家と教養』

 

 

1 日本人も物事をすべて金で換算する?

 

「世界でも最も金銭崇拝から遠い国だった我が国が、あっという間に、物事を金銭で評価する国になった。

 弱肉強食で人心はすすみ、法律に触れない事はなんでもやる、ということになった。

 江戸時代までの日本では、町奉行のような裁判に携わる人以外、誰も法律を知らなかった。

 「お天道様が見ている」や「キタナイことはスルナ」で秩序が保たれた」と。

 

自分中心に世界が回っており、他人はどうでもよい、というのが現実です。

最近、警察官を刺したり、川崎で児童を殺したりと、いいニュースがありません。誰か偉い人が見ている、という感覚が薄れたからだろうか。

 

 

2 教養のない人がトップにたつと?

 

 

「20世紀初め、マックス・ウエーバーは、資本主義発展の最終段階では、精神のない専門人、心情のない享楽人が、自分達は、人間性のかつて達したことのない高みに登りつめた、と自惚れるだろう」と。

 その通りになりました。現代人は、科学技術や生産手段の進歩を人間性の進歩と勘違いしたまま、自惚れと傲慢に身を置いたようです。

 今やAIの時代で、下手をすると、コンピューターの言いなりに人間は動く時代が間近に迫っているのではないか。

コンピューターは死なないから、情緒がわからないのに。

 

 

 3 アメリカのやり方は卑怯?

 

 

「日本のバブル崩壊という災難につけこんだ新自由主義の強要は、ショックドクトリン(参事便乗型資本主義)と呼ばれ、新自由主義拡大のための典型的なテクニックだった。人々が茫然自失から正気を取り戻す前に、一気に体制を変えてしまうということです。ショックにつけこんだ卑怯な方法です。火事場泥棒です。

 

 

 小さな政府、規制緩和、民営化などを徹底してから、それらを米金融資本が買収して、その国を経済的植民地にしてしまう恐ろしい目論見です」と。

 

 かつての駅前商店街は店を閉じ、年間、かなりの自殺者に達している。これはアメリカのショックドクトリンが原因かもしれない。

 

 

4 世界中、教養がないから、中国の虐殺や侵攻を止められない?

 

「自由や人権のチャンピオンであるはずのヨーロッパは、中国との経済関係を考え、中国のウイグルやチベットへの人権蹂躙に口を閉ざしている。

 中国の南シナ海の軍事拠点化も同様。弱者や敗者への惻隠などはどうでもよいのです。世界中の99パーセントは利害得失で行動している」と。

 

 だから、教養がないから本能を制御することができないのでしょうか。

 

 

5 ユーモアがあれば、広い立場に立って考えられる?

 

 

「イギリスの貴族はバランス感覚とユーモアがあった。

 

 ユーモアを生むには、いったん自らを今ある状況から一歩だけ退き、永遠の光の中で俯瞰することが必要。

 イギリスはドイツのように行け行けどんどんではない。

イギリスには他人と違うことは恰好いい、という文化がある。

 

 イギリス人は、今も論理や理屈を余り信用していない。特定の教義に従うことがほとんどない。原理・原則より現実をみる。

 

 ジェントルマンかどうかは、昔も今もユーモアがあるかどうかです。

イギリスの本屋にはユーモアというセクションがあり、ドイツにはない」と。

 

困った時、すぐに出る名言があれば、ユーモアになるように思う。

西洋ではギリシャの古典が重んじられるが、日本では平家物語や、徒然草等の名文句を一文暗記して、当意即妙に出てくれば、やったー、と思うのではないか。

 

 

6 本当の教養人は国に一パーセントしかいない?

 

 

「19世紀初めに、ドイツで教養市民層ができる。裁判官、ギムナジウムの教師、大学の教師、など。金銭・功利を下に見る。アメリカと正反対。

また、彼らは、プロテスタントで、工科大学はパンのための学問だと軽蔑した。

 全体の一パーセントが教養市民層だと言われる。国をリードして、誰もそれを心配せずに」と。

 

日本もかつては、旧制高校があった。周りがみんな、岩波文庫を読む。だから、読まないと除け者にされる。

 友達とは、人生について、死について等を議論する。

 

しかし、今やそんな世界は消えてしまった。

マルバツ式の優等生に任せていいのか。

 

 

 

7 この先、科学技術の進歩でますます教養がなくなる?

 

 「19世紀後半に、ドイツは工業化しだして、大衆市民社会となった。ドイツ産業革命である。資本家と労働者が分離した。

 

 

科学技術の発達とともに、実学の地位が向上して、教養市民層が減って行く。

 そして、学問の専門化が起こり、バランスある教養を身につけるのが難しくなった。

 

文化とは、文学などの芸術を意味し、文明とは政治、経済、産業革命の結果生まれたインフララなどを意味します。文化が文明に優越する、というのが、当時の欧州インテリ間の共通認識だったが」と。

 

 

専門化は素人にわかる文章を書きたくないようだ。自分達のたこつぼ仲間の専門用語を見せびらかして、どうだ偉いだろう、と言いたいようだ。

 

これが一つなら何とかなるが、経済、法律、工学、農学等幾つも幾つも出てくると、問題だ。知識欲が薄れてしまう。

 

しかし、150年ほど前は、文化を重んじ、文明を軽視した。

だから、真の教養人が続出したのではないか。

やはり、文化・芸術をべースに好奇心を沸かせるのが筋だと思う。

 

 

8 乃木将軍の自決をどう思いますか?

 

 

「明治中期以降に生まれた教養層と、それ以前に生まれた教養層との間には、ちょっとした隔絶がある。

明治天皇崩御の大喪の礼の日(大正元年9月13日)に、乃木希典は自決した。それに対する評価です。

 

  明治中期に生まれた多くのの文人が「前近代的」「時代錯誤」と批判した。芥川龍之介は、『将軍』の中で、皮肉で嘲笑した。志賀直哉は殉死の翌日の日記に、馬鹿な奴だ、と。荒畑寒村は、精神病患者のたわごとのようなもの、と。

 

 

 対して、明治初期生まれの新渡戸稲造は、日本道徳の積極的表現、三宅雪嶺は権威ある死、西田幾多郎、徳富蘆花は、感動を覚えた、と。

森鴎外は、日本精神の原型である、と。

 漱石は『こころ』で、自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだ」と。

 

おそらく、明治初期生まれの人は漢文に親しんで、人格を作っていたが、明治中期になると、漢文の教養はなく、西洋一辺倒にったからではないか。日本や中国の古典より西洋の古典だと。

 

よく考えると、今でも、その傾向がある。学校で漢文などは軽視されている。それよりも、小学校から英語を勉強しろと。

 

 

9 教養とはどれだけ感動するか?

 

 

「これからの教養とは、現実対応型の知識です。生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体となった知識です。

 

 情緒とは、先天的に備わった喜怒哀楽ではない。それらは獣にもある。

 後天的なもので、その人が生まれてからこれまでどんな経験をしたかによって培われる。

 どんな親に育てられたか、どんな友達や先生と出会ったか、どんな美しいものを見たり読んだりして感動したか、どんな恋や失恋をしたか、等により形成される。

 

 形とは、日本人としての形、すなわち、弱者に対する涙、卑怯を憎む心、正義感、勇気、忍耐、誠実などです。論理的でないもので価値基準となるもので、獣ではない人間のあり方です。

 

 要するに、教養とは真善美に似ている。知が知識、情が情緒、意が意志や道徳です。情緒や形と一体となった知識がそれらに近い」と。

 

 僕は、情緒に欠けるが、これを読むと、情緒力をつけるには、歌謡曲を暗記したり、日々、美しいものを見て、どれだけ感動するかだ、と思い知らされた。

 

 

10 人生で大切な事は何だろうか?

 

 

「東京女学館女子中高の校長は、生徒に伝えたいのは三つの事で、読書と登山と古典音楽の愉しさだ。と言う。

 ある会社の社長は最も大切なのは、人と付き合い、本を読み、旅をすることだと。

 

 手塚治虫は、君たち、漫画から漫画の勉強をするのをやめなさい。一流の映画を見なさい、一流の音楽を聴きなさい、一流の芝居を見なさい、一流の本を読みなさい。そして、それから自分の世界を作れ」と。

 

僕は、一流のものを見るとなると、どうしても古典だと思う。

 しかし、根性が座らないと、集中して読めない。

 ついに、現実の刺激を求め、現代の軽い本や面白おかしいニュースに時間を取られる。

一年振りかえると、何をしていたんだ、と情けなくなる。年ごとに時間が早く過ぎ去り、あっという間に、死が迫ってくる。人生80歳、90歳といっても、あっという間だ。

どうしたらいいのか。自分で計画して、自分との勝負をするしかない。

一時間ごとに何をするか、前日に予定をたて、どれくら守れたか、翌日、かなり合っていたら、脳のドーパミンが出るらしい。それに賭けるしかない。

 

 

11 つらい経験は人格をつくる?

 

 

「ビートルズやモーツァルトの音楽がどんなものかは、聴く以外ない。

 ぶたれた時の痛さも、貧しくて充分に食べられない悲しさや苦しさも、仲間外れになる辛さも、欺かれたり、裏切られた時の悔しさも、そんな目にあって初めて分かる。自分に体験があれば、そういう目にあった人に同情出来る。

 

 しかし、ここで大問題は充分な知識や情緒や形を得るには、実体験だけでは足りないということです。

一生の実体験は限られている。出会った人の数も限られる。言葉を交わした人はさらに少ない。深い意志の疎通を交わした人は家族を除くと、多くても両手の指で足りる。

 

 しかし、私たちは、人間とはこういう状況でこういう行動をするとかの正しいイメージを持っている。持たないと、社会生活を送れない。知っている人は数名なのに、そんなイメージを持てるのは、映画やドラマ、読書などで、実体験を補強しているからです」と。

 

 僕は、ぶたれたくない、悲しいのは嫌だ、貧しくなりたくない、といつも思う。騙されると、仕返しをしたくなる。

 

 しかし、小説を読むと、登場人物になったつもりで読む事はできる。

 

本を多読するにつれて、この本では、こうひどい目にあっているが、あの本では、もっとひどい経験をしている。

不幸ナンバーワンからスリーぐらいまでイメージできれば、面白い読書になると思う。

 

 

12 見て見ぬふりをしていることが何と多いことか。

 

 

「藤原家の家訓があり、弱い者いじめは卑怯中の卑怯だ。弱い者がいじめられているのを見たらどんなことをしても弱い者を助けろ。必要なら力を用いても良い。見て見ぬふりをして通りすぎれば、お前は卑怯者だぞ」と。

 

 たまに、車内で、眼の座った人を見る事がある。この人は正義の味方かもと思う時がある。

ぼくは、まだまだ、この域には達しないが。

 

 

また、

 

 著者の祖父は、「一日に一頁も本を読まない人間はケダモノお同じだ」と、言う。

 

僕は、これだけは、何とか死守したい。たとえ忙しくても、一日一頁は読むと

 

 

13 人間には死があるから、AIに情緒では負けない?

 

 

 「AIに知を組み込むことは可能ですが、情緒のすべてを組み込むことは不可能です。人間の深い情緒のほとんどは、人間が一定時間のうちに必ず朽ち果てる、死という悲しみに裏打ちされているからです。機械のコンピューターに死はないので、情緒を身につけることはできない。

 

 AIは、人間の知識は量れても情緒を計測することはできないと思われます」と。

 

 

 しかし、死なないAIに人間が左右されるなら、AIは神と同じではないのか。

 

 

14 教養に情緒が必要?

 

「これからの教養には四本柱がいる。

第一は、長い歴史を持つ文学や哲学などの人文教養、

第二に、政治・経済・歴史・地政学などの社会教養

 

第三に、自然科学、統計を含めた科学教養です。

 

さらに、これに加えて、情緒の修得が不可欠です。これが四つ目の柱です。

 

 これらの四本柱に触れ、自らの血肉にするためには、どうしても読書が主役となります」と。

 

 

生きられる時間との勝負を考えると、素人が専門書を読む必要はない、と思う。

それより、古典や教養書や一般書をどんどん読んだ方が充実しているのではないか。

 


読書で言葉をストックして、自分流に変えてみれば

2019-06-10 14:42:14 | エセー

井上ひさしの『吉里吉里人』には、「チューイングガムのような男」という例が出る。するめなら噛めば噛むほど味が出るはずだが、これはその逆で、「つきあえばつきあうほど味がなくなる」という意味のようだ。

するめになった本は今までどれだけあっただろうか。

自分がいいなあ、と思う表現を見つけた時、パソコンにストックして、いつか、使うように心がけている。

 

 

 中村明著 『日本語の作法』

 

 

1 「大丈夫」と聞かれると、あなたはどう思いますか?

 

 

 「大丈夫の意味は拡散し、世代間で話が通じにくい。

 ある国語学者が髪を洗ってもらっている途中、美容師に「大丈夫ですか」と聞かれ、あわてて「大丈夫です」と叫んで立ち上がった。 

 店の側では、どこか痒い箇所か洗い足りないところがないかと確認するのが決まり文句だった。

客は自分の様子おかしいので脳か心筋梗塞で心配して声を掛けたのかと思ったようだ」と。

 

僕も、昔は散髪屋でよくそう聞かれた。しかし、最近は、「かゆい、ところはないですか」が多い。

散髪屋も誤解されると分かったのかも。

 

 

2 生きざまに違和感あり?

 

 

 「大岡信が嫌いな言葉として、生きざま、をあげ、谷川俊太郎も即座に同感する。近年、壮絶な、みごとな、立派な、という称賛の気持ちをこめた形容をともなってやたらに使われている」と。

しかし、これまでは、「何というざまだ」「ざまを見ろ」と、ずっと軽蔑の気持ちをこめて使ってきた「ざま」という意である。

 

やはり使いたくない言葉だと思う。

 

 

3 歴史ある言葉はやはり品格が?

 

 

「小津安二郎の映画『宗方姉妹』の中で、古くならないものこそ新しいと主張した。

 言葉についても同じだろう。読んでいる中に、一時期はやった新語・流行語が出てくると、その文章自体が、古風というより、いかにも流行遅れという古臭い感じに受け取られる。

もっとずっと古くから長い間使われて来たことばには感じられない黴臭いにおいである。その意味で、斬新なことばほど早く古びる」と。

 

現代、やたらと省略する言葉が多すぎる。ハイテクとかパソコンとか片仮名用語が目立つ。

しかし、百年たって、それの言葉は使われているだろうか。

 物だけでなく、言葉までも使い捨ての時代になったと思う。

歴史ある言葉をどれだけ使っているかで、本を買うかどうか決めるのも面白い。

 

 

4 あなたならどうする、自分宛てに往復はがきを出すと?

 

「往復はがきの返信用に、宛名が印刷されており、「行」とあるのを、返信する側が「様」「殿」などと書き換える慣用があった。

 近年、当人が自分の名にあらかじめ「様」をつけておく例も目立つ。相手が描き直す手間を省くが、非常識に見える」と。

 「行」のまま敬称なしに投函する相手が増えたのだろう。

「行」のままでいいのではないか。どうしても、自分に「様」はおかしい、と思うが。

 

 

5 一つの言葉の選択で感じがまるで違う?

 

 「しみじみとした「秋の夕暮れ」が、「秋の夕方」となると、物思う気分が薄れる。まして、「秋の夕刻」となると、忙しい感じで、忘れていた用事を思い出すかもしれない」と。

 

修飾語なければ、イメージにさほど変わらないが、秋の、つけるだけで、言葉がカメレオンにみたいに変身する。

 

そのために、何となく思いついた一語でまかなうよりも、時には辞書を引いて、関連語意の中からこれぞと思う一語を選び出して据える練習をしてはいかがだろうか。何度も引くうちに、自分の意図にぴたりと合致する言葉に近づく。

これが、うまい文章を書くこつだと思うが。

 

 

6 出来るだけ同じ言葉は使わないのが上品?

 

 

 同じことばを何度も使うと、いかにも語彙が貧弱に見える。

 井上ひさしは、『自家製文章読本』で、「上品なスペイン語の文章では一頁のなかに同じ単語が二度あらわれてはならない」とされている。「谷崎は文章について語っているつもりで、実は形式について」と書いた後、「語っている」という表現をやめて「云々していた」よ結ぶ」と。

 

これは、普段の読書力で語彙力を養うしかないようだ。

 

 

7 敬称をつけるかどうか問題だ?

 

 

 「プラトン、ナポレオンのような歴史上の人物に敬称をつけない。藤原道長、徳川家康など。近代以降では「吉田茂」「太宰治」のような著名人は一般に呼び捨て。日ごろ、自分には縁遠いからだろう」と。

 

しかし、今、生きている人には、敬称をつける。本人が読んだら、失礼だと思うからだろうか。

しかし、余りにも身近な友達は敬称はいらないが。どこで線引きするか難しい。

 

 

8 外国語を読む時は速読の方がよく理解できる?

 

 

 「辞書と首っ引きで長時間読んでいる時はよく理解できない文章が、さっと通読すると案外すっとわかる。

 こういう論理的には不可思議な経験を、外山滋比古は残像という映画になぞらえて説明。

 一つ一つのことばが静止している間に表現的空白がある状態は、映画のフィルムに似ている。

それを一定の速度で映写すると、残像の働きで画面が動いているように錯覚する。

 本を読む場合もある程度のスピードがないと、この残像が働かない。いちいち辞書を引きながら読むようでは、イメージが繋がらない。場面として浮かばないから全体の意味が理解できないのではないか」と。

 

 

外国語を読む場合、どうしても、辞書を引いてしまう。そして、さっき何が書いてあったかを忘れてしまう。

 

しかし、引きたいのを我慢して、推理しながら読むのは脳活性化にとてもいいと思うが。

 

一つの文章の長さによって、速読できるかどうか判断してはどうだろう。

ちなみに、中村氏によると、一文の長さは

「文芸雑誌は四十字台、硬い総合雑誌は六十字ほど、専門的な学術雑誌は平均七十字を超える結果になる」と。

 

だから、小説やビジネス本などは、字数がこれよりもっと短い。速読に適しているようだ。

 

 

 

9 自分の鼾が聞こえるようになると、やはり、老人になったということか?

 

 

内田百閒の『山高帽子』に自分の鼾を聞く愉快な話がある。音が年々大きくなって、この頃では「毎夜自分の鼾を聞いて眠っている」「咽喉にひっかかるかすかな節も、にぶい調子の高低も、おぼろげながら耳の中に記憶がある」し、起きていてもその節と調子を真似ることができるという。

 

 

10 あなたは、どんな時に季節が変わったなと感じますか

 

 

詩人の長田弘は「季節は街に、和菓子屋の店先から来る」と。

 店の硝子戸に新しい菓子の名を筆で書いて貼ってあるあるのを見ると、「ああ、季節が変わった」と思うというのだ。「うぐいす餅」「若鮎」「水ようかん」「お萩」「切山椒」などと書いた貼り紙に、季節を感じたようだと。

 

僕は、風の匂い、音に感じますが。

11 禁止の貼り紙などはしない方がいい?

 

 地主が「自動車捨て場」と表示したら効果覿面、一発で問題が解決したという。駐車されればその車の所有権を放棄したことになるから、乗ろうとして車の姿が見えなくなっていても文句の言いようがない。凡人が車を置かせまいとして知恵を絞るのと反対に、むしろ車を置くように誘う、この逆転の発想はすごい。

 

 

僕も、普段、街を歩くと、神社マークを柱に貼って、小便禁止とか、よく見かけるが、反対に余計にされてしまうのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


平成とは?

2019-06-07 14:56:38 | 歴史

年間、かなりの人が自殺する。外務省も例外でないようだ。

 

 佐藤氏は、周囲に五人の自殺者を知っているという。

 

昔、竹村健一という評論家がいた。彼はマスコミにも出ず、本も見かけない。その竹村健一が、佐藤氏に身の引き方を伝授したという。

その結果、佐藤氏はテレビには出ないのをモットーにしているようだ。

 

 佐藤優  片山杜秀著  『平成史』

 

 

 1 外務省の役人も普通以下の人間がいる?

 

 外務省に入ってから隣の課の人が首をつった。その一年上の人間も飛び降り自殺した。練炭自殺した人間もいる。

 外務省には、陰険な官僚が多い。パワハラ上司の集まり。「君はどうして仕事ができないの?能力ができないからできないの? やる気がないからできないの? その両方なの?」とひたすら問い詰める局長がいるという。その部下が東大出の官僚だが、精神を病んで、地下のボイラー室で首をつった。

 

 

 昔は自殺の大蔵、汚職の通産、不倫の外務と言われたが、ある時期から外務省が三冠王になった。

 佐藤氏が勤務していた国際情報局と同じ五階に待命中の大使の部屋があった。五階トイレにあった手拭き用たタオルに、自分のウンコをなすりつける大使がいた。この大使は自分の人事に不満があったという。この現象は平成になってから出てきたようだ。

 

 

2 有名人のうまい身の引き方とは?

 

 

 

  竹村健一は3つ教えてくれたという。

  「一つは、テレビとの付き合い方。

 評論家マクルーハンは、97パーセントの情報はテレビで伝達され(今はインターネットか)、残りの3パーセントは活字で伝わると指摘。

 消費されるだけだから、テレビには気をつけろと。活字の世界で長生きしてメディアで影響力を持ちたいなら、テレビとの距離感が大事だ」と。

 

  2つ目はコマーシャルに出帝はいけないと。

 「もし、その商品に欠点が見つかったり、会社が問題を起こすと責任をとらされる」と。

 

 

 3つ目は、人と会う場所。

 

「政治家や出版社の幹部に呼び出されてもこちらから出向くなと。

 向こうからのオファーならこちらに来てもらえ。あるいは中立的な場所を指定せよ。こちらに用がある場合は、自ら相手の指定する場所へ行く。

 

 何より教えられたのは身の引き方。

彼は、最初、テレビから消えた。次に、ラジオを辞めた。最後に活字の世界から引退した。その過程で、自身が持っていた数十の会社を畳んだ。

 消え方は恰好よかった」と。

 

よく考えると、20年前、よく本を書いていた人が突如、見かけなくなる人が他にもいる。外交評論家の落合も最近あまり本を見ないが。どうしているんだろう。

 

 

3 優先順位の必要性?

 

 

  井上ひさしによると、「作家になったら、常にやりたいリストを100個作っておくことと。そして半年おきにハイクオリテイの順に並べ替えよ。そのうち1割が2割しか実現しないが」と。

 

これは、僕の日常生活でも応用できると思う。

目標はあくまで高くして、今の自分が本当にしたいことをリストにする。100は多いかもしれないが、それに近づけることはできる。

 

 

4 最近は右翼の特定の人へのテロがない代わりに、楽しく見える人を標的に?

 

 

 「戦前なら社会に対する不満があれば、権力を持つ特定の誰かを狙った。原敬や浜口雄幸、犬養毅らがそうだった。

 

 しかし、現在は、特定の個人に集中しない。権力のシンボルが存在しない。だから、豊かに暮らしていそうな人、楽しく生きていそうな人に憎しみが向かった。その象徴が秋葉原にトラックで突っ込んだ秋葉原無差別殺傷事件だった。

 

 秋葉原はパリのシャンゼリゼ通りやマンチェスターのコンサート会場が狙われたテロと共通している」と。

 

最近も、川崎の事件が起こったが、いつ、我々も標的にされるかわからない。

 

また、車をぶつけられ殺されてもおかしくない時代だ。

 

普段のメールやラインでもあてはまる。

 

PCのメールで二日返事を出さなくても問題はありません。しかし、LINEを既読にして一日返事しなければ、恨みを買う。殺人事件に発展する可能性が十分ある。

或る意味では、昭和の戦前時代の方が庶民にとっては住みやすかったのではないか。

 

 

5 日本人はどうして、テレビの報道を信じるのか?

 

 

 

「3・11の震災直後、下りの新幹線の席が取れない状況だった。しかし、メディアは報道しなかった。

 大手メディアの幹部は家族を九州や沖縄に避難させていた。原発事故後の報道統制をみると、この国は非常時に翼賛体制がとれる。

 メディアは繰り返し、「絆」「自己規制」「不謹慎」を言った。みんなが逃げ出したり、見棄てたりしないように翼賛的な情報で操作した。その結果、パニックが起こらず、ソフトランディングできた。

 

 

 たくさんのボランティアが被災地に入った。ボランティアは、現代における翼賛と言える。誰も強制しないが、自発的に国に奉仕する。ボランティアの動きを見ても翼賛体制を作れる社会だとわかる」と。

思えば、3・11の時、下りの新幹線が一杯などとメディアの報道を見た事がなかった。彼らの家族を優先させて無事避難させていたとはびっくりした。

テレビのいう事を日本人は100パーセント信じているのではないか。

 

いざと言う時の人間の姿が垣間見えて面白い。

 

6 小保方晴子氏の両親はあらかじめ知っていた?

 

  小保方晴子氏の両親は危機管理能力がある。STAP細胞発見当初、彼女はメディアにもてはやされた。しかし、両親は一度も表に出なかった。

 

 この種の報道の場合、親が登場して、「うちの晴子は・・・・・」と自慢する。きっと、両親は知っていて出てこなかった。「また晴子がしでかした。今回はスケールが大きいから大変だ」と。

 

 

7 コンビニと監獄は似ている?

 

「村田沙耶香の『コンビニ人間』を読んで想起したのが監獄だった。導入部分で客がポケットに手を入れて小銭を出そうとする。小銭に音を聞いて、タバコか新聞を買う客だと推測するシーンがある。佐藤氏はここを読んで、既視感を覚えた、という。東京拘置所で、看守が鍵束を出す音とタイミングで自分の房が開くかどうかが分かると。

 あとは主人公が同棲相手に与える餌。監獄では「配当!」という合図とともに小さい窓から食事が入れられる。コンビニと監獄の間にアナロジーがあると。社会の監獄化を表現した小説なのか」と。

 

これは、日々の習慣で感じることでないだろうか。同じ時間帯に同じ人に道端出会い、此の身振りの後に、挨拶ほをするなとか、上司がこういうと、恐らく、怒られるだろうとか予想がつくのと似ている。

 

 

8 最近の芥川賞の本は読む価値がない?

 

 

「芥川賞の変質が顕著になったのは、2003年の綿矢りさ、金原ひとみからでしょう。

 その翌年から本屋大賞が設立された。従来の文学賞に対する不満があった」と。

 

 

9 西邊邁氏の自殺は保守というより唯物論者として自殺した?

 

 

 「人間は二十歳のころに本格的に触れた何かから離れられない。思想でも音楽でも宗教でも、無意識にそこに回帰していく。

 西邊邁は大学時代にブント(共産主義者同盟)に加入している。彼は原点だったブントの活動家に立ち返って自殺した」と。

 

 

 いろいろな説があるもである。オフェーリアの真似た自殺という説もあるが。