gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

の不幸、貧乏人の幸福】ひろやちひろ著

2019-11-08 06:06:01 | 健康法
【の不幸、貧乏人の幸福】ひろやちひろ著
〜身の丈で生きる〜

★ 欲を捨てるだけで、こんなに幸福になれる!

★ 『ゆったり・のんびり・楽しい』生き方がわかります!

★ あらゆる『迷い』を解決する、『努力しない生き方』のすすめ!

1章 【『金持ち』が幸せで、『貧乏人』が不幸なんて嘘っぱち】

◉ 『ゴムひも』の物差しよりも『仏』の物差しで生きよう

20 すべての競争は『悪』である
25 『金持ち=幸せ』ではありません➡︎ 三方一両損という言葉があるが、競争意識に骨の髄まで蝕まれた日本人!

30 『努力すれば報われる』なんて、真っ赤な嘘!➡︎ 『努力したから収入が増えた』というまやかし!

35 競争に勝ち残っても、いいことなんかない
48 世の中をはかっているのは、『狂ったゴムひも』の物差し➡︎ 世間の物差しに振り回されないこと!

2章 【『金持ち』になればなるほど、心が満たされない理由】

◉ 人生、捨てなければ、幸福になれません!

58 『お金が欲しい』なんて、まやかしの欲望➡︎みんな宣伝に引っかかって『欲望』を持たされている!

62 『将来のんびりするためにいま頑張る』という愚かさ

✴️ 67 『生涯現役』なんて馬鹿な考えはない。

72 収入を増やしても、自分の居場所は見つからない
76 『自由な競争』がうまくいかなくなる理由
80 悩みや迷いの原因は家族の崩壊にある!➡︎ なぜ国家は家族を壊したのか?

3章 【すべての会社は刑務所である】

◉ “あくせす”働くより、“ゆったり”生きるほうがおもしろい!

90 昇進、出世なんてものに執着しないこと
122 『ノルマがいやだ』なんて大きな勘違い
116 トップの仕事とワーカーの仕事はまったくの別物

4章 【『身の丈で生きる』ことを知りなさい】

◉ 自分は自分、他人は他人のままでいい!

128 『あきらめて生きる』こんなに安らかな人生はなし
137 ものごとには、ほどほどが一番です
145 世の中には、ウサギもいれば、カメもいる
149 なぜ、『他人の不幸は蜜の味』になるのか?

5章 【『常識』を捨てるだけで、こんなに自由になれる】

◉ アホで生きるもよし、狂うもよし!

164 『正しい論理』を使うやつほど狂っている
169 『狂った物差し』で生きていこう
173 狂いを実践した『風狂の人』一休さん
178 成功を求めず、のほほんと遊べ
187 遊戯三昧で仏さまに近づく

■ 上記はひろさちや先生が2010年に発売した本【金持ちの不幸、貧乏人の幸福】です。

学者はウジ虫か

2019-11-04 14:48:06 | エセー

中島義道氏の本は、なかなか人前で言えない本音をズパッと言う。

 

 

人間嫌いも人並みでないようだ。電車内の放送、人混みでの雑音などすべて嫌う。

 

考えることが出来ないで死ぬのはあわれだと思う。笑いごとでなく、日々、毎日の生活を反省すると、その道にまっしぐらだ。

 

 

 

 中島義道著  『善人ほど悪い奴はいない』

 

 

1 テレビを見れば見るほど馬鹿になる?

 

「大手の新聞社や出版社は、えげつないほどの口調で権力者や有名人を足蹴にし続ける。みずから嫉妬と憎悪を持たなくても、大衆のうちに嫉妬と憎悪の炎を燃え上がらせ、そのうぇお煽りたてるのだ。

 

腹黒いジャーナリストたちは、真っ赤な嘘と知りながら、善良以外とりえのない弱者のみ正しい、という嘘ゲームを回転させ続け、本当の事がばれないように、絶えず強烈な麻薬を大衆の身体に注入する。

 

東京拘置所から出てくる有名人を、薄笑いを浮かべてガムをくちゃくちゃ噛みながら待っているカメラマンたちのこの世のものとも思えないほどの下品な顔、顔、顔。

 

 もちろん、本当の悪人は隠れた所にいる。ジャーナリズムの表舞台では厚化粧をした軽薄なタレントたちがキャーキャー歓声をあげるファン(視聴者)の前で腰を振って踊っているだけだが、その裏ではこのすべてを企画したジャーナリズムの主導者がいる。

 

 彼らをニーチェは毒蜘蛛(タラントウラ)と呼んで、激しい憎悪を向けている。

 

 現代日本は、毒蜘蛛どもと、煽動された腰を振り続ける学者、評論家、タレント、コメンテーターども、それらを見ながら、自分の意見を決める善良な市民=畜群どもがいる。

 

 誰も互いに見分けがつかないほど同じことを語り、同じ行動をし、同じ人生を歩んでいるのだ」と。

 

 

「大衆の嫉妬心や復讐心を煽り立て、その燃え盛る憎悪を巧みに利用して、平等、平等、と叫ぶ。彼らは大衆操作を裏でやる、タラントウラという毒蜘蛛である。

 

 テレビこそ諸悪の根源である。何も考えないバカでもわかる仕掛けが、バカに合わせた企画がひしめいている。

 中でもコメンテーターと自称する者は、お笑い芸人、落語家、漫画家、スポーツ選手、歌手、写真家、外食産業社長など、あっと驚く無教養大集団、その一人ひとりが真顔で、地球温暖化や政権交代や少年犯罪についてコメントするのだから、あきれ果てる。

 

 

 専門家のコメントでは難しくてわからないが、自分たちの低い目線にたった仲間のコメントが欲しいという頭の悪い視聴者のニーズに合わせて登用された。

 

 

 テレビ局のタラントウラたちは、無智蒙昧な輩でもわかるように思いきり白黒・善悪をはっきりさせたコメントが欲しい。こうして大脳皮質の退化はますます促進され、人々はますます単純なバカになっていく」と。

 

 

 テレビの街行く人にインタビューをして返る答えは、決まって同じであるようだ。そんなインタビューをしても何も面白くないが。

 

歌手とか、芸人とか、よく考えれば、聴衆の奴隷みたいだ。

 

 

 

2 現代の弱者は匿名で人を愚弄する?

 

 「かつて善良な弱者の一部は、人間として平等に生きる権利を主張して戦った。そこにはニーチェが指摘するように、弱さを武器にした悪臭、が満ちていたが、それでもまだ、空威張りである。

 

だが、現代版社会的弱者にはそれさえない。彼らはいかなる社会運動にも参加しない。ただ、匿名でありとあらゆる他者を嘲笑し、愚弄し・・・自室のパソコン画面の中で瞬時の快にふけっているのだ」と。

 

 

「まだ老いていない善人たちは、身の危険のない絶対安全地帯では、わずかの欲望満足の機会も見逃さない。

 

 そうした場所は、新型弱者にとっては、インターネットの掲示板(特に2チャンネル)なのだ。ここは、弱い羊の化けの皮が剥がれ、考える限り最も凶悪性を有する本性を垣間見せてくれるまことに貴重な空間である。そこにうごめくのは、嫉妬や羨望と憎悪と怠惰と恐れと投げやりと自嘲、これらのボロ布を幾重にもまとって、彼らは自分のさもしい欲望を全開させる。

 

 排泄する言葉のごみ溜めであり便所である。その臭気たるや、思わず鼻をつまみたくなるほど凄まじい」と。

 

パソコンが流行ったのは、まだまだ、歴史的に最近のこと。

一時的に鬱憤を晴らせて、掲示板で人に見られても、あっという間に忘れ去られる。次々と、掲示板に載るから。虚しい行為と思うが。

 

 

 3 なぜ、犯行を起こすのかは誰にもわからない?

 

 

「犯行の動機は、本人にもわからないほど、複雑で、入り乱れているのに、それを「~によって」と決め付けることが、いかに眉唾物であるか明らかなのに、ここに踏み入ることは危険だと察知して、、探求しないないように心がけているからなのだ」と。

 

テレビのワイドショーは犯罪が起きると、すぐ、原因をタレントや評論家が物知り顔で述べるが。

 

 

 

4 自分の下がまだいる、と思うと未来が開ける?

 

「当時、ヒトラーのアーリア人種優秀説は、自分をダメだと信じ込んでいたどんなに多くのドイツの若者たちを救ったことであろうか。さらにその対極に悪魔の使いのような劣等人種であるユダヤ人を置くことで、なんと展望の利く形でその思想を受け容れることができたであろうか」と。

 

 

中国の統一には、日本の戦争犯罪を何度も庶民に訴える。そして、自国の優秀さを伝える。何となく似ているようだ。

 

 

5 一日の内で、どれだけの時間、自分で考えているか?

 

 

「彼(彼女)は、常に決まり通りの生活をしようと心がける。今日もまた会社に行くのは、会社に行くべきだからだ。今日もまた仕事が虚しくならないのは、自分の仕事が虚しいはずがないからだ。今日もまた家に帰るのは、家に帰るべきだからだ。

 これらの規範を破ってでもしたいことがあるわけでもない。これだけで、あと数十年間続ける充分な理由なのである。

 

 なぜなら、彼(彼女)は人の選択することを選択していることを選択しているだけ、人の望む幸福を実現しているだけ、人のしたくないことをしないだけだからである。

 

人とは誰でもない人であるとともにすべての人であり、普通人ないし世人であって、社会の保護色に身を隠すことのできる人である。

 

くそ真面目な精神は自分自身に向かってなぜ今日も会社に行くのか、なぜ今日も家に帰るのかを問わない人である。

 

 なぜ、問わないのか。勇気がないからである。とにかくそっちの方向に滑っていかないように、気を逸らせることが肝心なのだ。気を逸らせることに全精力を使って、人生を駆け抜けようとするのだ」と。

 

 

「善人は、みんな、と同じ行動をとることに、限りない喜びを感じる。善人の正しさの根拠は、みんな、である。

 

 みんな、とは誰か。最も多い者たちであり、最も物を考えない者たちであり、最も自己反省しない者たちであり、つまり、最も弱い者たちであり、しかもそれでいいと居直っている者たちである。

 

 

 みんなの考えていることはだいたい間違っているのになあ、という真理がかすかに頭をよぎることすらない」と。

 

みんなが美味いというから、僕もこの店で並ぼう。みんなが面白いというから、この本を読もう、みんながスポットに行くから、僕も行こう、等、いかに多い事か。

 

 

人が望む幸福を進んで、先にあるのは死。

何とも、浅はかな一生であることよ。何のために頭があるのか、わからないではないか。

 

 

6 偶然の不幸を嘆いてはいけない?

 

 

「天災や人災は、何の意味もなくただ起こるのだ。太陽が悪人をも照らすように、万有引力が善人をも落花させるように、どんなに善い人でも津波や地震で殺される。同じく車にひかれ、路上で刺されるのである。酒酔い運転者は悪い人を選んで車をぶつけるわけではなく、刃物で通行人に斬りかかる者は、善い男を避けて刺すわけでない。

 

 ニーチェは意志の錯覚として否定するとともに、善人にとって最も難しいこと、すなわち偶然を忌み嫌わないこと、恐れないことを提案する。自由意志と偶然のあいだに画然と線が引かれるわけではない」と。

 

ここ、数か月で、何人の人が台風で死んだことだろう。また、いつ、我々を襲うか。

最近、やたらと、テレビで台風前になると、身の危険を避けて非難してください、と報道される。わかっていても、家に居る、車に乗る。まさか、自分が、という思いがどこかにある。

 

しかし、災難に遭うべき時は、災難に遭うがよい、と良寛も言っているではないか。災難を前頭に、今、もし、最期なら、と考えるべきではないか。

 

 

7 一流と二流の違いは?

 

「学者として一流か二流かはすぐに見分けられる。一流の学者とは、自分と違う意見にも耳を傾けて聞こうとする姿勢なある者、二流以下の学者とは、同じ意見の者だけで集まって、違う意見の者を排斥する者である。

 

  強者は敵から逃げない。敵が強ければ強いほど、敵をしっかり見定める。敵との対決こそ人生の醍醐味だからである」と。

 

 

 読書でも、どうしても同じ傾向になる人は弱者なのか。自分と合わない考えの本を読んでこそ、強者となるのか。

 

 

 

8 学者の本より原典を?

 

「ニーチェの畜群批判とは、ルサンチマンの響きがする。英雄とはホメロスであり、アレクサンダーであり、ゲーテであり、学者たちはこれらの英雄の死体に湧くウジ虫である。ウジ虫が生きるためには、研究の対象たる死体が必要なのであるから」と。

 

もし、明日死ぬとすると、学者の本を読むだろうか。あれこれ批判している本より、原典(古典)を読む、と思う。

 

 でも、学者がウジ虫とはすごい言葉である。

 

多くのスポーツ評論家、政治評論家、経済評論家など、すべて、ある人物に焦点を合わせ、食い尽くすウジ虫とは可哀そうだ。

。