gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

8月30日(木)のつぶやき

2018-08-31 02:00:50 | 

恐るべしフランクフルト学派

2018-08-30 13:39:42 | 現代史

田中英道著  『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』

この本を読んで感じたのは、日本やアメリカの大学がいかにフランクフルト学派の共産主義化に汚染されていることとルーズベルト大統領がもっと、長生きしていれば、日本は共産国になっていた可能性があるという事だった。

 

 

1 なぜ、ルーズベルト大統領は日本に怨みを懐いたのか?

 

 「ルーズベルトの母の家は、中国貿易で財をなした。中国に親近感があり、日本が満州国を建国し、仏印へ進駐するに及んで、夜も眠れなく、日本に反感を懐いた」という。

 

 

2 ルーズベルトが日本に対して行った行為とは?

 

 「ルーズベルト大統領は、ユダヤ人の子孫で、原爆を作ろうとして「マンハッタン計画」をたてたが、ドイツの原爆開発に対抗するためであった。実際は、ドイツではなく、日本の十八都市への原爆投下命令書の方にだけサインをした。空爆もドイツには工業施設へ限定したが、日本には民間人をも巻き込む無差別爆撃であった。

 

ルーズベルト大統領はドイツ人を憎んでいない。憎んだのは日本人に対しであった」と。

 

3 アメリカと戦争をした時、東条英機首相が、真珠湾攻撃の計画を知ったのは、何と攻撃の一週間ほど前だったとは。

 

  「日本において、真珠湾攻撃の秘密は海軍内だけで留まり、ほかに知られなかった。時の総理の東条英機が知ったのは十二月一日の御前会議の直前、杉山元陸軍参謀総長から耳打ちされたときであった。東條は戦争を戦争を避けようとして、知らされなかったのだろう。陸軍主導であった戦争が、海軍に先行されたので、開戦前夜、東條は自室で慟哭した」という。

 

4 もし、日本軍が真珠湾攻撃でハワイの石油タンクを攻撃していたら、戦局は大いに変わっていただろう。

 

 「真珠湾攻撃で朝日新聞は「米海軍に致命的大鉄槌、戦艦六そうを撃沈大破す 航母一そう、大巡四そう撃破」と述べる。しかし、実態は、破壊できたのは戦艦二そうであり、ほかはサルベージされ修理され、戦艦に復帰した。空母三そうの一そうも撃破されていない。ハワイにある石油タンク群と巨大な海軍工廠も破壊されなかった」という。

 

5 フランクフルト学派が共産主義化を押し進める。

 

「アメリカのコロンビア大学のフランクフルト学派とは、もともとドイツのフランクフルト大学にいたユダヤ人の社会学の学者たちが、1923年に、マルクス主義のルカーチが設立したマルクス研究所から始まる。それが、ドイツ社会学研究所となり、ナチスの台頭で、アメリカに亡命した。ルカーチは「二十世紀のマルクス主義」と言われ、「歴史と階級意識」が基本書である。

 

ニューヨークのコロンビア大学ではもともと隠れマルクス主義のフランクルト学派の牙城である。ピュリッツァー賞は、コロンビア大学のジャーナリズム学科によってなされる。

 

 1960年代に、「貧困の撲滅」をスローガンに、アメリカの学生の間で五月革命を惹起した。

運動を思想的にリードしたのが、アメリカのフランクフルト学派のマルクーゼ、フロム、ホルクハイマー、アドルノなどユダヤ人マルキストたちだった。

 

6 ルーズベルト大統領は社会主義者で、日本と中国を共産国にしたかった。そのために、OSSを作った。

 

「ルーズベルト大統領は、OSSを作り、反日政策を実施し、社会主義を支持した。しかし、戦後、後任のトルーマンが解散させた。

 

 

 OSSこそが、蒋介石の国民政府を敗北させ、中国共産党の統一国家を作らせる計画を組織した。

 驚くべきことに、戦後ある時期までトルーマンとその部下たちは、スターリンとほとんど同じ、世界の共産主義化に同意していた。アジアの共産主義化をアメリカ一国で作り上げようとしていた。戦後の日本の検閲まで、それが貫かれた。つまり、アメリカとソ連は一致して、ある時期まで中国と日本の社会主義化を意図していた。

 このことは、1941年から始動し、1942年に立ち上げたOSSの存在によって、明確になっている」と。

 

7 構造改革を熱心に言う人にはご用心。

 

「マルクス主義は、労働者は階級闘争を忘れる。階級意識を持たせるために、文化活動全般で、階級意識、差別意識を作り出す運動を起こさなければならない。彼らの間で「批判理論」という。イタリアのグラムシに引き継がれ、戦後「構造改革路線」の名で広まったた」と。

 

8 現在の日本国憲法に宗教の規律がない。欧米の憲法を見よ。キリスト教の規律すれ憲法などあるか?

 

「憲法第二十条に「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とある。これは、「国家神道」を否定するために、「神道指令」とともに記された。

 しかし、キリスト教国では到底考えられないものである。欧米の法律が、キリスト教の神を想定して、規律を述べていることを知っている者たちが、意図的に日本人の精神性を抜き取ろうとした社会主義憲法である」と。


ほめられるのはプレッシャーになる

2018-08-29 13:45:45 | エセー

 

 福田恆存著  『私の幸福論』

 

冒頭で次のように言っている。

 

「私の原理は大変簡単なもので、醜く生まれたものが美人同様のあつかいを世間に望んではいけないということです。貧乏人に生まれた者が金持ちのように大事にされることを望んではいけないという事です。不具者が健康人のように扱われぬからこと言って、世間を恨んではいけないということです。・・・・・・

以上、あまりに容貌にこだわりすぎたように思いますが、私の幸福論をなぜ容貌の問題から始めたかというと、私は、世の中にはどうにもならないことがあるということを言いたかったからであります。しかも、そのどうにもならないことが、人生の瑣末事に現れるのならまだしもですが、ほとんど決定的な場所に、それは現れる。いろいろ努力したあげくに、自分の力ではもうだめだという限界に達するのではなく、私たちは、最初からこの限界を背負って出発するのです」と。

 

これは、あたりまえのことである。日本では、こうしたあたりまえのことを見ないようにする傾向がある。酷だが、認めるしかないと、思う。

大多数の人は美人を好み、ブスを好まないのは、人間が美しいもの、すぐれた者を追い求める限り当然だろう。

我々は生きるいる限り、さまざまな不幸に取り囲まれている。誰でも知っているはずだ。だが、不思議なことに、大多数の者はそれを言葉にしない。

生まれた時に我々を襲うのは、どうしようもない不平等である。

ある人は生涯、健康を保つのに、ある人はたび重なる病気に悩む。ある人は仕事に成功に成功を重ねるが、ある人は全く報われないで、人生を終える。ある人は、美しい肉体と高い知能を与えられ、ある人は醜い肉体と貧弱な頭脳を与えられて生きる他はなく、死んでいく。

 

こういう不幸に対して、いかにしたらいいのか、という正しい回答はないようだ。

比較的、納得のいく回答は、相対的不幸は生きている限り、避けられないのだから、不幸のうようよしている世間からできるだけ逃げること、人生を降りることしかないのか。

昔の人もかなり悩んだようだ。トマス・ア・ケンビスの『キリストにならいて』という著書の中で、こういう。

「出来る限り、ひとが集まり騒ぐところを避けなさい」と。

セネカも「人々のあいだに出かけるたびごとに、私は以前よりいっそうつまらぬ人間になって帰ってきた」と。

僕も、長く、人と話していると、こういうことをたびたび経験した。

人からほめられると、気持ち悪い思いがする時がある。

神谷美恵子の『人間を見つめて』の中でバステルナークの詩を引用しているところがある。

「有名になることは醜いことだ

 これは人間を高めはしない

・・・・・

 ついうかうかと みんなの口に

 のぼるのは 恥ずかしいことだ」と。

僕は、朝礼などで人からほめられると、その時点では一時、有頂天になるが、日にちがたつと、それがプレッシャーになる、とわかった。自分はこうであらねばならないとか、人の模範にならなねばならないとか、後で、本当の自分はそんなものではないと、感することがよくあった。

そんな時に出会った本だった。


8月26日(日)のつぶやき

2018-08-27 01:59:12 |