やはり、日本人はお人よしか goo.gl/NQqWWQ
— 山田一郎 (@jungle488) 2018年5月30日 - 18:28
西尾幹二著 『アメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか』
昨今、街を歩いていると、ここは本当に日本か、と思えてくる。街を歩いたり、買い物をすると、すぐに、中国語、韓国語の放送も絶え間ない。まわりも、中国語が特に目立ちだしたと思うが。いかがなものか。
テレビを実際によく見る人はご老人だろう。しかし、僕はインターネット派でユーチューブに頼る方だが、選挙になると、テレビの世論とインターネットの世論は食い違っている。案の序、選挙でも世論調査と反対の結果が出ている。
そろそろ、日本国民も真実の事がわかり出して来た。そんな時、この本はその一役を担ってくれた。
1 納得できない箇所
「我々日本人は、中国の土地や株式会社を買うことはできない。なぜなら、中国は私有財産を許さない国だから。
こちらが私有化できないのに、なぜ中国人が日本の不動産や水源地を自由に私有化できるのか。」
2 うまい比喩を使うと思う所
「サッカーは運命に支配される。一点先に取られると回復不能ではないが、とにかく重い。野球は一点差なら十分、逆転可能である。
サッカーは野球でいえば、出来のいい投手戦になる。
国家の運命も似ている。日本は一回、アメリカにゴールを奪われた。ゴールを奪われたのはたった一回なのに、いつまでも日本は敗北感を強いられる。同点にもならない。あるいは、逆転はとてもとても・・・」。
こんなことをしていたら、すぐに「戦後百年」になる。「戦後百年」とはおかしな表現に思う。」と。
3 日本の弱点を浮き彫りにする箇所
「日本は平和でありさえすればいい、というのが、日本の弱点である。
中国の無理な要求を呑む他はないとアメリカに説得され、日本国内もそれに賛成するだろう。
従軍慰安婦や靖国参拝の事件がすでに起こっている。次は、靖国神社の廃社、歴史教科書の中国共産党へのすり合わせ、皇室への干渉、自衛隊の中国軍への従属、等。悪夢が続く。
吉川幸次郎や貝塚茂樹、宮崎市定という戦前から戦後の中国研究者は、文人や知識人とのみしか交流しない。中国の大衆とは密着しなかった。
こういう日本の知識人は戦後、毛沢東のシンパになった。おかしいではないか。これらの最高度の中国研究者がみな偽者であったことを、今でも問いたださないのは重大事件ではないか。
靖国参拝で、最初に譲歩したのが間違いだった。中曽根康弘内閣の最大の失敗だった。
このまま日本が首相の靖国参拝を止めたら、次に靖国神社を弊社せよ、とくるだろう。靖国をなくしたら、皇室をなくせ、と。それが中国人の論法である。
こちらが一歩後退すると、二歩前進してくる。相手が一歩後退したのだから、自分は控えめにしようとか、恩を感じる、という感覚は全くない。逆に軽蔑する。日本流に言えば、雲助の徒輩の論理である。
だから、日本は徹底して強く対応しなければならない。謙虚は中国では通用しない。」
4 日本人として生まれて良かったと思う箇所
「支那では、蒋介石時代、殺すにしても、五体を全うしないのは最も残酷で、刑も優遇した場合、絞殺し、普通は身首ところを異にせしむる。次にこれをアンペラか何かで巻いて川に投げ込む。
日本人は、死ねば仏になる、という。神道と仏教の習合からきている。日本人は敵の死者にも敬意を払う。敗者を決して卑しめない。
平将門は皇室に弓を引いたが、将門神社 が存在する。
最近、日本の若者はアメリカに留学しない。日本人が内向きになったからだ、と言う人がいる。
しかし、日本社会がアメリカを手本にしなくなったからではないか。アメリカが世界の普遍性の代表ではなくなったからだ」と。
5 日本人の宗教観がクールな箇所
「戦前の支那に、アメリカやイギリスから宣教師を送り込んだ。特にアメリカは日本のキリスト教化に絶望。その分、支那での宣教に期待した。
しかし、支那人は、教会がカネをくれるので信者になった振りをしていただけだった。蒋介石がキリスト教になったが、アメリカの歓心を買うためだった。
日本人はあの世を信じていない。宗教は、あの世を信じることから始まる。
ニーチェが激しく、あの世などない、と言った。日本人はニーチェよりとうの昔に、ニーチェを越えていた。」
6 今後、日本人としてもっと毅然とした態度でのぞんでほしい箇所
「中国では、2010年から国防動員法が施行されている。 国家分裂活動、テロや戦争の有事の際、国防のために国民を総動員して戦う法律である。
中国国内だけでなく、日本国内にいる中国人も対象となるので、万一、日本と中国が紛争を起こすと、北京政府が命令を発すれば、日本列島にいる中国人はみな武器を取って立ち上がる。
これは昨今の多くの中国人が日本で外国人登録をしている。彼らはが中国祖国防衛のために、武器をもって日本人を襲うことになる。何とも恐ろしいことではないか。」
「日本人はアメリカと戦争をして、多数殺されたが、戦後、すぐ豹変する。アメリカのいいなりになるのはどうしてか。
韓国人が今に至るまで、日本人を憎んだり、ポーランド人がドイツ人やロシア人を憎む。日本人は理解できない。体に感じるリアルな憎しみがない。
戦後、米進駐軍と神宮球場で野球をしだす。友が特攻隊で米軍に突っ込んだというのに。何の疑問を持たない国民だ。
日本人は戦後アメリカ文化が好きになったのは、戦前から好きだったからだ。」
7 きれい事や言葉にご用心
「1910年の日韓併合があった。併合はアメリカのハワイ併合があるように、流行の解決法だった。
イギリス、アメリカ、ロシアなどは、韓国は独立してやっていけない国だから、日本が統治しなさい、と薦めた。
しかし、日本は併合ではなく、保護国にすべきだった。保護国として、軍事的に介入するだけで止め、他に何もしなければよかった。
たくさんのカネを遣って、教育環境を整えたり、農地を調整したり、裁判制度を近代化したり、鉄道を開いたり、帝国大学までつくったりしたが、そんなことをする相手ではなかった。
国連は United Nations。日本だけが戦後、連合国から国際連合と改訳した。
国連憲章には、日本やドイツの枢軸国に対する敵国条項が書かれており、未だ削除されていない。
外務省は連合国を国際連合と改訳した。連合国の訳語のままだと、国連は旧敵国のことだと認識されたはずだ。
戦後、アメリカに媚を売って国連の旧敵国に予算を出している。小沢一郎は国連を理想化して、国連が許可したら、日本は戦争に参加してよい、憲法に書け、と発言している。何も知らない。情けない。
連合国のままにしていたら、日本国民は国連に幻想を持たなかった。」
戦後、北朝鮮は理想の国だと、マスコミはもてはやした。それで、多くの日本人が北朝鮮人の妻となりかの地へ渡り地獄を見た。後は知っての通り。日本人はきれいな言葉に難なく騙される。今はやりのオレオレ詐欺もその一種ではないかと、思った。
8 アメリカは思ったより宗教にこる国民か
「アングロサクソンはマニフェスト・デイステイニー(明白なる運命)とよく口にする。世界を征服するアメリカの意志を示す言葉として、1800年代に言われた。
西部をどんどん絶滅させていく思想で、それが明白なる運命であり、使命である」という。美しく飾って、彼らはフロンティア精神という。
だから、アメリカ人は西への進出は、神からの命じられた使命、と信じていた。
アメリカはヨーロッパの宗教戦争を経験していない。だから、今も宗教的な国である。ヨーロッパや日本より、宗教が政治に食い込んでいる。十字軍を平気でやっている。湾岸戦争(1990年―91年)、アフガニスタン紛争(2001年)、イラク戦争(2003年―11年)であり、イスラエルにこだわり続けている。
アメリカ国民の九割は神を信じている。今でも、神が七日間で世界を作ったとか、世界の最後の審判の日には、ハルマゲドンが起こると、本気で思っている。そう思っているのがヨーロッパではなく、アメリカだった。進化論も信じていない。日本人には信じられないことが、アメリカ社会には多数ある」
9 中国は意外とへっぴり腰か
「中国は威嚇はするが、実際にはなかなか軍事的に行動しない。ヘタをすると、中国共産党が崩壊してしまうからだが、中国は日本を侵略する必要はない。韓国、北朝鮮に侵略させればいいと考えている。」
最近、評論家の本を読むと、中国は間近に崩壊する、という意見が多数、出版されている。
しかし、今だに崩壊していない。ユーチューブを見ると、平気で今月中に終わるとか、平気で言っている人がいまだにいる。彼らの意見もあくまでも参考にして、あくまで、自分の頭で考えてみる。
日本人はあまりにも「ひとり」という言葉に悪いイメージを持っている。
今の、スポーツなどの団体行動をすると、、就職が有利なる。これはおかしくないか、と思った。
まして、昨今の日大アメリカフットボール部の不祥事は監督やコーチのいいなりにならないと、就職に不利になったり、後輩の高校の推薦枠がきびしくなるという。
今回の関学の選手はケガで終わったが、半身不随や死にもつながったかもしれない。そこまでして、上司の奴隷にならなければならないのか。
いや、学生のスポーツだけではない。会社でも、平気で上司の言い分に従わないと、クビになるのが現状だ。
そんな時、この本を読んでいると、こんな文句を目に触れた。
1 最も心を落ち着かせてくれたシーン
「現代、一人たることがあまりにも悪者にされていないか。マスコミから発せられる孤独死は声高なステレオタイプの合唱で、ひとりで死んでいく人間の内面を侮辱する声、冒涜する言葉しかきこえない」と。
さて、この本で最も、イメージに残るシーンはこの一文だった。
「道元の開いた永平寺を訪れると、雲水たちが、足早に歩く。歩く姿がやがて影になり、廊下の奥の空間に消えていく。ネズミが軒下を走り去っていくように、消え去る。
あとに残るのは、物音しない廊下、白壁、庭の樹立ち、それらが眼前に広がるのみだ。
座禅堂に入る雲水の姿は、血気が蒸発し、軽やかに風を切って歩いて来る。やがて、堂内の壁に向い、一人、二人、三人・・・と座っていく。座ったまま動かない。板のような背中をみせ、呼吸の音すら消して大気の中に身をすべりこませる。
時間経過とともに、一つひとつの影がいつのまにかに石と化している。樹に変じる。人の列が影の列へ、影の列が木石の列へ・・・。そのゆるやかな変容プロセスを、禅堂そのものが演じている。それが道元の戦略だった。
人間の影になって、僧堂の中に消え去れ。夜の中にとけこめ、と。
白壁が門答の禅堂に変り、庭前が詩の束を紡ぎ出す。草木までもが一幅の絵になって立ち上がる、と道元は考えた。人間が消え、庭前の草木が身を起こして説法を始める。眼前の山川草木が説法をするのである。
永平寺名物に「三黙道場」がある。沈黙を守る三つの神聖な場所で、食堂、便所、浴室だった。
一度入ると、音をたててはいけない。雲水たちは毎日、非人情な哲学を実践しなければならない。
食堂では、雲水たちは一切音を立てずに食事をとる。飯を口に運び、汁をすする、タクアンを嚥下するのに一切音を立てない。これくらいなら真似をできるだろう。
しかし、難しいのは、椀や皿を上げ下げするときだ。カタッ、コとッと、器物のぶつかり合う音がどうしても立つからだ。それが静寂を切り裂き、天井までとどくように聞こえる。
なぜ、雲水たちは器物のぶつかる音を立てないのか。
椀や皿の上げ下げ、箸の上げ下ろしに、いちいち両手をそえている。気の遠くなる単調な繰り返しで、一切の音が消えていく。食欲を満たす生々し動物感覚が、影絵のようなな食事作法へと変わっていく。
驚くのは、その影絵のような所作が、目の覚めるような美しい体の動きになっていることだ。シンメントリカルなからだの形が、揺れるような明暗の中に浮かび上がってくる。」と。
2 日本人は無心、無私が昔から今まで、延々と好まれている。
それが災いして、スポーツの不祥事に繋がる一方で、落ち着きを取り戻すシーン
著者は「無の哲学を日本で最初に考えようとし人間が、道元だった。
座り続けて、無に近づこうとした。
我々の日常でも、無心、無私と言った言葉によく出会う。スポーツにも政治にもお馴染みの言葉だ。
世間のリーダーが不祥事に見舞われると、反射的に口の端にのぼる。
床の間や壁などにも、「無」という額や掛け軸を見かける。無の中に無限の宝がある、と。
無の中に無限の宝がある。無常も、無に強調点を置いている。世の中に永遠は一つもないと。
しかし、面白いことに、無という表現にニヒリズムの匂いがない。暗い気分が出ることもない。
反対に、無、無、無・・・・・と口ずさむと、どこからともなく力が湧いてくる。無のイデオロギーというほかない。
それが、何事にも「こころ」「こころ」といわずにおれない。無は無限に通じるのである」と。
3 この本の中で好きなこしながら死を迎えるシーン
「増賀上人は比叡山に登って、修行したが、いつまでたっても生来の奇行がやまなかった。
いよいよ上人が臨終間際になると、弟子を呼んで、碁盤をもってこい、と言い、一人で碁を打ち出した。
今度は、馬具を用意させて、首にかけて、「胡蝶」の舞いを舞った。理由を聞かれると、
子供の時から、碁を打ったり、舞いを舞ってみたかった。しかし、駄目だと言われ、やらずに今日まで生きた。この思いを残して、往生すると、うまく往生できない気がするからだと。
往生は肩肘を張って、悟りだけを思い描いてするものではない。自分の趣味に生き、芸能の世界に愛着を示しながら、少しずつあの世へ近づく。
これを鴨長明は「数寄のなかでの往生」と言っている。
これは、増賀上人だけでなく、良寛にも通じる生き方だった」と述べる。
人生八十年少しと考えると、死に際をいかに美しく生き死んでいくかと道元は、清潔好きだった。歯を磨いたり口をゆすぐことに神経質なこだわりがあった。
今から徐々に考えなければならない。
4 この本の中で日本人の清潔好きを考えさせるシーン
「道元は、清潔好きだった。歯を磨いたり口をゆすぐことに神経質なこだわりがあった。
この清潔感覚と三黙道場により、道元の作法重視は成熟していった。
道元は平安貴族の血筋をひく。
平安貴族は御所のまわりに犬が死んでいるのを見ると、その日の政務を中止した。平安貴族の死の穢れを忌む傾向は道元の清潔感覚、さらには、日本人の清潔好きは関係あるようだ。」と。
5 この本の中で暗唱したくなった句
「良寛が和歌を読むとなると、道元離れで親鸞の口調となる。
例えば、
おろかなる 身こそなかなか うれしけれ
阿弥陀の誓ひに あふと思へば
辞世の歌に
良寛に 辞世あるかと 人問はば
南無阿弥陀仏と いふと答へよ
道元の跡を追う季節は真冬がいい。鎌倉までやってきた時作った和歌が残っている。
春は花夏ほととぎす秋は月
冬雪さえて涼しかりけり」と。
6 この本を読んで一度訪れたくなった所
京都の日野の里と滋賀の比叡山、福井の永平寺」
7 この本を読んで内面的に考えさせるシーン
「日本の人々の「個」はほとんど窒息寸前ではないか。
その「個」はそれぞれの流儀で「箱」の中に囲われる。核家族という「箱」、ネットカフェという「箱」、携帯やスマホという「箱」、皮肉なことに個室という「箱」。その箱、箱・・・・・の中で数え切れない個、個、個が息も絶え絶えになっている。そんな箱の中の個でも、はたして個と言えるのか。
そんな窒素しそうな「個」の壁を破って、もっと広々とした「ひとり」の空間に飛び出してこないか。
ひとりで立つのは、孤立した群集の中にまぎれこむことではない。太古から伝わる国の風土、その山河の中で、深く呼吸をして生きるのである。」と。