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永田和宏著 『近代秀歌』

2018-07-22 14:55:12 | 文学

永田和宏著  『近代秀歌』

 

 

著者の永田和宏氏は「現在の社会から、共通の知的基礎というべきものが消失していく現状に危惧を懐かざるをえない。話題と言えば、昨日テレビで見たお笑いやバラエティー番組、スポーツか芸能に限られるのは、あまりにも寂しい。

 

 相手の意見を聞いて、次々に自分の考えを付け加え、そこから話題が展開することがない。話題が散発的なのである。刹那的な会話はあっても、意見や考え方のやり取りとしての喜びと発展はないだろう。何かを質問しても、「別に」の一言では、本当の友人関係は成立しがたい。」という。

 

また、「文化とは大切にしまっておくことではない。日常の中で活かしてやるべきなのである。日常会話の端々に、詩歌のフレーズがチラッとかすめたり、ある場所や風景に出会った時に、一首の歌をかすかに思い起こしたりすることが、文化を大切にすることであろう。」ともいう。

 

実際に行ってみたくなった歌があった。

 

 

1(石川啄木)

        不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて

 空に吸われし

 十五の心

 

 

 

不来方(こずかた)のお城は、盛岡城の別名。啄木が中学時代に過ごした地。

 

 

        東海の小島の磯の白妙に

われは泣きぬれて

蟹とたはむる  (一握の砂)

 

 

この歌は、カメラの移動の仕方である。大きな景から小さな景へ、連続的に移っていくようなカメラワークの最後に、作者が居て、蟹がいる。つまり、東海、小島、磯、白砂、そして我と蟹という景が、カメラのレンズのようにどんどん絞られ、小さなものへ収斂しいく。

 

 

 「東海の小島の磯」はどかか。失意の啄木が一時的に住んでいた函館の大森浜を指す説が有力。

 

 

2(与謝野晶子)

 

        清水へ祇園をよぎる桜月夜(さくらづきよ)こよひ逢ふ人みなうつくしき

 

        ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清滝夜の明けやすき

 

 

 昌子は数詞を使うのが巧い。もう一つ、、地名を歌に入れるテクニックは突出している。

 

歌人河野裕子は、「清水へ」の歌の現場を辿るべく、昌子と同じ道を歩いた。そして、

        「およそ百年前にこの同じ道筋を歩いたひとりのうら若い女性がいた。まだ世に知られることもなく、ただただ恋をして、ひたぶるに歌をつくった。その人は寡黙で、無造作に柔らかく着物を着ていたけれど燃えるような眼をしていたに違いない。」(『京都歌紀行』)

 

 

・鎌倉や御仏(みほとけ)なれど釈迦牟尼(しゃかむに)は美男(びなん)におはす夏木立かな

 

 

 鎌倉に旅行する際に、是非、持参した歌である。

与謝野鉄幹と晶子夫妻は、日本国中を旅行したことで有名だ。

 

 鎌倉高徳院の大仏は実は釈迦牟尼ではなく、阿弥陀如来だが、昌子はそれにこだわらない。大まかである。

 世の人は、尊い仏だから、美しいや美男は礼を失するというが、昌子は社会常識にとらわれない。美しいものを美しいと言って何が悪いという姿勢が見える。

 

 

若山牧水

 

 ・ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り

 

 

 若山牧水の故郷は、宮崎県東臼杵郡東郷村。現在の日向市。生家は保存され、牧水記念館が建てられている。生家のある坪谷から、尾鈴山が見える。

 

 故郷に牧水が帰っても、自分を理解してくれる人間はいない。幼い時から見慣れた尾鈴山に向かっているしばらくの間が心休まる時だったのだろう。

 

 

 

 

 

3 心に残った言葉

 

 

        優れた歌はそれ自身として多くの想像力を掻き立ててくれるだけでなう、いくつもの歌に連想を広げてくれるものだ。

 

 

        写生というのは、目にしたすべの事象の中から、ただ一点だけ残して、他はすべて消し去る作業であると考えている。すべてをリアルに写し取ろうとするのではなく、その場の自分の感情にもっとも訴えてきた、たった一つの事象、対象だけを残し、あとは表現の背後に隠してしまおうとする態度を写生と呼びたい。

 

 

  ・詩の真実は、現実にあったかどうかとは一対一で結びつけられるべきではない。あくまで読者が、そこに現実にあっても、虚構であっても、作者の真なる思いを感じとれるかどうか、それが作品評価のすべてであると言い切っていいだろう。

 

 

・人間は「無い」と言われると、逆に「無い」はずの存在を思い浮かべる。このパラドックス。「これは嘘ではありません」と言うと、その言動がどこか嘘らしく見える。

 

板垣は斎藤茂吉の弟子だが、自著の中で、こう語る。

 「それだかららいけない、君は。君には言葉を大切にしろと今まで何度も語ったはずだ。そうした境地の逆波という言葉は君だけのものだ。粗末にしてしまうから、人に取られてしまうのだ。今の君の言った言葉は哀草果に聞かれてしまっている。見らっしゃい。哀草果は必ず作ってよこすから。造語は一生に一度、使って二度ぐらいに止めるもんだっす。大切な言葉はしまっておいて、決して人に語るべきものではないっす。」と、きびしく、斎藤茂吉に訓戒された。この地方では、「さかさ波」「さかさま波」と常に言っており、それを私が「さか波」と言っただけで、至って軽い気持ちから言ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

5  面白みを感じる歌

 

 

土屋文明

 

        ツチヤクンクウフクと鳴きし山鳩はこぞのこと今はこゑ遠し

 

山場の鳴き声が「ツチヤクンクウフク」と聞こえた文明。これは敗戦という挫折を力に変えて生き抜こうとする強さが感じられる。

 

6 戦争で人間が変わる歌

 

 土屋文明

 

 ・ただひとり吾より貧しき友なりき金のことにて交(まじわり)絶てり

 

 

 私より貧しい友人が一人だけいた。言外に、自分も同じように貧しかったと、言っている。共に貧しかった二人の友人が、金の貸借で交わりを絶つことになった。苦い思い出である。

 

 

この歌に続いて、

 ・吾がもてる貧しきものの卑しさを是の友に見て  堪へがたかりき

 

 

 貧しい友と理解しながら、なぜ交わりを絶ってしまったのか。自分自身の持っている「貧しきものの卑しさ」を、この友にまざまざと見ることになる。それが耐え難いというのである。自ら貧しさに喘いでいる人間には、わずかな卑しさが嫌でも見えてしまう。自分を見せつけられているようで、顔をそむけたくなるのだろう。

 

 

  土岐善麿

 

 ・あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ

 

  

  老いた妻が「あの戦争にあなたは本気で勝つと思っていたのですか」と尋ねた。この妻の率直な言葉に、はっと胸をつかれたのだろう。

 

 戦争は嫌だと思いながら、いざ始まると、勝たずにおくものかといった気分に簡単に変る。男は社会的動物なので、建前や他人の思惑にすぐに左右される。

 対して、女性は、家族の生命の心配、恐怖など個人のレベルで反応しやすい。そこが女性の強いところだろう。