山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

シンポジウム2

2009-12-08 17:22:55 | Weblog
 シンポジウムで二人目に発表された永木耕介(兵庫教育大)「ヨーロッパにおける嘉納の柔道普及の足跡」のお話を簡単に紹介します。

 ヨーロッパにおけるとありますが、時間の関係でイギリスとドイツについて述べられました。嘉納師範は1920年にロンドンの武道会を訪問されています。(武道会とはヨーロッパで最も古い柔道クラブであり、今でも存続しています)その後、ここには計6回訪問をされ、柔道のヨーロッパ普及においての拠点とされるおつもりであったようです。実際、1933年には講道館支部にあたる有段者会になることを打診されています。

 武道会の立ち上げから深く関わっていた二人の日本人がいます。小泉軍治(1855-1965)と谷幸雄(1881-1950)です。この二人は柔道ではなく柔術出身です。しかしながら、嘉納師範が武道会を訪れたときに、この二人に即日、講道館2段を送ったとのことです。おそらくヨーロッパの柔道の普及を二人に託す戦略的なお考えもあったのだということです。

 その後、師範は会田彦一(1893-1972)という弟子を講道館柔道の先兵隊としてヨーロッパに送り込みます。そして彼はドイツでの柔道普及に尽力したそうです。イギリスとドイツの柔道交流も盛んになっていきます。

 1933年に師範はベルリンでヒトラーに面会しているそうです。ヒトラーはボクシング、柔術が好きだったようです。その後、師範は世界柔道連盟立ち上げの構想を記者発表されました。こうして師範のヨーロッパ戦略が着実に進んだかにもみえたものの、ドイツとの親密さがイギリスのユダヤ系の柔道家を刺激してしまいます。1935年武道会は講道館支部の約束を無効としました。

 時代の波に呑まれつつも師範はヨーロッパにおける柔道の普及を探り、尽力していたことが見て取れます。

 師範は柔道がオリンピック種目になることにはどう考えていたのか。これについてはあまり積極的ではなかったようです。オリンピックにはナショナリズムや政治が深く関わってしまうことに危惧したようです。

 永木氏はイギリスやドイツなどに出向き、資料を探し、師範の足跡を調査・研究されています。以前に紹介したフランスのミシェル・ブルース氏もそうですが、柔道がどのように世界に普及していったのかを探ることは非常に興味深いと思います。また、私達柔道家はこういったことをしっかりと勉強し、師範が何を求め、考えておられたのかを探ることが必要なのだと思います。

 こういった師範の足跡を探ったり、お考えを解くような講演会やシンポジウムがもっと多く開催され、柔道以外の多くの人々にも聞いてもらいたいと強く思いました。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
鑑定 (山嵐)
2009-12-08 22:44:42
会田さんの年代が間違っています
なんでも鑑定団最後だけチラッと見たのですが鑑定のほうを見損ないました
鑑定結果はどうだったのでしょうか?
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柔術家にも段位を印可 (信天(のぶたか))
2009-12-08 23:01:42
自流の繁栄ではなく柔を通じて伝えたい精神を優先したのでしょうか?嘉納先生のお気持ちを考えまた次の時代に託すためには日々精進ですね!
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師範の努力 (山嵐)
2009-12-11 02:25:59
嘉納師範の努力が 現代柔道の大会商品に対し どれだけの付加価値を付けているのか
大変重要な鑑定だと思ったのですが
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根拠は? (大和柔志)
2009-12-12 16:07:42
会田先生の年代は間違っていないようですが・・・
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根拠 (山嵐)
2009-12-12 22:01:35
自分も正確な年代は知りませんが 最初1983だったので直したと思います
山口先生もグランドスラムで大忙しだったのでしょう
今日の試合で上野 谷本の次の最強DNA対決が楽しみになりました
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日英同盟 (世良 康雄)
2015-04-18 23:04:48
Life神戸店横山レジが横山光輝故人親戚で講道館四天王に繋がる噂ですが、父(神戸市西区秋葉台民生委員柔道二段)同郷細川伸二派に女止めされました。横山作次郎子孫や他講道館四天王を細川伸二派代わりに日本柔道連盟理事就任希望です。父と日英同盟派の柔道家が組んで日英両国危機管理能力を持って欲しく思います。

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