3章:「小平」誕生の章(つづく)
2、小平町
小平村に町制が施行されたのは、太平洋戦争終盤の昭和十九年(一九四四年)二月一一日だった。当時、人口は一万五六〇〇人。まだ人は少なく、町の中心地というものが無かった。
東京府から視察に来た役人を迎えるにも、一台の乗用車のない村では、二台あったオート三輪車を急ごしらえの「乗用車」にしたてたほどであった。府の役人も小平に中心がないので「一体どこが町になるのだ」と皮肉を言ったと伝えられるほどであった。(「郷土こだいら」より引用)
3、小平市
町制執行の翌同二十年(一九四五年)、太平洋戦争が終結した。戦後、小平は急激に変化する。町制執行から昭和三十七年(一九六二年)に市になるまでの十八年で、小平の人口は三・八倍の四万四千人に増えたのである。
一時は国分寺町・小金井町との合併を模索するも果たせなかった。だが、昭和三十五年(一九六〇年)十月一日現在の国勢調査で人口五万二九二三人、三多摩各町では一位、全国の町では二位という記録を出した。
その二年後の昭和三十七年(一九六二年)十月一日、小平町は市制が施行され、全国で五五八番目、東京都下十一番目の市として「小平市」が生まれた。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)
2、小平町
小平村に町制が施行されたのは、太平洋戦争終盤の昭和十九年(一九四四年)二月一一日だった。当時、人口は一万五六〇〇人。まだ人は少なく、町の中心地というものが無かった。
東京府から視察に来た役人を迎えるにも、一台の乗用車のない村では、二台あったオート三輪車を急ごしらえの「乗用車」にしたてたほどであった。府の役人も小平に中心がないので「一体どこが町になるのだ」と皮肉を言ったと伝えられるほどであった。(「郷土こだいら」より引用)
3、小平市
町制執行の翌同二十年(一九四五年)、太平洋戦争が終結した。戦後、小平は急激に変化する。町制執行から昭和三十七年(一九六二年)に市になるまでの十八年で、小平の人口は三・八倍の四万四千人に増えたのである。
一時は国分寺町・小金井町との合併を模索するも果たせなかった。だが、昭和三十五年(一九六〇年)十月一日現在の国勢調査で人口五万二九二三人、三多摩各町では一位、全国の町では二位という記録を出した。
その二年後の昭和三十七年(一九六二年)十月一日、小平町は市制が施行され、全国で五五八番目、東京都下十一番目の市として「小平市」が生まれた。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)