大島の空の下で

伊豆大島在住の中年のおっさんのブログです.日々の出来事を綴っていきます.一部は mixiとマルチポスティングしています.

【読書】 乙女の密告

2010-08-23 23:53:33 | Weblog
最初に告白してしまうと,アンネの日記をきちんと読んだ記憶がありません.いままでに知っていたことといえばナチの迫害から逃れるべく家族で長期間隠れ家での生活をおくった末にゲシュタポに見つかり収容所で亡くなったユダヤ人少女の日記であること,出版当初は完全版ではなく性に目覚めた頃の記述等,差しさわりのある箇所がかなり後なってから発表されたこと,生理用品会社の社名が彼女の名を冠したモノだということくらいです.
したがってこの作品の重要部分であるアンネのアイデンティティーにかかわる言葉が既出の訳でも読むことができるのか否かも知りません. 

重たいテーマですが女子大学生の日常をコミカルに描写しながら差別化せずにはいられない人間の避けがたい性向をユダヤ人差別のメタファとして著すという超絶ワザを見せてくれていてなんとも不思議な読後感の作品でした. エキセントリックな行動で笑わせる教授が実は重たい役割を負った人物という設定はどこか井上ひさし氏の「モッキンポット師の後始末」を彷彿とさせます. 読了直後に純文学としてどうなのかなという感想が頭をよぎりましたが今回この作品を読んだことによって,彼女が亡くなってから66年が経過したこと,彼女はアムステルダムの隠れ家から現在にいたるも不明の密告者により逮捕されたこと,ユダヤの人々が当時アイデンティティー上の問題を抱えていたこと,日本はナチスドイツの同盟国であったこと, ホロコーストがあったこと等々新規既知とりまぜて忘ないほうがよさそうな事がいろいろと想起されました.それだけでも意義ある作品かと思われます.

「乙女の密告」 第143回芥川賞受賞作

もう25年 JAL123

2010-08-12 21:54:12 | Weblog
毎年思い出さずにはいられない日が今年も巡ってきました.当日の事はあれから25年たったのが信じられないくらい今でもよく覚えています.
あの日18時24分の事故発生から 18時56分までの32分間,何とか生還しようとダッチロールとフゴイト運動に翻弄される機体を懸命に制御した3名のコクピットクルーと墜落の恐怖にさらされながらもパニックに陥ることなくその時を迎えた517名の方々は御巣鷹の尾根で命を落としました.高浜機長らの行動は文字通り命がけ(懸命)の行為でした.当初ボイスレコーダーに残された彼の 「どーんといこうや」 の言葉が文章で発表されたため,あらぬニュアンスを持って受け取られましたがその後の音声の開示でクルー達の極限の努力が日の目を見たのでした.
http://sennin-no-kekkai.hp.infoseek.co.jp/video/jal123-voice-recorder.swf

ワタシが事故発生を知らされたのは墜落の30分後くらいだったと思います.当初墜落位置が群馬県大滝村(当時)付近との誤報が流れ機材搬送先を巡って若干の混乱があったものの翌朝には正確な位置が判明したので比較的スムーズに先発隊は出発していきました.ワタシは初動には参加しなかったので上野村の対策本部に出向いたのは事故から約一週間後でした.上野村役場に降り立つとほんの二山ほどの彼方で500名以上の方が亡くなったという現実が強くのしかかってきて,時を盛りのセミ時雨も耳に入らない妙に冷たくて暗い気持ちになりました.それは生まれてこの方一度も覚えたことのない感情でした.今でもこの時期になるとその感覚が蘇ってきます.たぶん極々軽いPTSDの一種なのだと思います.
今年の報道で初めて知ったことは事故時に交信相手だった所沢ACC(東京航空交通管制部)の管制官がワタシと同年代の方だったということです.当時29歳という年齢ながら終始冷静な対応につとめ途中から日本語使用の許可を出す,周波数変更する余裕のないコクピットの状況を見越してセクタ(交信空域)を超えても同一周波数を使用させ,他の機を異なる周波数に誘導するなどプロとして最後まで最善を尽くしたと思います.報道によると彼もPTSD様の心の傷があるように見受けられます.
最悪の状況に面したとき人は何ができるのか,この事故の関係者の方たちは総じて最善の努力をしたと思います.願はくば疑惑満載の事故原因についていつかスッキリした形で発表されることを期待します.

過去の関連記述

http://blog.goo.ne.jp/jr1uia/e/a6198f65fc388b0c20641c9f3e644ef0



夏まつり

2010-08-08 09:06:42 | Weblog
地元の観光施策です.模擬店 + 花火というお約束のイベントですが20時前後のペーク時間帯になると,いったいどこにこんなにお客さんがいたのかと思うほどの人出になります.
ラッシュ時の電車内ほどの人ごみをかき分けながら会場を往復するパトロールを何回かしたあとはお客さんたちに混じって花火見物.30分ほどの打ち上げ時間でしたが今年は予算が少なめとの事でやや物足りない感じでした. 終了後はかねて企画していた10名ほどのミニ同窓会に出席して帰宅.0200頃就寝しました.

フィールドデーコンテスト,残り時間わずかだけれど,これからシャックよりエントリーします.