大島の空の下で

伊豆大島在住の中年のおっさんのブログです.日々の出来事を綴っていきます.一部は mixiとマルチポスティングしています.

【仕事】 さぁ,たいへん !

2006-06-30 00:36:18 | Weblog

7中旬から全行程2週間ほどで小笠原に出張することになっていたのだが,急遽2ヶ月ほど延期になってしまった. 復路が夏休みにかかるため大事をとって5月ごろから予約を入れ,船会社規定の出港10日前寸前に入金したばかりだった.

おかげで昨日は日程延期の事実確認と切符の払い戻し手続きで一日振り回されてしまった.

父島・母島からの島外通信はほぼ100%衛星回線に頼っている.今回の仕事は衛星の世代交代に合わせて全面更改される地球局設備の切り替え作業の予定だった.

4月に打ち上げた新衛星の静止軌道投入とミッションチェックが無事成功し,地球局側の受け入れ試験 各種設定も済んであとは切り替えるだけというところまできたのに「待った !」 がかかってしまった.

理由はCバンドトラポンのダウンリンクの他国への干渉. 南太平洋上の島国で行われている衛星放送にわずかな干渉が生じたとのこと. シミュレーションでわからなかったものか…
もっとも衛星放送に通信用のCバンドを使用する安易さは責められても良いような気もするのだが・・・

その事実ははだいぶ前に聞いていて計画続行の予定で交渉中とのことだった.だがどうにも相手が悪い.当該国は女性は太っているほど美人というまことにおおらかな美の基準を持つのんびりした国なのだが,施設の設置・メンテをしている某国の会社が非常に交渉しずらいとのこと.

以前,国際ルールを無視して静止軌道上にある本邦の二機の通信衛星の間に わずかな座席のスキマにムリヤリ座るお○さんヨロシク静止衛星を割り込ませ,軌道位置変更を余儀なくさせ,最近では有人宇宙飛行を成功させて気合横溢のタフネゴシエーター国の国策会社とのこと. こちらはアリアンで上げられた純民間衛星で商社系ディストリビューターからトラポンをレンタルする立場. 文句の言い場所もなく.再度練り直しとなったしだい.

もっとも今回の更改では現用系は昨年切り替えを終わっており,このたびはバックアップ系.旧衛星の制御用燃料切れや契約切れとなっても最低限のサービス提供はできる見込み.あとは仕切り直しまで,現用系に故障がおきないことを祈るのみ.




くらい日曜日

2006-06-25 23:13:53 | Weblog
シャンソン歌手ダミアの名曲です.

今日一日のうちに自分より若い二人の死に接しました.

N君は一歳年下,子どもの頃はいたずらっ子で危なっかしいことを年中しでかすヤツだった.中学の頃,カギ付きのまま止めてあった重機を動かして土建屋さんをあわてさせたことを今でもよく覚えている. 
しかし,いわゆる硬派ではなく,不思議なかわいげのある男で,話していると明るい気分にさせてくれるオーラがあった.人当たりもやさしく,よく年上の女の子たちにかわいがられていた. 
しっかり物の嫁さんにめぐり合い一女をもうけて都内で生活していたが,数年前内臓疾患をわずらい,入退院を繰り返した末,失明状態にまで症状が進んで11ヶ月の入院を最後に息を引き取った.
告別式で落涙しながらも参列者に気丈にあいさつをした未亡人の態度は見事だった.

Aさんは27歳.18年前ワタシが初めてアマチュア無線の資格取得のための講習会講師をしたときの受講生だった.
たぶん彼女は大島のハム史上最年少の女性ハムだったと思う.
ひょんなことからmixi上で再会し,彼女の職場の悩みなどにについて何度かやり取りをするうち,強いうつ病にかかっている事を知った.
この病気の場合,単なる励ましは何の効果もないばかりか逆効果.日記に差しさわりのないコメントを書き込む程度のやりとりを続けながら友人でもある彼女の父親に時々様子を知らせる,といったかかわりを続けていた. 
効うつ剤の副作用を訴える記述が目に付き,最近は内面の悩みを数十行に渡って綴る日記を日に数回もアップするという状態だった. 
数日前に彼女のmixi登録が抹消されていることに気付き気になっていたのだが,今朝になって亡くなってから既に25日を経過していること,今日が納骨であることを知る. 
衰弱状態を知った父親が上京して発見したのが,事故の翌日だった.所要のため娘の不調を知った直後に上京し介抱することができなかったことを悔む父親が気の毒で仕方なかった.
唯一の救いは原因が危惧していた自裁ではなく衰弱時嘔吐した効うつ剤を呼吸器に詰まらせたことだった. 




【PC】 WAVRECを使う

2006-06-19 01:23:38 | Weblog
友人にLPからCDを焼けないかと問われ,経験がないのに 「簡単に出来るよ」と答えてしまった,
後日30年ほど前の和製ポピュラー (コッキーポップって知ってますか?) LP4枚を預かった.
探してみるとメニューのアクセサリーにサウンドレコーダーなる音声録音ソフトがあった.

コレを使えば簡単かんたん… ところが何度やっても連続1分以上録音できない (ーー;)

調べるとコレがデフォルトの機能らしく裏技でも一分づつしか延長できない.あまりの低機能に愕然としたが,何かいい方法があるはずだとgooで 「サウンドレコーダー 録音 時間」 で検索したら vector でWAVREC なるソフトを見つけることができた,おかげで少々時間がかかったが無事CD化が出来た.

しかし残念ながら盤面の痛みが激しく, せっかくの 高木麻早 や 谷山浩子 小阪恭子 等々といった懐かしい声が軒並み音飛びやジリパチだらけ,こうなる前に何とかできなかったものかと非常に残念な出来になってしまった.

がんこおやじ

2006-06-16 00:50:38 | Weblog
昨日は多摩地区で労組の会議があり.都内2泊の上京. 今朝の9時35分大島着の船で島に帰った.ここ2週間で3回目の都内行き.帰宅後スグに出社したが,仕事をのあいだ中ダルさが取れなかった.

旅が続くからダルイのではない,朝は東京港を出航するジェットフォイルで島に帰るだけなので,前の晩,都会のネオンに誘われてついつい飲みすぎてしまうからダルイだけなのだが..(^^ゞ

昨晩は独自の辛口味噌「おやじ味噌」を考案し,テレビショップ販売でコールセンターの電話回線をパンクさせるという伝説を作った柳川さんにご馳走になった. 「がんこおやじ」というのは氏の会社の名前.

http://www.rakuten.co.jp/ganko-oyaji/

行きつけのスナックで従業員の紹介だった.初対面だったがなんとなく話がまとまり, 新宿二丁目のピッコラピアッツァでイタメシをいただく. 
芸能人ネタの大好きな方で,ご自分の立志伝の合間に,梅宮辰男,犬塚弘,松方弘樹,…等々といった面々との交友をまじえて食や味を軸にした人生観を語る方だった.
26フィートのクルーザーを所有しており,大島に行きたいとのことだったので,バースの手配の約束をして, 日替わり前にお別れした. 
今日そのときもらったサンプルを出したら,息子がまた買ってきたのと言うので 「?」と思ったら,冷蔵庫に昨年,バーベキュー用になにげなく買った「おやじ味噌」 が入っていてビックリした.  

帰島

2006-06-07 12:56:11 | Weblog
6/3 は同窓会,6/5月曜日は都内で研修ということで昨日帰島した.3泊の都内徘徊はこのトシになると少々こたえる. ことに同窓会は管理人的には近頃最大のイベントだった.
事前に数名の欠席連絡があり最終的には51名が出席となったが,幹事連の心配した当日ドタキャンはゼロだった.32年ぶりに会う同級生もいてなかなか刺激的な会だった.
印象に残った事をいくつか…

体格の変化について
特に女性についてだが,身近な家人を見ているせいか,なんとなく女性は加齢により肥満化するものと思い込んでいたが,ほとんどの人が当時の体型を保っていた. むしろ高校時代ふくよかな印象だった数人は別人と見違えるほどスリム化していて「高齢化イコール肥満」の先入観が間違っていることに気づかされた.してみると家人や古い知り合いの地元女性たちは・・・
風土病か? ヘ(。。ヘ)\バキッ

解散後のこと
会場は新宿駅付近だったが設定した2次会が終了しても予想した三々五々の解散とならない.特に女性連はまだまだ話たりない風情だが,解散後の行動をどうしたものか判断のつかない様子があちこちで見られた.
花の新宿である.各自一息つきながら思い出を語る場所は勝手に見つけるだろうというこちらの予想が外れてしまった. おもえば,気持ちは高校時代にタイムスリップしているが50歳の主婦たちである.夜の新宿に放り出されてもオイソレと休む場所を見つけられないのも,むべなるかなであった.

その後
幹事連を中心に何名かで3次会・4次会と夜もふけてゆく.そのうち都内在住組が終電を逃してしまった.ここで解散とならないのが同窓会.結局駅付近のカラオケに集団で繰り込み始発まで歌って待つことに・・・50歳である.分別盛りである.  役所の係長(女),建設会社の重役,警察署勤務...不良オジン・オバンである.  たった一日のタイムスリップをいとおしむように,70年代のフォーク,キャロル,歌謡曲等々を始発を待つあいだ歌い続けるのであった. 日が昇り,店を出ると,一晩中遊び続けた女の子たちや黒服が交差点にたむろしていた.毎日見られる新宿の朝の光景.

みんな,電車に乗ったら堅気のオトナに戻るんだよ!

大島,献血の日

2006-06-01 01:25:08 | Weblog
大島では35年ほど前から献血は年に一度,日赤が看護士やスタッフ一行を送り込み集団献血を実施している.

管理人自身は勤務先から派遣されたボランティアスタッフとして一日日赤のお手伝いをして来た. 
といっても,さしてできることがあるわけではない.
朝一番で自分が献血し段取りや所要時間をチェックした後,受付要員として会場となった住民センターにきてくれる人たちに献血申し込み書の書き方を案内したり,簡単な質問に答える役目. 
どちらかといえば,実稼動の必要よりは会場スタッフに地元の人間がいることで,献血に来てくれた人達に安心してもらうためのプレゼンス要員.ワタシ自身はあるしがらみからこの役目を20年近く,ほぼ毎年担当してきたのでほとんど戸惑うことはない.

印象的なのは毎年,受付終了間際に授業を終えて飛び込んできてくれる高校生たちの姿.
スレッカラシのオヤジでも初めて献血に来た彼ら・彼女らの生き生きした目の輝きには圧倒される.

残念なのは彼らが前検で落ちる率がおとな以上に高いこと.原因は血液比重の低さは勿論だが,不用意なピアスの穴空けが要因なのが時代の流れを感じさせる.

私自身の献血回数は今日で通算41回になった.