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正法眼蔵 仏性 ぶっしょう その3

明日から

暖かくなりそうです

ようやく

函館まで

開通しました

札幌までは

15年後です

 

むかし

インドに

仏教の大学者がおられました

龍樹尊者  りゅうじゅそんじゃ

といわれます

尊者は説法をします

「汝、仏性を見ようと思うのなら、まず須く我慢を除くべし」 (我慢がまん=自我=固定観念)

 

尊者はそういって

身をもって

仏性の相を

あらわしました

それは

満月のように

まんまるの

輪相でした

 

道元さまはいわれます

仏性を見るということは

自我を除くことである

自我を除くこと

こそが

仏性を見る

ということである

これを

円月の相という

これを

坐禅端坐

という

さらに

仏性をいうならば

垣根・壁・瓦・石ころ

もっというならば

頭が三つで腕が八本  (観念では理解できないかたち)

ということである

 

すべてのものに

仏性は

平等に

そなわっているのですが

人には

固定観念があり

そこから

なかなか

抜け出せないということでしょう

 

 

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正法眼蔵 仏性 ぶっしょう その2

いつまでも

寒さが続きます

 

禅宗の初祖は

ダルマさんです

4祖は大医道信禅師  だいいどうしん

5祖は大満弘忍禅師 だいまんぐにん

です

 

4祖が

童子の時の5祖と

初めて会ったときの

問答です

4祖 「汝は何の姓ぞ」 なんじはなんのしょうぞ

5祖 「これ仏性」 (性と姓は音が同じなので掛けています)

4祖 「汝無仏性」 なんじ むぶっしょう (おまえには仏性がない)

5祖 「仏性空なるが故に、無という」

 

4祖大医禅師は

この問答によって

童子の5祖を

出家させ

のちに

禅宗5祖の地位を与えました

 

道元さまは

4祖の

この「無仏性」を

とても褒め称え

無仏性は

一心に坐禅して

得ることができるのであり

「無仏性」を

精進して

身につけなくてはならない

といわれます

 

無仏性の

無は

相対を超えた

絶対の

「無」ということです

つまり

無仏性とは

仏さまそのものの世界

ということで

宇宙そのものが

仏性ということでしょう

 

 

 

 

 

 

 

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正法眼蔵 仏性 ぶっしょう

今朝は

冬に逆戻りです

 

一切の衆生は悉く仏性あり  いっさいのしゅじょうはことごとくぶっしょうあり

お釈迦さまはいわれました

仏性とは

仏さまになる性質・種のことです

すべての人には

仏となる

種があるという教えです

 

ふつう

凡人が修行の成果により

仏性があらわれる

と考えがちですが

道元さまは

一切の衆生は悉く仏性あり  

とは

「仏性がそのようにあらわれた」

という意味である

といわれます

さらに

あらゆる世界がみな清浄で

われわれを汚すものはない

だれとして仏と一体でない者はない

ともいわれます

 

佐藤初女先生は

ことばだけで考えているときは本物ではないですね

気づきがあったら動きます

心の奥にはことばを超えたいのちの筋があります

ことばを超えなければね

といわれました

 

仏性とは

キリスト教の

気づきのことです

 

気づきにより

人は

仏の本性が

そのままあらわれるのです

仏の本性でないものは

ないのです

 

 

 

 

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彼岸明け

森のイスキアから

佐藤初女先生の

本と

写真をいただきました

 

今日で

お彼岸の

一週間が終わりです

 

みなさま

無事に

お彼岸へ

渡られたでしょうか

 

初女先生は

苦しみから立ち上がるには

人のために動くことです

喜びに満たされたときも

人のために動くことです

人のために働き

人に喜んでもらえると

なにものにも代えがたい

深い感動に満たされます

それは

誰もが持つ天性です

といわれます

 

初女先生は

カトリックの方ですが

まさに

布施行の

ご生涯でした

 

 

 

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朝焼け

きれいな朝焼けでした

それにしても

今年の

お彼岸は

寒いです

 

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