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正法眼蔵 大修行 だいしゅぎょう その2

中国

百丈懐海禅師が  ひゃくじょうえかい

説法をする席に

一人の老人がいました

禅師が問う

「あなたは何人か」

老人が答えて

「私は人間ではない

むかし迦葉仏のときに  (かしょうぶつ=お釈迦さまの前の過去七仏)

かつてこの山に住職していた

そのとき

ある僧がたずねた

大修行を悟ったものも

因果の道理に落ちますか

その僧に

因果に落ちず

と答えた

その結果

私は

500生の間

狐の身におちたのです

いま

禅師に問う

大修行をさとったもの

因果の道理に落ちるか

私のために

代わって答えてください」

禅師は

答えていわく

「因果にくらまさず」 (因果の道理から逃れられない)

その答えによって

その老人は

狐の身から脱した

 

道元さまはいわれます

この問答こそが

大修行  (因果の道理にとらわれないこと)

そのものなのだ

 

 

 

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真理とは ()
2016-03-31 20:17:52
何を言わんとされているのか、仏教の問答、禅の問答とは私にとっては非常に難解です

因果に執らわれすぎて、因果に落ちない世界を妄想したために野狐の身に堕ちたということなのでしょうか。
ならば、因果に落ちる落ちないは、生というものがそのまま因果であるので有り得ないことですし、
昧い昧くないは、因果を意識し執着しているということを意味しているのでしょうか。

因果というものに実体はなく無常で、
悟りを開いた人は身心脱落しているのならば、因果の法則に支配されるような物質的存在ではないので、
因果をそのままにするということになるのでしょうか。
なんだか、絶対的な正しさを見つけることは、誰にも、そしていつまでも出来ないこと。
人が思いつくことは現在の自分を超えることが出来ないのだから、
いくら考えても分かり得ないことがあるという真理を感じました
私の頭がパンク寸前ということは事実です
 
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