樹業人~風の通心

持続可能な社会や森林・建築・木製品について、気ままに こそっと考える為のネタ帳です。

妛原ホタル狩りと 霊仙

2012-07-01 | 森林と樹と人

多賀町の河内の風穴から、少し行った所に、妛原(とあげんばら)いう村があります。
毎年、ホタル狩りと称し、昼間からバーベキューをはじめ ホタルを見て 数人がお泊りするという長時間のイベントです。私は、夕方から参加。

おかげで、ついていきなり サントリー響 やら それがなくなると バランタイン17年ものという終盤のゴージャスなお酒にありつけました。うふっ。



お家をお借りしている藤本さんは、長年 この地域で林業をされていて お会いしてお話を聞くのも楽しみの一つです。私は、よぼよぼの祖父しか記憶がないですが、山で木を買っていた頃の祖父をご存じで、初めてお会いした時は、若い子(私のことです!!w)が林業の話しをしてくれるのが、うれしい! と言って頂き、妙な使命感が芽生えたりもしていました。
私は、林野庁の方針が少し変わったので、いかがされているかと気にもなっていました。

ここは、芹川の上流になり 多賀から彦根 びわ湖へと流れて行きます。
このあたりは、既に廃村 もしくは 数人しか住んでおられない村々も多く、藤本さんも普段は多賀の町の方でお暮らしです。

このお家のすぐ前が芹川です。

昼間から、飲んでいるおじ様方は、早々と爆睡モードに入られるので、私はしばし川べりに座って、山と川音を聞きながら 眠くなるまでボーっと過ごします。
携帯が圏外で暗いので 強制的におこる状況なのですが、この時間が大好きで いつもお泊り組み。川の音も結構大きいのですが、自然の音というのは 心地よく すぐに眠くなってきます。

おくどさんもありました。普通母樹林 滋賀県の看板が 蓋に(笑)

営林しょか県かわかりませんが、4月に担当になったと知らせがきたっきり、一度も現地に来ていないと言っておられたので、心当たりがある方は ぜひ 山を見て話を聞いてあげて下さいませ(笑)
最近は、天然記念物で探すのも大変だったカモシカが、この家の前をウロウロしているようです。こちらも、保護で増えすぎて・・・という事がないとよいのですが。鹿と比べて、ずっと美味しいので 頭数が減ったという経緯もあるので 「おいしかったですか」ときくと「おいしかったぞぉー」とのこと。ふむ。
鹿に関しては、木の皮をめくるだけでなく、イタドリやふきなどの山菜、あじさい、山椒の木、ササもやられ、とりかぶと と数種の草しか残っていないとの事。
でも、たまに とりかぶとを食べてしまう鹿もいるらしく、死んでいる頭数が増えたそう。

木の皮をめくってしまうので、今は、奥さんとテープを巻く仕事をしているが、テープは5年ももたない事や 厄介なのは子供の鹿は谷に降りて水が飲めないので、根っこの皮をめくり 甘皮で水分を補給していて 対処の方法がないこと。もちろん、根がやられたら 木は枯れる。

その他は、多賀牛蒡(ごぼう)というのが、有名だったと 
多賀大社叢書〈典籍篇〉 (1977年)というマニアな本で読んだので、聞いてみました所 桃原の土地が適していたらしく とても小さくてシャキシャキとしたゴボウで 京都の料亭にも出していたとのこと。
又、権現谷?では、山の斜面一面では長いタイプのごぼうを生産していたと。

○○畑というのが、山の地名に多いのは そういうことだったのねと実感。
 今のような道や車がない時代にも、朝とった野菜は、その日のうちに彦根の市場に運んだそうです。なぜ、こんな不便な所に村があるのかという疑問が 一つ解決。職住接近だったのですね。
又、河内など霊仙山の集落には、少ない戸数でもお寺や神社、昔の修験道があり なんだか行事が多いとの事。昔昔、霊仙の山頂に寺があり、焼射ちか何かにあって 逃げてきた僧侶が村をつくったのではという話も・・・。

霊仙というと、日本人で唯一の三蔵法師で、空海・最澄と同じ時期に遣唐使として唐にわたり、あまりに優秀で帰国が許されなかったという僧侶の生まれた所。山の名前も、その霊仙三蔵からきているらしい。空海・最澄のその後の活躍を思うと、もし 霊仙さんが帰ってきていたら、ずいぶんと日本の仏教は変わっていたかもしれないぁ。

多賀の犬上御田鍬が第一回の遣唐使 630年で 霊仙三蔵は804年の遣唐使。 
とにもかくにも ずいぶん昔の話である。

 


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