今日、ずいぶんご無沙汰していた友人と 久しぶりに電話で話をした。
週に 2-3日 実の父上の介護に実家に帰っているという。
数年前から、両目が見えなくなり 寝るのも起きているのも辛い事や 目を見えるようにしてくれと言われるらしい。
その父上は、ずっと山仕事をされてきた。手塩にかけて育ててきた山が、いくらにもならない現状をなげかれ 心残りだと言われるそうだ。
心が痛む。ほぼ寝たきりの状態で 生涯をかけて育てた山に心を残されている。
木は、なかなか一代で収穫できるものではない事はご存じのはず。
子供や孫に 財産を残せたと思えるか 思えないか そういう事なのだろう。
サラリーマンならば、その時のお給料が財産になるが 林業のように時間のサイクルが長いものは 世代をまたぐことになる。
少しでも、未来に希望が持てることを 伝えてあげられないものだろうかと思う。
どんどんと、山を知っている人がいなくなっていく。
いそがなくては・・・。
仲のいいオトコで、ガンから立ち直った英ちゃんが言ってた。自分が幸せになったらガンが治ったって。
自分がもっと山を深く思えば、きっと101匹目のサルが現れるんだよ。自分が意識していない遥か遠くで、確実にポーンと現れるんだ。大事なのは、自分を信じて待つことかもしれないね。
なのに 結果を早く求められたり 早く出そうとする。
炭作くんのブログに書いてあった 違和感 も そのせいでは。コンサルさんや行政さんの腰を落ち着けてやる気がない提案とか。仕方ないんだけどね。
やりにげする気だな、形だけ作って 後は 地元でね 僕たちはやる事はやったよ と いうのが見えるから 土着している人間は簡単に乗れないんだよね。
関係者の身の丈を揃えるのが、一番骨が折れて時間がかかる。それをわからない人は外向けの事しかしないし、わかっている人は手をつけない。
地域に入って活動している炭作くんが101匹目のサルなんじゃないかなぁ。
「地域のため」って言いながら、自分の名を残すことが目的なのかな。
そんな彼らにとって、僕はうっとおしいはず。
でも、あちこちで志を持ってる人たちと話してると、101匹目の猿が、ホントにあちこちで同時多発的に出てきてる。これはね「約束された出来事」なんだ。それをまっただ中で実感できてることは幸せだなあ。