隊員NO.4まこで~す
10月10日(木)の加賀市観光ボランティア大学第13回講座で、西島明正さんに
「山中温泉と松尾芭蕉」について教えていただきました。
今日は芭蕉の俳諧のこころを記した『山中問答』について、あさの先輩が昨年記録
された記事をご紹介します。
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1689(元禄2)年8月3日(新暦9月16日)、久しぶりに夕方まで雨が降り続きました。
松尾芭蕉が山中温泉に逗留して7日目のことです。
この頃、芭蕉は金沢から同行している立花北枝の質問に答えて、俳諧のこころを
語っています。その芭蕉の言葉を北枝が書き記したのが『山中問答』です。
この『山中問答』は、芭蕉が唱えた正風俳諧を研究する上でとっても貴重な史料
なのだそうです。
『山中問答』
正風の俳道に志あらん人は、世上の得失是非に迷はず、烏鷺(うろ)馬鹿(ばか)の
言語になづむべからず。天地を右にし、萬物、山川・草木・人倫の本情を忘れず、
落花散葉の姿にあそぶべし。其すがたにあそぶ時は、道古今に通じ、不易の理を
失はずして、流行の変にわたる。然る時は、こころざし寛大にして物にさはらず、
けふの変化を自在にし、世上に和し、人情に達すべしと、翁申たまひき。
自然と人生に基礎をおく民衆的な文学を、「俳諧」という芸術に創り上げたのが
芭蕉です。そして芭蕉自身が諸国を行脚し、深く自然と人生に思いを込めながら
広めた俳諧を「正風俳諧」とよびます。「正風俳諧は万葉集の心なり。されば貴となく
賎となく味うべき道なり。」とは芭蕉不滅の名言です。
『山中問答』の中にある「不易の理を失はずして、流行の変にわたる」(=不易流行)と
いう考えは、芭蕉が『奥の細道』の5カ月の間に体得したものといわれています。
「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、流行(変化)を知らなければ新たな進展
がない、しかもこの不易と流行のもとは一つ、不易が流行を、流行が不易を動かす」
「不易」は変わらないこと、すなわちどんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対に
変わらないもの、変えてはいけないものということで、「不変の真理」を意味します。
逆に、「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従ってどんどん変わっていくもの、
あるいは変えていかなければならないもののことです。
「不易流行」はもともと俳諧に対して説かれた考え方ですが、何か人生すべてのことに
通じているように思えますね。
←芭蕉堂
←『芭蕉と山中温泉』(西島明正著)
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この世の中には、変えてはいけないものがあると同時に、変えていかなければならない
ものもあるのですね。とっても奥が深いです。「不易流行」って、大事にしたい言葉ですね。
(ブログ作成にあたっては、西島明正著『芭蕉と山中温泉』を参照させていただきました)