実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

「動橋町」を歩く・宿場町の面影がたっぷり!!

2013年06月18日 | 日記

隊員NO.4まこで~す(^_^)v

わたしは6月15日(土)に行われた加賀市観光ボランティア大学第6回講座

 北国街道の宿場町・動橋チハカ山 ササユリと動橋ブラ散歩」で、

北国街道の宿場町の面影を残す動橋町を散策しました。

藩政時代、大聖寺藩の北国街道沿いには月津・動橋・大聖寺・橘という4つの

宿場町がありました。その中でも山代街道との分岐点であったここ動橋

とても栄え、本陣(橋本家)・中屋・粟屋・十兵衛宿など数多くの旅籠が並んでいた

そうで、いまもその面影がいたるところに残っていました。

また動橋は明治期まで水運の拠点として栄え、小松市の安宅から柴山潟を通って、

北海道の鰊粕が輸送され、肥料商として活躍した家も多かったそうです。

動橋(いぶりはし)」っていう地名は読み方が難しくて、

北陸本線・富山県のJR「石動(いするぎ)駅」とならんで、地元加賀市の人以外は

ほとんど読むことができないそうです。

動橋」という名前の由来は、金沢市出身の江戸時代の測量技術者・土屋又三郎が

記した『加越能大路水経』(1714年)という地誌に

「此橋昔は一本木にて架たり。人渡れば動く故いぶり橋と云」とあり、古くは丸太橋で

渡ると揺れ動いたため、いぶり橋になったといわれています。

またインターネットを調べたら(「Yahoo知恵袋」より)、「動(イブリ)」とは

「火の神(正式には火山女神)」の意味に通じ、「橋(ハシ)」は川を渡る橋ではなく

「カジ=鍛冶」の音変化であり、動橋」の語源は遥か古代、弥生期からあって、

「火と鍛冶の信仰」地域だとする説も紹介されていました。

町の中心には動橋宿の本陣をつとめていた「橋本酒造」があって、

町の観光の拠点になっています。

みなさん、お時間がありましたら、是非動橋の町を散策してみてくださいね!!

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