実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

必見!蓮如ゆかりの徳性寺(山中町菅谷)

2012年12月30日 | 日記

隊員NO.4にいなで~す!

わたしたちは12月11日(火)の課題研究の時間に、講師の家山勉先生とご一緒に、

山中町菅谷にある徳性寺を見学させていただきました。とても寒い日でしたが、

ご住職の春木秀城さんに蓮如徳性寺とのかかわりについてお話いただきました。

ご住職には大きなストーブまでご用意いただき、本当にありがとうございました。

加賀市内のお寺の中で、蓮如が実際に足を運んだ記録が残るところは意外と少ないの

だそうです。そのような中で、ここ徳性寺には、蓮如が訪れた記録が残っており、

蓮如ゆかりの品物が今でもたくさんあります。実際にいろいろな品物を見せていただき、

わたしたちはビックリしました。

私たちはご住職の春木さんにひとつの質問をしました。それは「蓮如はどうやって加賀の

人びとに自信を与えたのですか?」というものです。

その質問に答える形で、春木さんは蓮如徳性寺に来たときのエピソードについて、

ていねいにご説明下さいました。

1473(文明5)年9月、吉崎御坊にいた蓮如は越前藤島の超勝寺に滞在した後、

山中温泉で体を休めようと、加賀越前の国境にある大内峠を越えて、ここ菅谷に来ました。

そして現在の徳性寺の前にあった石に座られたそうです。

当時の徳性寺は浄土真宗でないどころか、蓮如とはげしく敵対する天台宗豊原三千坊の

ひとつ西潟の西方寺とよばれるお寺でした。蓮如はなんと敵方のお寺に飛び込んでしまった

のです。ここでは当然、西方寺の住持と問答になりましたが、蓮如の熱心な話に住持は

「阿弥陀仏」の教えに従う決心をしました。

そのとき住持は「私のような者でも浄土へ行けるというなら、その証拠を見せてください」と

いいました。すると蓮如は「私が言うことを信じて下されば、極楽往生は間違いありません。

その証拠に、その土の下から清水を出して見せましょう。」と、椿の杖を刺し抜きました。

すると土からは清水がこんこんと湧き出たそうです。また、蓮如は一粒の梅の実をまき、

まきおきし一粒たねに八房の みのらば弥陀の誓いとぞ知れ」と一首をよみました。

毎年この実からは真っ赤な花が咲き、一つの花から八つの実がなり、菅谷の人びとを

驚かせたそうです。菅谷の人びとはこぞって蓮如の信者になったといいます。

蓮如は、山中温泉を出発する際に「蓮如上人身姿自画」「三方正面阿弥陀如来画像」「六字名号」

などをいまの徳性寺に与えられたそうです。

当時の菅谷の人びとは、京都から来た偉いお坊さん・蓮如から

「誰だって、極楽往生できるのですよ。」という言葉を直接聞き、とっても自信をつけたのでしょうね。

徳性寺には、このとき蓮如が持っていたとされる「椿の杖」や「水晶の念珠」などが残されていて、

見学することができます。展示品の中には、当時蓮如が背負っていた今でいうリュックサックもあって、

その大きさに驚かされました。

四季おりおりに美しく、蓮如ゆかりの徳性寺は隠れた観光スポットで、必見ですよ!

ご住職の春木さんがつくられている徳性寺の素敵なホームページをリンクさせていただきました。

みなさん、ホームページで蓮如ゆかりの「徳性寺」の魅力をご確認の上、ぜひ一度おたずね下さい!

「徳性寺」ホームページ(←クリックしてください!)

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