僕がドイツに足を踏み入れたのは、1977年8月1日でした。
ですから今年の8月1日の記事にすればよかったのですが、
思い立ったが吉日とか言いますので、その日の足取りを追ってみました。
羽田からアエロフロートで7月31日にパリに入り、
翌日、パリからハンブルク空港に来たのですが、
空港からここまでどうやって来たのか、全く思い出しません。
当時、ここには2番の市電、チンチン電車が通っていました。
これは市中方面です。
これも同じ通り、反対方向です。
当時はインターネットがなかったし、Eメールもなかった時代です。
手紙で、ある学生寮に来るように、と書かれていたので、
書かれたように、その市電の停留所で降りました。
でもどの方向に行けばいいかわからなかったので、
まずこのタバコ屋でハンブルク市の地図を買ったのです。
このタバコ屋の外見は記憶にありません。
そして地図を見て、学生寮の方に歩き始めました。
この日は青空と雲がいい感じでしたね。
進行方向に目を向けると、こんな車があったのです。
これは通り過ぎてから撮りました。
三輪車、珍しいな、と思ったのですが、メーカーはピアッジオ、
ヴェスパを作っている会社ですね。
ローマの休日でオードリー・ヘップバーンが運転して、
街中をメチャメチャにしたあのスクーターです。
話が横にずれました。
そして地図に従って大通りを右に曲がります。
瀟洒な建物が並ぶ通りでした。
でも当時の事は覚えていません。
なにしろたどり着くのが先決で、周りを見る余裕はありませんでしたから。
花を見ると撮りたくなります(笑)
こんな教会でしたら結婚式を挙げてもいいな、と思うでしょうね。
いつぞやの田舎の教会はちょっと尻込みしますが。
正面を左に曲がれば目的地ですが、今日はここまでにしておきます。
今日もジージのブログを訪問いただき、
ありがとうございました。
どうぞお気軽にコメントください。
では次回まで
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ヴェスパを作っている会社ですね。
ローマの休日でオードリー・ヘップバーンが運転して、
街中をメチャメチャにしたあのスクーターです。
話が横にずれました。
そして地図に従って大通りを右に曲がります。
瀟洒な建物が並ぶ通りでした。
でも当時の事は覚えていません。
なにしろたどり着くのが先決で、周りを見る余裕はありませんでしたから。
花を見ると撮りたくなります(笑)
こんな教会でしたら結婚式を挙げてもいいな、と思うでしょうね。
いつぞやの田舎の教会はちょっと尻込みしますが。
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私だったら、都会とはいえ異国に一人、不安150パーセント !です。ジージ様は希望に燃えていらしたのでしょうね。
僕はどうしてもドイツで勉強したかったし、不安はあってもそれを乗り越えなければなりませんでした。
希望はあっても、まずその前に入学試験があるので、それに落ちたらどうしようかと考えていましたね。
だからこの当時、先に光は見えていなかったのです。