sirius

SiriusとAldebaranとPolaris

花へんろ 海の巻

2015-05-17 19:09:22 | 日記

三巻読み終える。

海の巻き、広島・長崎に原爆投下。

もう少し前にポツダム宣言を受諾しておれば、

なかったと思える。

 

本土決戦に備えて竹槍の訓練。

戦国時代じゃあるまいし。

近代兵器を持って上陸してくる敵兵に!

 

著書より抜粋

・・・・全国の中学校で、こうした軍事教練が正課として導入されている異常さを、

誰も異常と思ってなかった時代である。

 現在から思うと、ほんとうに異常だと感じるのだが、

そのころは不動しばりにあったごとく、

教育現場はもちろん全国民も、”お国のため”と心底から思い、

日本はじまって以来の容易ならない総力戦争に、

悲しいほど、ずっぽりとはまっていたのである。

 

著書より 

 十一月になって、新しい日本国憲法が決まった。

 それは、静子たちを仰天させるものだった。うれしい男女同権、”神聖にして侵すべからず”

の天皇は単なる象徴となり、何よりも衝撃的でだったのは、

『戦争ヲ放棄スル』

の一項であった。

 

 

 

一見して平和に見える今の時代、

秘密保護法で国民の口を塞ぐ。

一政党が、与党とはいえ、

いや、それであるが故に、

放送メディアを呼び出して免許取り消しをチラつかせて恫喝。

 

ジャーナリストも少しづつ腰が引けてきている。

と、感じる。

 

先のような戦争にはならないと思われる方もいるかもしれない。

むしろそちらが多いだろう。

しかし、戦争は戦争。

どんな形態であろうが人と人が殺しあう。

現に、あちらこちらで紛争とはいえ無辜の市民が犠牲になっている。

G7かG8かG20か知らないが自国の利益優先で角突き合わせている。

そのかげで、死におびえて暮らすひとびと。

 

この巻で特に今の時代「眺め」がダブってくる。

 

あとがきで著者は、

戦後を書かなければ本当の意味での「昭和の眺め」にならないと。

あと一つ、

敗戦でなく終戦とメディアで報じられている。

著者もこのことはやはりおかしい。

終戦ではない敗戦なのだ、と。