きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

私の賜物

2013年02月28日 | 羊のご飯
大好物は鶏のから揚げ。若かりし頃は、ほんとうにいくらでも食べられた。それほど好き。味にもちょっとうるさい。でも、やはりアラフォー族になり、年を重ねるごとに、揚げ物はメニューから遠ざかる。何しろ揚げ物は揚げる作業中に、おなか(というか胸)がいっぱいになって、揚げたてアツアツでも心を惹かれない。だから、お手軽に買うだけのスーパーのお惣菜で満足させてしまう。

そんなある日。教会の若い子に時々お料理を作ってあげるのだけど、何気に「今週は何作ろうか?」と訊いたところ、「から揚げ!」と来た。思わず目を剥いてしまう私。その顔を見た気のいい彼は、「あ、何でもいい、何でもいい。」とフォローしてくれるけど、最初に希望を訊いたのは私だから、この反応は愛がないよね。。。ということで奮起して久々のから揚げに取り掛かった。

基本は母の味だけど、母から教わったことはなく、まったくの自己流。お世辞かもしれないけど、みんな「美味しい!」と言ってくれて、作り方を聞くのだけど、ただニンニクをすりおろしたお醤油にサッとつけ、片栗粉をまぶして、揚げる。これだけ。の時間はどのくらい?とか、の揚げる時間は?とか質問が多いけど、母同様、計量カップやタイマーは調理場にないタイプなので、お肉がいいつけ加減の色になったら、お肉がいい感じで色づいてきたら、と、いい加減な教えしかできない。今回はほんと久しぶりだったので、やや色の読み方が甘く、見かけはあまり美味しそうならなかった。失敗かな、と念のためお味見すると美味しい

自分で作って、しかも揚げたばかりなので食べる気全然しないのに、ほんとうに美味しかった。スーパーのお惣菜なんて、まったく別物。まさに五つ星。(自分でほめちぎるなんて、相変わらずいい性格だね、と言われる前に自分で言う。)ほんと、美味しかった。で、調子に乗って翌日、自分のお夕食メニューをから揚げにしたところ、今一つの出来。そこで気づく。受けるより与えるが幸いである。

ほんとうに美味しいものって、人に与えるから美味しさが増す。時々、半分を誰かにあげてしまってから食べて、あげなきゃよかった、って思う美味しさの時あるでしょう?あげなかったら、その美味しさにはならなかったのかもしれない。ほんとうに良いものも、人に与えて良さが増す。聖書は「分け合うこと」「与えること」を教えてくれているが、これはまさに真理。そして、私ができることで、誰かのために一生懸命に仕えるとき、それは神様の目に留まるんだ。たとえから揚げであっても。

最近、神様から私がいただいた使命ってなんだろう、なんですか?って祈り続けて、出会ったこの事件。から揚げは私の使命かもしれない。でも、願わくはこれだけで終わらないように。また神様に願い求めよう。