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ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

自分に優しくなれた日、最近思うこと

2015年05月11日 | 日記
「愛するとはね、相手を生かすことですよ」

小説「ひつじが丘」 三浦綾子 作 より


一週間近く、疲れがきっかけか寝込んでしまった。前半は朝食にもほとんど起きる事が出来ず、安定剤を飲んで、まる一日布団に包まって寝ている日が続き、正直「また引きこもってしまうのだろうか?」と不安だったが、今日の午後から起き出し、昼食後、本当に久しぶりに茶の間でDVD「氷点」を見ていたら「外に出よう」という気になれた。書棚から一掃した本を二袋抱えて、ブックオフに売りに行けた。それだけでも嬉しかった。それ以上に嬉しかったのは、前回ブックオフに間違って売ってしまった私の本が、ちゃんと108円の書棚に並べられて売っていたのを買い戻せたことだ。それがこの画像の本「ひつじが丘・泥流地帯」の本である。
前回売った時、実は間違って一時取り置きしていた必要な本まで売ってしまったのだった。売ってしまってそんなに不自由はしなかったのだが、この本のように「しまった!」と思った本も数冊あった。特にこの本は、10余年前私が入院していた時、外出できない私のために母が本屋から買ってきてくれた本だったので、今日買い戻せた喜びはひとしおだった。

一週間ぶりに外出できた事と、一人で重い本を運び売りに行けた事。またこの本を買い戻せた事、夕方から母と一緒に庭の水撒きや、夕食の支度、後片付けなどを出来たためか、今日は久しぶりに自分に優しくなれた気がした。本当は具合が悪い時こそ、自分に優しくなれれば最高なのだが、実際はなかなかうまくいかない。こんなことを書いていると、かつて熱心に受講していた、米沢興譲教会の田中信生先生のトータル・カウンセリング・セミナーで習った、doing(行動)ではなく、being(存在)を大切にする事、何が出来たかで人を評価するのではなく、人の存在そのものが大切なのだという事、を学んだのに、生かせてないなあ・・・と、苦笑してしまう自分がいる。

一番初めに私がキリスト教に触れたのが米沢興譲教会に連なっている、山形ジョイフルチャーチと、トータル・カウンセリング・セミナーだ。本当に田中信生先生、奥様の芳子先生、ジョイフルチャーチの丸山先生、より子先生にはお世話になった。丸山先生・より子先生ご夫妻には、新婚の頃からずっとお世話になった。

先日久しぶりにより子先生と出会い、その後、今年もテルサで6月下旬に催される、田中信生先生の講演会のお葉書を頂いた。会場がテルサになってから、私は伺った事がないのだけれど、今年珍しく「久しぶりに信生先生のお顔を拝見してメッセージが聞きたいなあ」と思った。一つ問題は今の私の自宅の駐車場が歩いて5分と言う事である。今の駐車場に変えてから、実は夜帰宅したことが一度も無い。今の駐車場にして一つ不自由しているのは、帰り道に街灯が少なく、正直全く安全に安心して帰れるとは言い難いことである。なので、できるだけ陽の高いうちに今は帰宅している。信生先生の講演会は6時30分からなので、帰りは今までを思い出すと、9時過ぎにはなると思う。今日家族に講演会の事を話したら、「まだ日にちがあるし、その時に考えたらいいよ」「もしできるのだったら、夜駐車場まで迎えに行ってあげる」と、家族皆、優しく言ってくれたのでありがたかった。6月の講演会当日まで、祈って待ちたいと思う。

今日、自分に優しくなれた、と書いたけれど、その中で「与えられたもので心足りる」と言う思いを、私は人生で初めて実感したからかもしれない。画像の「ひつじが丘・泥流地帯」を、ブックオフの買取を待っている間に売り場で見つけ、それが間違いなく母が私に買ってくれたものだ、とわかり、買い戻した時、正直今日売った本より何倍も価値があるような気がして嬉しかった。今までの私の人生の中で、私は本でも何でも欲しいものはすぐ与えられてきたせいか、一冊の本を今日ほどの感動で買い戻した記憶が無いような気がする。そして、今日初めて「与えられたもので心足りる、気持ちが満足する、と言うのはこう言うことか」と、ひときわあたたかく、厳粛な気持ちになった事も初めてな気がする。そう言う意味で今日の一日は、私自身にとって、大きな一日だった。

実はこの画像は、初めてスマホで本を撮影し、パソコンに送るのが成功した画像である。記念すべき一枚を、この愛おしく大切な本に出来たのは嬉しい。





外出すると大人から子供まで、たくさんの人がスマホを持つ時代になったが、実は我が家でスマホを持っているのは私だけである、と言っても、昨日でスマホに変えてから7ヶ月になるのだが、正直私にとって、スマホはパソコン同様、便利な反面、ちょっと怖い存在であることも否定できない。

ガラケーのPHSを持っていた頃と違って、スマホは簡単にネットに接続できるので、パソコンのネットサーフィン状態になってしまうのが一番の私の弱さであり、怖れである。私はパソコンを自分の部屋に持っていないので、スマホを持ってから初めて自分の部屋でネットを見られるようになったが、これが下手をすると、延々ネットを見るという悪循環になってしまいかねない。スマホを未だにほとんど使いこなせていない私には、ガラケーのPHSから、スマホに切り替えてから、正直物凄いストレスになった時期もあった。今はだいぶ慣れたが、私にとってはスマホの不都合な部分もわかり、実は思い切ってガラケーの携帯に戻そうかな?と、今思案中である。スマホも良いところがたくさんあるし、今の主流なのかもしれないけれど、スマホに自分自身が使われてしまっては本末転倒なので、この事もゆっくり考えて決めたい。思い出すとスマホに切り替えた時は、精神的にとても不安定な時で、交換してからしばらく後悔したので、今回も焦らず、私にとって何が最善なのか良く考えて決められたら良いなと思う。

最後に。最近前より何倍も祈るようになった。それだけ自分というものがいかに助けられ、生かされているかを実感しているからかもしれない。

今夜は久しぶりに手元に帰ってきた本の手触りを懐かしみながら眠りたい。





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