岩魚のひとり言

不良中年の戯言ブログ
日々の暮らしで感じた事を自由に書いていきます。

9月も終わり・・・そして社長へ

2004-09-30 09:09:06 | 日記
 いやはや、時間の流れは速いものである。もう9月よそれも終わってしまう。
何も出来ないうちに今年も??終わってしまうのかなあ。
世間では、オリンピックや、閣僚改革、イチロー選手が大記録を作るのが目前、
松井秀選手は活躍しているしもういろいろなことが流れているのに・・・。
 この世の中の流れにのっていないなあ。いやのれないのだ!
本当に困ったものである(社長談)
 元来のんびりした性格で、あまり動じない?のほほんとしているから自分でも変わらなきゃ!!
でも変われないのよねえ。とにかく結果見てよと言うしかないのだから。
本当に気まぐれで、気持ちが乗らないとダメ!わがままである。
こんな僕でもフォローしてくれている、嫌な顔を時々したり、泣かせたり、困らせたりしているけど社長に感謝、
あんたがいなけりゃ何にも出来ないから・・・なさけないけどと言うことでこれからもよろしく!!
人に迷惑かけるつもりはまったくないんだけれど、なんか知らないうちに迷惑かけてしまっているんだ。
かけないようにしょうとすればするほどかけてしまう!どうしたらいいの?
気配りってやつができてないのかなあ??

釣り人

2004-09-29 09:00:38 | 日記
 僕の友達で女性の釣り人がいる。
実際にまだあったことはないのだがメールで時々やり取りしている。
彼女は、とても渓流が好きだということがわかる。
独りで釣行するらしい、そのための車を変え買えた???
また、旦那とお子さん達がいる。ホームページから見ると旦那と一緒に
釣りにも行っているらしい。こちらかすると理想的な家庭にうつる。でも子供はどうしているのか?
なんとなく仲良し家族で、やさしい二人なんだろうなあと思ってしまう。
そんなやさしさが釣りの釣行記にも表れている。
 やんちゃな性格のまま釣りをしている僕から見るとほんわかと思ってしまう。
でも本質は違うぞー!!やさしさは大切だが・・・おしとやかさはない!!!
やっぱり元気で活発でずんずん先に進み「まってくれ~。」と旦那に言われ続ける
「おきゃんな」(古い表現???)女性だろうなあ。(本当は気が強かったりして・・・。)
 いずれ女性だけの渓流釣りツアーでも企画しようかなあ??社長も女性だし音頭をとってもらってと・・・。
社長も自然が好きなんですよ。やさしいから・・・!本質は明るい元気娘なんです~。
もっと、釣りの好きいやいや自然が好きで便利になりすぎた社会生活とのバランスがとれるくらいの
自然を楽しむことができる女性がもっともっと増えればいいのに!!
まあ、脈釣りの場合、虫を針につけなければならないので虫が嫌いだとだめなのか・・・!
そういう人はぜひFly Fishingをやってほしいなあ!
 基本的に釣り人は自然と共有が出来るやさしさがあってほしいなあ。僕はやさしくはないけど
少しでもやさしい人間になるために(妖怪から人間になりかけ中?)ごみは持ち帰っている。
ましてやごみ拾って帰るくらいだから・・・。
自分でできることから釣りを自然を楽しみたいよね。
 

じいちゃん4

2004-09-28 06:19:01 | 日記
 本当にじいちゃん子だったなあ。
小さい頃、珍しく体調、健康面に不安があり何年間は医者へ通った。
そこがとても遠いところで、よくじいちゃんに連れて行ってもらった。
帰りに必ず、本屋へよってよく本を買ってもらったけ・・・。
当時は。恐竜が好きで恐竜辞典やそれらに関する本を結構買ってもらった。
シートン動物記も買ってもらったっけ、シートンの本で自然の大切さを
学んだようだ。その頃からセカセカするのは好きじゃない!のんびりとした性格が
できたようだ。じいちゃんものんびりした人であわててものごとをこなしていくという
ような姿は見たことがない。今思うと生き急ぐようなことはしなくてもいいんじゃないか!
と見本をみせてくれている様だった。
 そういえば、本ばっかりではなく帰りは遅くなるのでよく治療がおわったあと、食堂へ
入った。その頃のよく食べたものは「カツどん」それまで食べたことがなかったので
この世の中にこんなご馳走があるんだ!!と思い食べている。
 いまだに「カツどん」は僕にとってはご馳走で思い出の食べ物である。
でもあの時に感じた美味しさはなくなってしまった。多分今のほうが美味しいと思うのだが・・・。
あのわくわくした中で、おじいちゃんと食べたあの「カツどん」の味、今もそれを超える味にはであってない。
実際はたいしたことないだろう!でも美味しかった。そうそうあそこは「ニコニコ食堂」だった。
小出町の橋のたもとにあった。食堂だった。

疲れた!

2004-09-27 08:38:19 | 日記
 この土日にかけて引越しをした。
独り者なので、独りで何から何までやる。
業者など頼まない!そこまでのお金もなく、物もそんなにない!
布団と衣類、テレビにビデオデッキ、冷蔵庫、洗濯機、あとは書物(これが1/3くらい占めたかなあ)
そして一番大切な釣り道具(これがメインでしょう・・・)
 冷蔵庫と洗濯機が一番重たかった。独りで持って運ぶ(コツを掴めば運べるよ!!!)
以前引越し屋の知人に聞いていたし、バイトでやったことがあるのでなんとかなった。
以前移ってきた時から、物はあまり変わらない、出入りが激しいのは書物(資料も含めて)と釣り道具だけである。
こればっかしは増えていくばっかりでいや~笑ってしまうくらい多かった。
でもよく覚えていて、この竿はどこの川で何を釣ったとか尺を何匹も上げたラッキーバンブーロッドだとか
あるので、思わず竿を抱いてニンマリ・・・。
 来シーズンこそは行くぞー!!と気合を入れるのだった??

じいちゃん3

2004-09-24 09:10:52 | 日記
 じいちゃんは、好奇心旺盛で勉強家だ。若い頃の話を聞くととっても面白い。
まあ当時は、冬になると出稼ぎに出る。じいちゃんもそうだった。
当時、親戚で和歌山にタクシー会社をしていた人がいた。その人は「角谷 トラシゲ」さんといって
後の越後湯沢の町長になる人なのだが・・・。
その人の手伝いをする為に、じいちゃんは行った。またその仕事が面白い!きちんと乗務員が仕事をしているか?料金をちょろまかしてないか?チェックをするのだ。まあスパイかなあ!!
だから、顔がわかってはならない!
 道で会社のタクシーを捕まえて乗り込み何食わぬ顔で客を装い自分が乗った距離、支払った料金がきちんと納められているか確かめる。また乗務員の態度も見る。まあしかしいつまでも続くわけがなく3日位で正体がばれてしまう。そしたら会社の人間も態度が変わるらしい!なんせ社長の従兄弟だから家族と言うことでちやほやされたらしい!でもじいちゃんはそんなことに惑わされず、仕事をするために出てきたのだからトイレ掃除から事務仕事まで何でもやったとのこと。
 この話を聞いたとき僕は「自動車の免許とるチャンスだったじゃない?どうしてとらなかったの?」
じいちゃんは「免許取ったら田舎に帰れなくなるからお前はとるな!と言われたんだ。」
要するに、社長の従兄弟だから免許とったら必然的に会社に残ってしまうと社長は考えたらしい!
それに一人っ子の長男で後継ぎなので必ず出稼ぎが終わったら帰さなければいけない!との考えからなんです。
 当時では珍しいタクシー、車興味があったらしいが運転までは考えていなかった。じいちゃんらしい!
当時は、自動車のメーカーが日本には無かったので全て輸入車だったらしい!おぼえている車のメーカー
を聞くと「ビュイック、フォード、クライスラー」なんてのが明治生まれの人から出てくる・・・。
しかし、当時車なんてかなりの高額だろうに、タクシー会社をやるなんて「角谷 トラシゲ」さんは先進的な考えの持ち主なんだろいうなあ。
 後にこの人は湯沢町の町長になり苗場スキー場を誘致し、湯沢中学校を作った人でもあり、
観光地、スキー場のある越後湯沢を造った人でもある。(いずれこの話は別にかこうかなあ)

じいちゃん2

2004-09-23 09:28:40 | 日記
 じいちゃんは、小さい頃、バイオリンをやっていたらしい。
まあ、本当に珍しいなあ!明治から大正にかけての時代!
じいちゃんの親父はあまり評判の良くない人だったらしいが
教育に関しては真面目だったらしい・・・。
 じいちゃんは尋常小学校を卒業後、今で言う高等学校?とにかく上の学校に進んだ。
当時は、清水トンネルの工事でにぎわっていた村で今の町の人口以上に人が居たと聞く。
清水トンネル完成後、働いていた人達は次の仕事を求めてその土地を離れていった。
結局残ったのは地元の人達だけで、よそからきた人達はその土地に根着くことはなかった。
 時代は戦争へ進んでいたので当然のごとく徴兵制度にひかかった。しかしここからが
運の強いところでなんと身体検査で不合格になってしまったのだ。
「なに、身長が足りなかったんだ。」と言っていた。しかしそこは時代に逆らえず御国の為に
何かしなくてはならなかった。そこでやった仕事が学校の先生(尋常小学校、中学校)字や数学を
教えたらしい。じいちゃんは本当におとなしい人などだが頑固であった。教えたのは
「お国の為に、戦えとか死ぬんだぞ!」とか教えずに文字の書き方や、算数などを教えていった。
その教え子の中には、後に書道家の剣持 越逢先生(知っている人は知っている?)などがいた。
まあ、そんな時代に「お国の為に死ぬことが美徳だ」と言われていた時代に、「生きることで世の中
人生が開けるから数学や文字を学んでいきましょう。」なんて言っていたらしい、よくまあひどい目にあわなかったもんである。実際は争い事が大嫌いでのんびりとした人だ。なによりも勉強家だ。好奇心が旺盛すぎるくらい冒険家でもあるよなあ。山菜取りや、釣り、畑仕事、田んぼ仕事はじいちゃんから教わったものだ。そしていつも一緒にいた。小さい頃は親父やお袋といっしょに居たことが無い元論、家族旅行などない。
じいちゃん、ばあちゃんに育ててもらったようなものだ。だから今でも山菜取りは親父より上手い、取りに行くところがじいちゃん直伝の場所だから・・・。時期になると田舎に行って山に山菜取りにいく。
小さい頃、字や算数をじいちゃんからよく教えてもらっていた。
僕が、釣りや自然が好きなのもそんな環境にいたからなのかもしれない。

じいちゃん!!

2004-09-21 13:09:29 | 日記
 昨日、敬老の日だったのでじいちゃんのことを書いた。
もう少し書こうかなあ?じいちゃんは、明治40年生まれだ。
その時代には珍しく一人っ子だったそうな!
じいちゃんの親父は相撲取り!現代とは違うが「立浪部屋」で「富士の森」と言ったそうだ。
今でも化粧回しあるのかなあ??(小学生の頃、見せてもらった記憶がある)
まあ、そんなに強くないのでまったく目が出ず田舎に帰ってきたらしい。
長男坊じゃないので家には居れず、分家として独立、「●●新宅」という屋号になったのも理解できた。
また、そのころの家では珍しく玄関が道に面してなく反対側にあった。その理由がまた面白い!!
 そのご先祖は(1代目、僕で4代目のはずだが家を追い出されたので・・・)酒は飲むは、金には無頓着!
親戚中から厄介者として追い出された。(どこかで聞いたような気が・・・)とにかく鼻つまみ者だった。
家も新しく立ててはもらえず、当時の風習としては珍しく中古物件を買ってきて建てた。(分家の時、新しく家を建ててもらい、土地もわけてもらえた。)
ましては厄介者で世間様に顔向けが出来ないと言うことで玄関を道と反対側に設けられてしまったんだ。
この家は僕が小学校6年生になるまで住んでいた。今は玄関も道路に面して同じ場所に建っている。
なんか、今の僕を言っているみたいだなあ!!相当悪い人だったのかなあ?親戚中から煙たがられていたなんて・・・。まあ、ご先祖さんは、嫁さんがいたからいまの僕とは違うケド!
うちは「やんちゃで頑固な好奇心旺盛な血筋」だよ。
きっとそうだ!!周りから話を聞いているとつくづくそう思うよ。
それが親父とじいちゃんは良い面で出て僕とご先祖さんはそのまま制御不能で出てしまったんだよ。
なんてこった!!家はこのご先祖様から始まった家系だ!!

敬老の日

2004-09-20 11:17:57 | 日記
 今日は敬老の日?
カレンダーではお休みだが今日は仕事!!!
僕は「じいちゃん、ばあちゃん子」だった。(今でもそう)
ばあちゃんはかなり前に遠くへ行ってしまったが、じいちゃんは元気だ!
97歳になった。数えで98なので来年は祝いをすると言う!!
今は離れて暮らしているが、あいかわらず僕を心配してくれている。ありがたい!
僕はこの年になって思うのだがなぜあんなにやさしく、おおらかで、寛大なのかなあ?
僕はやんちゃ過ぎるのでまったく正反対である。まあ、いい年になってやんちゃなのも
かなり問題だけど・・・。
 明治生まれで一人っ子、今で言うとお坊ちゃま?でも好奇心旺盛!(その血筋は僕に継がれている。)
とっても何でも興味を持っている人で頭がいい、そして温和な性格!(なぜ孫とこんなに違うのか?)
今の自分が何でもやりたいと言う気持ちはこのじいさんから受け継がれたものだろう!!
冒険心があるのだ。
 じいちゃんは「はあ、俺は充分生きたすけ、いつあっちに行ってもおかしくはない!」
「その時は、笑いながら送ってくれ!」と言う。じいちゃんはにぎやかなのが好きだ。人が幸せに
笑っているのが好きだ。まるで今「般若心経」の言う通り生きている。素直でまっすぐな人だなあ。
今の相棒は性格が似ている、まあ若い分ちょっと違うが人間として類似している。どうしたらこんな
素直な、素敵な人になれるのかなあ?
 いまの自分がいるのはじいちゃん、ばあちゃんのおかげである。
ありがとうございます。
そして今、ここでがんばれるのは相棒のおかげである。
やはりありがとうございます。
じいちゃんと、相棒の共通点は笑顔がとってもよい。やはり笑顔が一番??
 「ありがとう」って照れくさくってなかなか面と向かって言えないよなあ!!
じいちゃんにも、相棒にも・・・。
でも、ここから感謝してます。

ミニバンブー

2004-09-18 10:01:21 | 日記
 事務所には植物が(鉢植え)多い。
植物だから何も行動はしないが、毎朝水をやったり話かけたり(変??)する。
なんとなく葉っぱが元気になったり色が変わったり?そんなんで返事をしているのだと
思い込んでいる。
 もともと土いじりが好きなだけに園芸も嫌いではない。やはり植物も生きているのだ!
葉っぱが萎んだり、ピーンと元気になったりなんとなくこっちも元気になる。
そんな中でここ2,3日気になっていることがある。机の上にミニバンブーがあるのだが緑色から
黄色に幹が変色してしまった。病気なのだろうか?
誰か教えてちょうだいな!
いきなりだからどうしてしまったんだろう??
心配なんです。このまま枯れたらどうしよう(T.T)

源流は・・・。

2004-09-17 08:47:05 | 日記
自分のホームリバーがあってよくそこに釣りに入る。(今年はまったく行っていないよー。)
Fly Fishingをしている人間では珍しく源流の釣行をする。
まあ、住んでいたところがド田舎の山奥だったので釣る場所といったら源流くらいしかないのである。
 装備は、ツナギ、足にはスパイク付の足袋、足首には「キャハン」それぞれ12枚の爪が着いている。
「キャハン」って言うのは昔のゲートルみたいなもので足首をしめてくれるものなんです。
結構これがいいんです。動きやすいから(^0^)/
そして、頭にはタオルを巻き、それからヘルメットまるで登山に行くような格好・・・。
そして、腰には鉈を装着!!!へんし~んといざ渓流へ
軽トラに乗ってトコトコと後は30分くらい歩き奥地へと・・・。
誰もいなく山風の音と渓流のせせらぐ音しかなく独りでぽつんと自然の中に・・・。
まるで、この世の中でたった独りっきりになってしまったような感覚で
怖いくらいそして臆病になるのです。
(でも木漏れ日が気持ちよく少しは気が安らぐんです。)
いや~、いいですよ。独りで自然の中にいるのは本当に臆病になるんです。
そんな時、「俺って弱い怖がりナやつだ。」と思うのです。
臆病だからいままで事故に会わずに済んで来たのかもしれません。
本当の自分の姿かも・・・。
 そこからが本番「さあ、生きなければならぬ。」というような気持ちを奮い立たせRodを振るのです。
愛しい岩魚ちゃんとめぐり合う為にRodを振りつづけます。
源流なので大きくても尺がでればよしとします。ここらでは一番大きいので40cmが限界かなあ。
岩魚のお腹に蛇が入っていたこともあったけさすがにその時はびっくりしたなあ!
あと、山椒魚も住んでいるんですよ。
釣りを終わって下山?しているとき熊に遭遇して追っかけられたこともあり自然の中で暮らすのは
大変なことです。(今は横浜に住んでいますけど・・・・。)
それでも、源流でのFlyはやめられません。
釣りの装備は Rod バンブー6”7#2 ライン#3~2番 フライはグリフィスナットか自分の源流用の
ミッジかな!源流は餌が少ないのか結構反応が良いのですよ。
来シーズンは行くぞー!!