社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

4月14日(土)

2018年04月20日 16時54分48秒 | 2018年

   9時起床。明日、ついに妻と娘が里帰り出産から戻ってくるので、今日は部屋の整理や掃除だ。

   この1週間ほどで、私の持ち物を大量に処分した。洋服、鞄、細々とした備品たち、そして本。つい最近まで「本は俺の財産だ!」と言っていたのを簡単に翻意して、9割以上の本を処分した。宅配買取に出したのが200冊以上、金額にすると約11,000円だった。おいおい、こんな値段かよ!と言いたいところだが、仕方ない。その他の洋服等を合計すれば、およそ20,000円の売上になった。

   家具の移動を1人でやるのは大変だったが、おそらくこれで妻の希望する配置になった。その後は、水回りの掃除をして、最後に部屋全体に掃除機をかけて、終了。一応、これで子育てをするための環境は整った。


4月13日(金)

2018年04月20日 11時03分33秒 | 2018年

   3月10日の日記の最後でも触れたが、2月15日に娘が生まれ、私は育児休業を取ることにした。そして、今日が休業前最後の出勤日だった。

   育児休業を取ることについて本格的に考え始めたのは、昨年の夏ごろだった。出張の道すがら、子育ての先輩でもある部長から、こんなことを言われた。「子育ては大変だけど、子どもの成長を目の前で見守ることが出来るのは何物にも代えがたい貴重な体験だよ。自分の頃はそういう制度がなかったけど、今は男性の育児休業も取れるようになってるんだから、真剣に考えてみる価値はあると思う。会社の上司としては困っちゃうし諸手を挙げておすすめとは言えないけど、父親の先輩としては一瞬しかない貴重な時期を大切にしたほうが良いと思う」。それまでにも何となく育児休業について考えていたものの、現実的には難しいのかなーという段階で思考停止していた私にとって、この言葉には非常に心を動かされた。

   その後、真剣に検討を開始した。大前提として、妻自身は育休をしっかり1年間取って、子どもと過ごす時間を確保したいと考えていた。その上でまず、私自身がどうしたいのかについて考えた。職場に掛かる迷惑とか、復帰後の立場とか、社会的なイメージとか、保育園入園の審査で不利になるのではないかとか、お金の問題とか、諸々のネガティブ要素を度外視してみれば、私も出来る限り子どものそばにいて、子育てに携わりたいというのが本心だった。そこで、その希望の実現を阻害する(かもしれない)ネガティブ要素について整理することにした。

   まずは、職場に掛かる負担の増加について。この懸念は、最後まで払拭できなかった。当然だ。周囲の方々に負担が掛かるのは避けられない。ただ、過去に女性の先輩方が産休・育休を取得した際、私も同じ部署だったこともあるが、何だかんだで大きな問題もなく、業務が滞ることもなかった。今回も、もちろん負担が増えることは間違いないが、大丈夫だろうというのが率直な感覚だった。そして、負担を掛けた分、復帰してからその恩に報いるように頑張ろうと割り切ることにした。また、一部の報告書の作成など、家で出来る作業は外注を受けることにもした。俗にいう”テレワーク”というやつである。

  また、上記から派生して、職場に復帰した後の立場や処遇についても考えた。まず、昇進は遅れるだろう。それは当然だし、問題ない。また、もしかしたら将来的な出世の道も閉ざされるかもしれない。これは多少困るが、まあ仕方ない。私自身が元々昇進や出世に関する欲が薄いということもあるし、うちの組織の場合は出世しようがしまいが給料にそこまで差がつくわけではないということもあって、本質的な問題とは思えない。一方で、そういう目に見える形ではない”関係”がどうなるかについては不安があった。上司や同僚とのこれまでの関係性が大きく変わってしまうのではないか。私にとってはこれが一番の懸念材料で、育休取得を尻込みさせる力を持つものだった。しかし、熟慮した結果、そのリスクを負ってでも娘と過ごす時間を取りたいという結論に達した。この結論を後押しした要素は2つ。まず、これで壊れてしまうくらいの関係性なら、守っても仕方ないと思えたこと。次に、もちろん全員ではないが、これくらいのことで関係が壊れるようなことはないと確信できるような、信頼できる方々がいること、である。

   続いては、お金の問題について。我が家の場合、共働きであることに加えて、(これはあまり大きな声で言えることではないが)妻のほうが収入が多いから、論理的に考えれば私が休んで子育てに回ったほうがいい。また、2人で育休をとっている期間の育児休業給付金の金額を計算してみても、贅沢は出来ないが生活に支障はない収入が得られることがわかった。更に、現在は育児介護休業法に基づいて「パパママ育休プラス」という制度があり、一定条件の下で両親が育児休業を取得することで、後から休業に入るほう(私)の育休期間を子どもが1歳2ヶ月になるまで延長することができ(通常は1歳になるまで)、給付金の対象期間も延長される。つまり、2月生まれの娘が来年4月に保育園へ入園するまで、通常の育休が取れるのである(保育園に入れないから延長します、という手続きが必要ない)。但し、単純計算しただけでも、私が育休を取得することによる1年間の家計の損失は約200万円になる。これに将来的な昇進や出世の遅れを計算に入れると、更に金額は増えるだろう。それなら育休を取らず、出来るだけ稼いでおいたほうが子どものためになる、というのも一理ある。というよりも、そちらが正論だろう。ただ、私個人としては、その考えは採用しない。

   その他諸々の懸念事項については、社会的イメージは気にならないし、保育園入園の審査にも何ら影響がないことも役所で確認できた。こうして、育休取得に向けて本格的に動き出すことになった。

   直属の上司に相談したのが今年の年明け。上司は「困ったなー」と笑いつつも、「でも、本当に貴重な経験になると思う。精一杯やってみな」と励まして下さった。その後、役員からも了承を得た。更に、私が尊敬する事務方のトップは、「迷惑かけてすいません」と言う私に向かって、こう声を掛けて下さった。「悪いなんて思う必要ない。正当に得た権利なんだから、胸を張って取ればいいんだ。子育ては本当に大変だけど、お前にとって何物にも代えがたい経験になる。それは間違いない。でも、ひとつだけ約束しろ。絶対戻ってこい」。この時は、さすがに少し泣きそうになった。そして、「戻ったらこの人のためにも頑張ろう」と思った。

   その後、実際に娘が誕生するのを待ってから、2月下旬に正式な申請をして、5月1日からの育休の取得が決定した(勤務日は今日4月13日までなのだが、4月いっぱいは有休にしている)。そこからは、自分で完結できる業務は着々と終え、引き継ぎが必要な業務についてはそれに向けた準備(これが案外大変だった)を進めていった。

   周囲の反応は様々だった。妻の両親は驚いていて、少し不安そうだった。尤もな反応だ。私の両親も驚いていて、特に母はお金の面の心配をしていた。職場では、年齢の近い同僚からは「いいなー!マジかよー!ふざけんなよー」と本気ではない文句を浴びたり、既に子育てを経験した年長者の方々からは「子育てはマジで大変だから、気合い入れて頑張りな。特に○○には気を付けて、ポイントは○○することだから」という具体的なアドバイスを頂いたりした。中には、「ここでちゃんとやれるかどうかで、将来的な夫婦関係が大きく変わるよ」といった怖いけど核心を突いているであろうアドバイスもあった。また、職場の皆さんが口を揃えて言ってくれたのが、「絶対戻って来てね」という言葉だった。「俺ってそんなに辞めそうな雰囲気出てるのか?」と思いつつも、そう言ってもらえるのは素直に嬉しかった。

   また、意外だったのがお客さんの反応だった。私が育休を取るという話をすると、皆さん一様に「いいねー!」とテンションが上がるのだ。最初は気を遣ってくださっているのかと思ったし、実際そういう方もいらっしゃったと思うのだが、多くの方が本当に好意的だし、珍しい事態に興味津々という感じだった。「戻ってきたら、どんな感じだったか教えてね」と何度言われたことか。また、実際に育児に奮闘している男性のお客さんからは、「人生観変わるよー。多分、仕事の仕方とか、時間の使い方が全然変わると思うよ」と言われたり、「せっかくの機会だから、海外とか南の島に行って育児してみたら?」という斬新な提案を頂いたりした(実際にそういう人がいたらしく、かなり好評だったらしい)。

   一方で、当然ながらネガティブな反応もあった。「ん?男が育休?ありえないでしょ」と面と向かって言われたこともあるし、職場内でもごく一部から「ああ、もう辞めるんだもんねー」「いつ辞めるの?」と嫌味を言われたことも多々ある。おそらく言った側はそれほど本気ではなく、ちょっとしたイジリくらいの気持ちなのだろうが、こちらはどうしても敏感になっているので、かなり印象に残っている。一方で、案外冷静に「ああ、これがマタハラならぬパタハラってやつかいな」と捉えられている自分もいる。こういうネガティブな反応も含めて、男性である自分が”育休を取る”という体験を貴重なものだと考え、それ自体を楽しもうとしているのかもしれない。

   今、育休を取るという体験を貴重なものと考えている、という言い方をしたが、私が育休を取得する一番の動機はそこにあるのかもしれないと思う。娘のため、妻の負担を減らすため(脱ワンオペ育児!)、というのももちろんあるが、根本的には、育休の取得も含め、自分が「育児」というものをしっかりと体験してみたいのだ。先人たちの話を聞く限り、それはおそらくめちゃくちゃ大変で、でもめちゃくちゃ幸せな体験なのだろうと予想される。そして、自分のこれまでの常識とか、ルールとか、価値観とか、そういったものが揺らぐのではないかという期待もある。子育てという経験を通して1年後の自分がどうなっているのか、更にはその後もどう変わっていくのか、おそらく良いことばかりではないだろうが、ひとつひとつに向き合って、感じていきたいと思う。

   最終日ということで、机周りの整理や、皆さんへの挨拶回りに時間を費やした。そして、夜は飲み会。この2週間くらいは毎日のように夜の集まりがあったし、毎日のように皆さんからお祝いを頂いた。中でも、後輩たちが企画してくれた集まりで頂いた洋服のプレゼントは嬉しかった。今着られる服はたくさんもらっているだろうからと、1年後くらいに着られる大きい服をくれたのだ。改めて職場の皆さんの温かさに触れ、心から感謝の気持ちを持った。戻ってきたら、きちんとお返しが出来るように頑張ろうと思うし、もし次に誰かが私と同じような決断をした時には、全力で応援したいと思う。

   帰宅は日付が変わってから。さあ、ここからは育児休業だ。1年後に胸を張って職場に戻れるように、その名にふさわしい過ごし方をしよう。