西園寺と言えば、前記にても色々と記載してきましたが、やはり「西園寺家」と言えば、弁財天をお祀りしている事が良く分かります。
その前に、西園寺家の謂れを。鎌倉時代の公家である「藤原公経」(1171~1244年・きんつね)は鎌倉幕府と関係が深く、承久の乱(1221年)などの勝利に貢献して、太政大臣まで栄達します。朝廷を掌握し、多くの荘園を持ち、宗(そう)との貿易の収入も多大で衣笠山麓(きぬがさやま)に豪壮な山荘を持ち、菩提寺となる真言宗の堂宇を建て、これを「西園寺」と名づけました。以後、この名前を「西園寺家」と称するようになりました。
西園寺は「足利義満」の金閣寺の造営によって移転し、この地に移りました。
やはり「西園寺家」と言えば、芸事の祖です。特に「琵琶」はインドの神で弁財天の象徴です。その後、浄土宗に改宗しました。
西園寺家は代々天皇や上皇(天皇を譲位した方)に琵琶の秘曲を伝授した宗家の家柄です。
琵琶の弁天堂です。
時代が移り変わっても、この西園寺(妙音堂)は公家などに保護され御所内には西園寺邸に祀られていましたが、現在でも庶民に信仰されています。京都御苑内の旧西園寺邸の弁財天は以前に記載しました。http://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/01/90_b157.html
http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120103
現在でも、芸事上達に参拝する方は多いそうです。
上京区寺町通鞍馬口下ル高徳寺町358
(たわごと)
空前の円高、ドル安・ユーロ安(国債ランクが下げられたのに)。経済も今の政治も全く「下らん」事で、記事に書く気も有りません。
思うままに、この「下らん」の語源は?
昔読んだ本の、うら覚えから。明治維新まで京都が最高の地でした(別に標高では無いですが)と、言うには「天皇」(帝)がおわします所でしたから、よって前記にも少し記載しましたが、京都から江戸やその他の地方に行く時は「下る」と言っていました。(大石内蔵助、東下りなどが有名です)その反対に江戸から京都に行く事を反対に「上る」と言っていました。(今のJRとは逆です)江戸は最大のお酒の消費地でした(朝から晩まで飲んでいる人もいました、特に、参勤交代で暇な大名や無役の旗本などは、する事がなく暇を持て余して飲んでばっかり、肝硬変や肝がんなどが多かったんでしょう)。
ですから。酒どころの、灘や伏見の上方の酒を重宝がられ「下り酒」と言っていました。しかし江戸等の地方で造られる酒は昔はまずく「上り」の逆の言葉で「下らん」と言っていたらしいです。(ほとんどは回船で運んでいました)その語源から確か、つまらない物は「下らん」と言ったそうです。今は、関東でも美味しいお酒が造られて、この言葉だけが不思議と残っています。(昔でも、越後や東北等でも美味しい酒が有ったのに)昔は、上方で造られるのは、今のブランド商品みたいに、トレンディやつたんですか。この続きはまたに。