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京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その520)臨済宗の禅寺良いお寺です・法輪寺ー1

2013-04-06 00:14:35 | 京の話題

禅宗の流れをくむお寺はいつ参拝しいても気持ちの良いものです。

京都のとの禅宗と言えば「曹洞宗」と「臨済宗」でこの「臨済宗」なお流れをくむ「黄檗宗」です。私は、以前にも記載しましたが「黄檗宗」の大本山「万福寺」はお奨めのお寺です。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120605京阪電鉄の宇治線ですぐに行けます。「黄檗山・万福寺」の詳細はじっくりと記載してありますので、是非、ご覧下さい。

このお寺は通称「達磨寺」といわれ、正式には「臨済宗妙心寺派法輪寺」と言う、「禅宗」の名刹です。

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お寺の中は見所満載です。

まず、いきなり玄関で達磨の屏風でお出向かいです。

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さすが、「達磨寺」です。達磨さんだらけの屏風。

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そして本堂でまず、参拝(合掌)

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一木から切り出した「達磨大師木像」

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見事な、天井の達磨図です。 (樋口文勝老師画)

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享保13年(1781年)「大愚宗・筑禅禅師」を開祖とし、「荒木光品宗禎居士」が開基となり、「万海慈源和尚」が開創したものです。創建は10年の歳月を要したといわれています。開基の「荒木氏」は両替商であり、武家の開基になる寺院の多い中、「妙心寺派」にあっては異色の禅刹です。

さっそく「衆聖堂」に上がり、多くの仏様や、有名人の「お位牌」を参拝します。まず、二階の入り口に入ると、「釈迦涅槃木像」が有ります。ホントにおおらかなお寺です。(撮影は全てOK)この「涅槃像のお釈迦さまを」布団をずらして、自分の体の悪い所を直に触れます。後で布団を戻しておいてネ、と(私に言わせると、接触宗教”私の造語”天神さんの”牛”や”びんつるさん”と同じです)

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同じ「釈迦涅槃像」は亀岡の「穴太寺」にも有りました。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20121003

そしてお堂の中には多くの、仏像があり、撮影も全部OKです。おおらかなお寺です。

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そして驚いたのは、多くの有名人の「お位牌が」安置されています。それは次回に。(ここの方が、優しく負われていました。このお寺は、写真もストロボも問題は無いですが、多くの有名なお寺は建て物の外から中を写すのも禁止のお寺が多く有りますョて。私、それでえらい怒られた事が有ります。黄檗山万福寺もお寺の中は自由に撮影OKで、おまけにお寺の庭園で油絵を描いておられる方もいました。おおらかです)

上京区下ノ下立売通紙屋川畔


京の話題(平安京その519)木島神社と言っても???三本足の不思議な、蚕の社(蚕養神社)

2013-04-05 00:43:48 | 京の話題

久しぶりに、太秦の蚕の社(蚕養神社)、実際は「木島坐天照御魂神社」(このしまにますあまてるみたまじんしゃ)の境内に鎮座します。春真っ盛り、良いお天気で、この神社にひさしぶりに参詣しました。

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「木島神社」の大きな石碑の横に、小さな「蚕の社」の石碑が有ります。

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「木島神社」はまことに古い神社で、延喜式内社で祭神は「天之御中神」「大国魂神穂々出見命」「鵜茅葺不合命」「瓊々杵尊」の四柱が祀られています。創建は不明ですが「続日本紀」大宝元年(701年)4月3日の条に神社名が記載されている事からそれ以前に祭祀されていたと考えらます。

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その「本殿」の右手に有名な、三本足の鳥居が鎮座する「蚕の社」が鎮座します。この三本足のかなり前に、うんちくした記載をご覧ください。この三本足のうんちくをたっぷり記載しています。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20110922

今回の、参詣でもシッカリと三本足の鳥居です。世界中でここだけです、三本足の鳥居は。その謎をたっぷりと前記に載せました。

正式には、この鳥居は「木島神社」内の「三柱鳥居」といいます。

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何しろ、1500年以上の歴史が有ります。(古代史の世界です)

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また、参詣の方は余り訪れませんが、その手前に「お稲荷さん」が鎮座します。

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この、奥が見にくいと、興味が湧きます。

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洞窟の中に祭神が鎮座します。興味が有り、中までじっくりと、参詣です。

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暗闇の中で、ストロボで撮影です。お稲荷さん。両脇には「お狐さん」がちゃんとお守りしています。この中は暗闇です。

※延喜式:注:「延喜式」は、平安時代に、醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を初め、時平の死後完成した三代格式の一つで、ほぼ完全な形で残っているのはこれだけです。よって古代史の事では重要文献です。(原本は現存していません。写本は東京国立博物館等に所蔵されています。全50巻))、もっとも前記に記載した「晴明神社」なんて足元にも及びません。

右京区太秦森ヶ東町50ー1

※一部、神社名のルビに誤記が有りました。訂正済み。

(たわごと) 凄い、日銀総裁の超カンフル剤

日銀・黒田総裁が超カンフル剤です。長期国債金利緩和・リスクマネージメントの購入。アベノミクスで、今日は一気に円安、200円以上もの株価の上昇。このカンフル剤の副作用が無ければ良いですが。しかし、中小企業や一般庶民には値上げのラッシュだけです。早く、我々にも恩恵をと思う日でした。

話は、」代わりますが、中国の鳥インフルエンザ。7年くらい前に、いやいや、中国の「上海」と「青島」に仕事で行きましたが、もうごめんです。一年以内の中国への渡航歴があれば、一昨日の記事での献血も出来なかったでしょう。


京の話題(平安京その番外)珍しく綺麗に保存されている樫原陣屋跡

2013-04-04 00:21:32 | 京の話題

山陰道の樫原は、早くから宿場町として設備も整い、「丹波」「山陰」よりの物資の集積地として賑わいを極めていました。徳川三代将軍「徳川家光」が「参勤交代制」を始めますが、この「陣屋」は山陰道を参勤交代で往来した諸大名が宿舎とした所です。

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最奥の六帖は上段の間につくり、欄間・床・違い棚のある書院造りの立派な建造物です。上段の間には隠れ間も存在します。玄関の間、六帖、八帖、六帖と四室が続き、その他、七室の併せの構えはまことに立派な物です。諸大名が出入りした玄関間には「乳門」といわれています。

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玄関の天井板には、筆太に書かれた「高砂少将御宿」「松井伯耆守御宿」(ほうきのかみ)等の宿札がびっしり貼られています。大名の宿帳や関札などの多くの古文書も蔵され、この本神は、「頼まれ本陣」とも口伝され、享保4年(1719年)にこの地の豪族「廣田庄兵衛」が京都所司代「板倉氏」の依頼により経営に従事し、安政2年(1855年)に松尾下山田の豪族で、足利直系の「玉村新太郎正継」が継承し、今日まで五代、大切に保存・維持されています。

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伏見宿の本陣が現存しない現在、市内で唯一残る本陣建築で、平成4年に「京都市指定有形文化財」に指定されました。

残念ながら、公開されていないために、内部を紹介することは出来ませんでした。

西京区樫原下ノ町

(たわごと)   駄々っ子の北朝

昨日、”北”開城団地(ケソン)の人境禁止に、アホな「北朝鮮」がしました。ドル箱の南北の交流ですョ。ものすごい外貨獲得の事なのに。5万3千人の北から南に排出?アアアアアホか?私の読みでは、あと2年で北は自然撲滅。北の軍部や政治部もあのぶくぶくの”アホぼん”には呆れています。アメリカ・韓国・日本も無視。駄々っ子が、オモチャ売り場で、泣きながら、「オモチャ欲しい~」と言っているのと同じです。人間、甘やかしおたら、ダメですネ。

こんな事ばかり書いていますので、私が管理しているホームページに以前、サイバーテロにあいました。その後、ものすごい、ウイルスワクチン等にかけておきました。所詮、貧困国。しょうむない、お金のかからない事で攻撃か?

戦争になっても、”北”は所詮「アナログ」今の「デジタル」には、手も足も出ません。竹やりで突撃か?少し、過激な記載ですが。


京の話題(平安京その518)寺領は小さいが、一押し、浄土宗西山深草派のお寺・龍淵寺ー2

2013-04-02 00:12:32 | 京の話題

このお寺「浄土宗西山深草派」の詳細は前記にて紹介しました。参照下さい。

寺領は狭いですが、立派な本堂に上がり、ご本尊等を克明に参拝し、撮影も了解のうえ、たっぷりと紹介します。山門を入り、木戸を開けると右手に本堂、左に墓地が有ります。

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ご本堂。

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ご本尊の「阿弥陀如来立像」

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良く見ると、両手の姿に珍しい特徴が有ります。(合掌)

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向かって左に「善導大師」像。中国唐代の「浄土教」の大成者です。「浄土教」を大成した高僧。「浄土五祖」の第3祖。

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左には、「浄土宗」開祖の「法然上人」像。「法然」は房号で、名は「源空」

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「法然上人」は「善導大師」の「感無量寿経疏」(かんむりょうじゅきょうしょ)によって「専修念仏」に開眼したと言われています。

いきなり、参拝でのうえ、お茶までいただき、心が休まりました。有難うございます。

西京区樫原下ノ町


京の話題(平安京その517)総本山(浄土宗西山深草派)の末寺・龍淵寺ー1

2013-04-01 00:11:29 | 京の話題

たまたま、通りかかり石碑を見ると、なんと「浄土宗西山深草派」のお寺です。総本山はいつもお世話になっている、京都新京極六角にある「誓願寺」です。今年の節分会に詳しく「誓願寺」を記載しています、出来れば参照願います。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130204

この宗派「浄土宗」は京都に多く有りますが、「西山深草派」の末寺は30寺位で、裏寺通には数寺有りますが、まことにまれな宗派です。

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「浄土宗西山深草派」は比較的新しく、「西山上人・証空」の弟子「円空立信」(1231~1284年)が京都深草に「真宗院」を建立して布教したのにはじまります。明治に入り「浄土宗」(鎮西派)と合同しましたが、その後分離独立しました。「西山派」に合同しましたが、戦後独立し現在にいたっています。そのために「浄土宗西山深草派」の末寺は数少ないのです。

しかしこのお寺の有名なのは「辻のお地蔵さん」です。山門を入ったすぐ右手にお堂が有ります。

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四百年位以前の、第106代「正親町天皇」より、国内の平和と朝廷の衰微を再建せよとの命を受けた「織田信長」は「明智光秀」に丹波・丹後の平定を命じました。丹波国の「秦之秀治」は滅亡しましたが、その部下の「雲林院式部承高任」は単独で樫原に逃げ、「辻の平兵衛」の縁故者宅に身を寄せました。名前を「太郎左衛門入道」と改め、佛門に入り、信仰していた「地蔵尊」を小さな宇堂を建て安置し、主家の菩提と諸悪消滅を祈願、日夜念仏を唱えて修行し、108歳の長寿を全うしたという逸話があります。

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この「お地蔵さん」を「雲林院延命地蔵」とよび、無病息災・所願成就・安産に霊験あらたかな「お地蔵さん」と祀っています。

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「お地蔵さん」の前で大きな釜で湯茶を沸かし、「一刻のいこい」にと、樫原の街道を行き交う旅人・商人にふるまっていたという事です。

霊験あらたかさが今も有名で、命日の7月23日には、樫原の人々が健康で過ごすようにと、お茶の振るまいをいただいています。

そして、ゆかりの「浄土宗西山深草派」のこのお寺の本堂に、上らして頂き、御本尊などのお話を頂き、お茶もよばれました。立派な、ご本堂は次回にたっぷりと紹介します。有難うございました。(合掌)

阪急電鉄・桂駅からバスが有りますが、歩いて30分もかかりません、天気のいい日に、お散歩がてらに参拝をお奨めします。

西京区樫原下ノ町