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マニラ市街戦が終結した日(3月3日) -The Battle of Manila in 1945

2011年03月05日 | My life in マニラ

 今から66年前の1945年、2月3日から3月3日の1ヶ月間、ここマニラで、太平洋戦争中における市街戦としては最も激しい、悲惨な戦いがありました。
 それまでは、マニラの街は「東洋の真珠」(The Pearl of the Orient)と呼ばれるほど、国際色豊かで美しい街でした。
 その、多くのマニラの一般市民も巻き込み、多くの犠牲者を出した、旧日本軍と連合軍の、まさに地獄絵のような戦いを「マニラ市街戦」(The Battle of Manila in 1945 )といいます。

 1ヶ月に及んだ市街地での激戦で、マニラの街は壊滅状態となり、死者は12万人に達したと言われます。
 
 マニラ市民死者   100,000人
 
 旧日本軍死者     16,555人
 
 米軍死者         1,010人

The Battle for Manila from 3 February to 3 March 1945You Tube

 
(この戦いの後、廃墟と化したマニラ市街 1945年3月)

 
(戦禍で破壊された、イントラムロスのマニラ大聖堂)

 
(現在のマニラ大聖堂・2010年1月撮影)

 そのマニラ大聖堂の裏に、1945年のマニラ市街戦から50年後の1995年に立てられた「メモラーレ・マニラ・1945」(Memorare - Manila 1945)という記念碑があります。
 
(マニラ大聖堂裏にある「メモラーレ・マニラ・1945」 2011年2月23日撮影)

 
(8人の犠牲者が表現されているこの墓碑には、遺族たちの祈り、思いが凝縮されているようです。)

 
 

「この記念碑は、(1945年のマニラ市街戦)で命を落とした、何の罪もないすべての犠牲者に捧げられる。
 その多くは、名前も分からないままに共同墓地に葬られたが、中には、戦火で灰となってしまったり、廃墟の街に塵(ちり)のように埋もれてしまったりした犠牲者もいた。
 この碑を、1945年2月3日から3月3日までの『マニラ開放への戦い』で亡くなった、約10万人の男性、女性、子供に幼子、すべての犠牲者を悼む墓碑としよう。我々は、彼らのことを忘れてはいないし、これからも決して忘れることはない。
 現在の、この神聖なマニラの地で、どうか安らかにお眠りください。」
                  ~愛を込めて~ 1995年2月18日


 さる2月5日(土)には、マニラ市街戦のすべての犠牲者を悼む記念式典がありました。フィリピン人遺族らは、「日本人は許せても、当時の虐殺のことは忘れることできない…。」と語ったといいます。


 また、それに先立ち、マニラ市街戦が始まった日の2月3日(木)には、マニラ大聖堂で、日本からの巡礼団ら百人とともに、カトリック大名「高山右近」(1552~1615)のご遺徳を偲ぶ記念のミサが行われました。日本カトリック教会では、右近がマニラで客死して400年にあたる2015年までに、バチカンに列福(福者認定)をめざし、国内外でそのための活動をされているそうです。


→「最後に、フィリピンで名の通った日本人の一人『高山右近』について触れておきます。前田家の保護の下、その半生近くの二十六年間を金沢で過ごした高槻のキリシタン大名右近は、家康のキリスト教追放令により1614年に金沢からフィリピンに渡りましたが、悲運にもマニラ到着後わずか四十日余りで熱病にかかり、その生涯を終えました。しかし、その時のフィリピン人による右近追悼のミサは九日間にも及び(サンタ・アナ教会)、当時としては異例の待遇だったといいます。その右近が、『剣を取るものは皆、やがて剣によって滅びん。』という言葉を残しています。イスラム教徒とキリスト教徒が共存を模索し続ける、ここミンダナオ島で生活している私の心に、今、その普遍的なメッセージが強く響いてきます。」
(以前機関誌に投稿した記事より・2006年ダバオ市にて)



 そして、太平洋戦争開戦(1941年12月8日)から70年の今年2011年、NHKが、
NHKスペシャル日本人はなぜ戦争へと向かったのか
という番組を放映しています。
 その最終回『開戦・リーダーたちの迷走』(第4回)が、明日3月6日(日)午後9時~9時49分、総合テレビで放映されます。

「なぜ日本は無謀な戦争への道を選択したのか。太平洋戦争70年の年に問いかける大型シリーズ。最終回は、いよいよ開戦を決定した1941年をとりあげる。…」(番組紹介より)

 ここフィリピンでも、NHKワールド プレミアムで同日同刻に見られるはずなのですが、残念ながら今入居しているコンドミニアムでは、今年から見られなくなりました。↓
「この度、Destiny Cableの長年にわたる契約不履行により、2011年1月4日をもって、同社へのNHKワールド プレミアムの配信をやむなく停止することとなりました。マニラ首都圏では、同社以外にもケーブルテレビ局Sky CableNHKワールド プレミアムを配信しております。」
…という
NHKワールド・プレミアムの案内のとおりです。
 このコンドミニアムには、その
Sky Cableが敷かれていないんです。以前はDestiny Cableで見られたのですが、昨年11月にこの案内があった後、12月初めに突如見られなくなりました。その後、NHKの抗議で3日後に見られるようになったそうですが、私はその時に即刻NHKワールド・プレミアムが入っていると思い込んでいたCable Linkに切り替えました。ところが、入っていたのは「NHKワールド」…。内容は、英語のニュースが中心で、海外向けに編成された全く異なる内容。日本国内で流されているNHKの番組はほとんど見られなくなりました。
トホホ…(
*_*;)。仕方ありませんが…。 

 インターネットでは、昨年8月から、戦争の生き証人の証言をもとに作られた多くの記事が、映像とともに無料で公開されています。↓
NHK 戦争証言アーカイブス



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1 コメント

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マニラ市街戦 (tooimirai)
2012-01-08 02:32:58
私の祖父が当時駐在員でマニラに滞在しており、その後戻りませんでした。ふと思い出し検索したところこのページを拝見し、NHKの映像も見ることができました。ありがとうございます。いつかフィリピンを訪れたいです。
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