散日拾遺

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警察の責任はどうなのか? ~ 中日新聞社説のもっともな指摘

2016-09-17 19:20:08 | 日記

2016年9月17日(土)

 卒研生OB、愛知県新城(しんしろ)市在住のAさんが、中日新聞の社説を送ってくださった。的確な指摘であり、気づかなかった自分の迂闊を思う。末尾近くにある「大方の市民感情」というものが、僕にはわかりにくくなっているかもしれない。精神医療の世界の人間になっちゃってるからかな。

 1964年のライシャワー事件の時は警察・公安手抜かりばかりが糾弾され、精神医療の問題として論じられることがきわめて少なかった。ちょうど反転したような図柄で、そこにまた考えるべきポイントがどっさりある。かつては警察のやり過ぎが問題だったが、近年は逆に動いてくれないことが現場の嘆きになっている。どちらに触れてもよくないことで難しくはあるが、少なくとも論点にならなくてはおかしいこと御説のとおりである。

 今の時代は精神医学が偉くなりすぎているとも思う。もともと医学・医療の問題ではないことをこの分野に持ち込みすぎ、精神医学に多くを期待しすぎているという意味である。この件をそうした文脈で見ることもできるかもしれない。

 Aさんへの感謝と中日新聞社への敬意を表し、全文を転記しておく。

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【相模原事件 ~ 警察の対応を検証せよ】

 警察の対応に抜かりはなかったのか。相模原市での障害者殺傷事件である。国の有識者チームの中間報告には、その素朴な疑問に対する回答は見当たらない。なぜ精神医療ばかりを問題視するのか。

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 戦後最悪級の事件を検証し、再発防止策を検討する有識者チームを、国が素早く立ち上げたのは理解できる。しかし、驚かされるのは、その検証結果である。

 容疑者の精神障害が犯行の引き金になったのかどうかも解明されていないのに、あたかも措置入院制度にまつわる精神医療の不備に大きな原因があったかのようにも読み取れるからだ。

 自傷他害行為の恐れのある人を行政権限で強制的に入院させる仕組みをいう。確かに、患者の退院後も、希望に応じて治療につなぎ留め、地域での暮らしを支える手だてを厚くすることは大切だ。

 しかし、犯罪予防という立場から取り組みを進めれば偏見や差別を助長しかねない。社会防衛の思惑から入院を長引かせたり、治療継続を口実に監視したりする動きが強まっては本末転倒である。

 制度を見直すとしても、患者の利益と人権に最大の注意を払わねばならないのは言をまたない。

 最も気がかりなのは、静観を決め込んだかのような警察の姿勢である。警察庁も有識者チームに参加していながら、なぜ警察は凶行を防げなかったのかという視点での検証は皆無に等しい。

 本来、犯罪抑止の責務は、医療や福祉ではなく、一義的には警察が担っている。とすれば、警察は謙虚に自らの失敗を認め、反省点を洗い出すのが筋ではないか。

 容疑者は勤務先だった障害者支援施設を名指しして、殺害予告の手紙を衆院議長あてに出した。警察から異常事態を知らされ、施設職員らはおびえたに違いない。

 警察の指導を受けて、施設は夜間や休日の警備体制を強化し、十六台の監視カメラを設置した。通常より多くの予算や人手をあてがう必要があったはずである。

 これらは脅迫罪や業務妨害罪に当たる可能性はなかったのか。驚察が速やかに捜査に着手していれば、悲劇を防げたのではないか。大方の市民感情だろう。

 国の二年前の統計では、警察官が自傷他害を疑って病院に通報した件数や、措置入院となった患者数は地域によって著しい開きがある。治安確保の責務を安易に精神医療に負わせている面はないか。

 自傷と他害を切り離した制度設計も検討されるべきである。

2016.09.15 中日新聞社説7頁朝刊(全951字)

Ω


塾は休業? / 健康診断異聞

2016-09-16 06:24:53 | 日記

2016年9月15日(木)

 小池都知事が政治塾を始めるとの報に触れて、ある人から「石丸塾は休業中ですか?」と聞かれた。そうか、これは僕が迂闊だった。既に33回を重ねる「薬の勉強会」はいわば塾の部会として始まったもので、立派な塾活動の一部である。人数こそ多くはないが、当初の桜美林つながりに限らずさまざまな背景の人が出入りしている。薬のことばかりでなくいろいろ自由に語り合い、僕自身の望んだ集いのイメージにかなり近いものだ。もちろん他の誰かが他のテーマでミーティングを起こしてくれたって良いのである。盛況とはいえないものの、決して休業してはいないので念のため。

 さて、水曜日は会議の連続の後、珍しく同僚二氏と海浜幕張周辺で軽く慰労会をした。翌日が健康診断なので、「今夜は軽めに、野菜主体で行っちゃいましょう」と、シーザーサラダだのスペイン風ピーマン盛り合わせだのむやみに野菜メニューを注文してはワインを煽っている。「検査に備えて野菜をガッツリ」などと嘯きながら前夜に飽食する看護師2人、医師1人、示しも何も付いたものではないが、ノミニケーションは今でもやっぱり有用なのである。

 翌朝、眠い目と空きっ腹を抱えて午前中に職場健診を受け、朦朧としているうちにつつがなく終わったものの、妙な印象が今年は残った。まずは受付で問診票の記入漏れを指摘される。酒は「飲む」ただし「毎日ではない」と記載し、これは事実通りだが「一日どのぐらい飲みますか?」という質問の意味がやや不明なので、空けておいたのを再度訊かれた。

 「一日どのぐらい飲みますか?」

 「それって、平均して一日あたりっていう意味ですか?それとも飲むときは一回にどれぐらい飲むかということ?」

 「一日にどれだけ飲むかという意味です。」

 だ~か~ら~、答になってないっての。仕方ないので昨夜の記憶に逆ゲタ履かせて「ワインをグラスに一杯」、ウソつけって?いや、僕の質問の後者の意味なら大ウソだが、前者ならたぶん良い近似値のはずなのだ。

 「ワイン、何mlですか?」

 考えたことないな。日本酒なら一合(180ml)、ビールなら一缶(350ml)、これらは常に量目を意識できるようになっている。でもワインは?「グラスに一杯・・・」と繰り返すと、男性スタッフが「普通のコップに一杯ですね」、「ええ、普通のグラスに一杯」、「コップ一杯なら180mlぐらいでしょう。」それでカタがついたが、お宅、ワインをコップで飲むんですかね。

 問診票は毎年同じような形式だけど、こんなやりとりは過去に記憶がない。受付のこれに始まって、何かと小珍事が続く。男性看護師に採血されたのは初めてだが、奇抜な髪型のこの男性は過去のいかなる女性看護師よりも指図がましく口うるさく、1~2分ほどで作業が終了したときにはすっかりこの相手を嫌いになっていた。おまけに止血用の弾性包帯を力任せに巻き付けるのですぐに腕が痺れ、10分間の止血を指示されたが3分ほどでたまらずはがす始末である。

 視力検査のこれまた男性担当者は、どういう訳だか右左2回ずつ念入りに検査し、ランドルト環の一番小さいものまで繰り返し読ませた。ということはその前のものまでは読めているはずだから、1.2やそこらは出ているものと思ったら判定が0.9である。結果は結果で構わないけれど、最小のものまで繰り返し読ませる操作と結果との間に整合性がない。何をやらされたんだろう、生涯初の1.0割れは年齢のせいか酒のせいか、それとも彼のせいか。

 心電図検査では年配の女性担当者が計測の最中に耳元でガチャガチャ音をさせ、ビクッとした反応が波形に影響しなかったものかどうか。着替えを急かす言葉をかけながら、脱ぎ置いてあるYシャツの上に検査表を置くという具合で、どうも雑でいけない。

 たかが小一時間の健康診断の間にこれだけの「?」が浮かんだのは久しぶりである。こちらのボンヤリのせいばかりとも思えない。マナーや配慮はマニュアル遵守では養えない。もって他山の石とはこのことである。

***

 午後の仕事のために総武線に揺られていたら、津田沼で浴衣姿の相撲取りが乗ってきた。あまり大きくないが、顔立ちは明らかにヨーロッパ系の外国人力士である。付き人もなく一人でスマホをいじっているが、大銀杏を結っているからには十両以上なのだ。H君ならたちどころに四股名から来歴・成績まで詳しく解説してくれることだろうが、このところ相撲への興味がいまひとつの僕には、栃ノ心でも碧山でもないことぐらいしか分からない。きっかり30分後に両国で降りていく背中に、無言の声援を送ったのだった。

Ω

 


自著紹介 ~ 『健康への歩みを支える』(キリスト新聞社)

2016-09-14 07:09:00 | 日記

2016年9月14日(水)

 恥ずかしながらの御報告、8月末にささやかなブックレットを上梓した。タイトルは、

 『健康への歩みを支える ~ 家族・薬・医者の役割』(キリスト新聞社)

 内容は副題の方によく現れている。賀来周一先生から「精神障害者に対して家族はどう接したら良いか、薬に対する考え方や医者とのつきあい方などをわかりやすく書いてほしい」と御依頼をいただき、日頃から敬愛置くあたわぬ賀来先生の御指名とあれば一も二もないことと、即答で引き受けてから頭を抱えたのだった。おまけに、「もともと平山正実先生にお願いする予定だった」とのこと。これまた大恩ある平山先生の遺志を託されると思えば勇気は百倍するものの、我にかえって考えるにどう逆立ちしたって平山先生のようには書けないのである。

 カラ雑巾を絞る感じで数ヶ月呻吟の末、できあがったものは福島のH病院以来、患者さんたちに教わってきたことの集積に他ならない。同じ出版社から出た『統合失調症とそのケア』とそのあたりの事情は同じで、医者になって満30年の記念と思えば真に有り難い機会を与えられたのである。

 誰かのため、何かの役に立てば上出来と思っていたら、本ができてから2週間も経つか経たないかで思いがけない反応があった。この本の中でベンゾジアゼピン系薬剤の常用量依存に触れている。その部分を読んだ人が自身の服薬事情に不安をもち、相談してこられたのである。ずいぶん早い反応だったのにはナルホドの理由があったが、診療先に電話してもらって事情を伺ったところ、現にかかっている担当医が適切な対処をしているようである。そのままかかっていて大丈夫と請け合ったら、「ええ、ただ・・・」と言葉を濁された。ちゃんと診てくれているとは思うのだが、毎回の診察時間がごく短くてとても話ができないとおっしゃるのである。執筆中に聞いた話だったら、ネタに使いたい顛末だった。

 月曜日の勉強会で披露したところ、2人の若い人が「すぐ手に入れたい」と手を挙げた。桜美林時代の学生たちが、文字通り「健康への歩みを支える」仕事に携わっている。そして自分のとんだうっかりに気がついた。ブックレットにこめた内容には、既に30余回を数えるこの勉強会で学んだこと話し合ったことがたくさん含まれている。この会とメンバーへの謝辞を記さなかったのは、大きな忘恩というものだった。この場で深く反省・お詫びする次第である。

 

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 これとは別に『統合失調症のひろば』誌に小文を寄せる機会をいただいたので、近いうちに紹介したい。それから、昨年の6月に「心を聴く市民ネットワーク」で話したことを、主催者が文字に起こしてパンフレットにしてくれた。僕が校正に手間取ってこんなに遅くなってしまったが、これもISBNを付けて世に出してやりたいと思っている。

 などなど、暑さでヘタレている間に周りのおかげで諸事一段落し、次の仕事にとりくまないといけない。数ヶ月以内に締切を迎える作業が6件あり、まともに考えると気が遠くなるので考えないようにしていた。といって、まともに考えないと仕事は進まないんですよね、当然ながら。

 「6歳」にはやっぱり何かあるなと、yoko さんからの最新コメントで感じ、勉強会の仲間も口々に同感を表した。既に誰か書いているかもしれないが、誰が初めでも良い、そのことが少しはっきりして教育に反映されることを切に望む。これは僕の手には到底おえないことで、誰か何とかしてくれないかな。

 当方、本日はこれから長い会議日である。関西についで麻疹(はしか)の発生が報告されつつある千葉エリア、皆が無事でありますように。

Ω


6歳の頃

2016-09-12 08:06:46 | 日記

2016年9月12日

「思い出してごらん/5歳(いつつ)の頃を」 ・・・ 中島みゆき『5歳の頃』、これまた名曲。

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yoko 様

 再三のコメント、ありがとうございます。

> 私が、子供の頃に初めて「死生」を意識したのは、偶然にも先生と同じ6歳で、小学校に上がる前でした。

 拝見して、これはたぶん 「偶然」ではないのだろうと思いました。以前から気になっていたのですが、発達のある段階で「死生」に関する感度が急激に高まる時期があるのではないかと思います。そういう時期がなかったら、かえって不自然でしょう。例数を集めてみないと何もいえませんが、少なくとも私一例、yoko さん一例、あわせて二件の実例がここにあるわけです。そこからいろいろと考えてみても面白いのではないでしょうか。

 場当たり的な思いつきですが、この年齢が精神分析的な発達段階論で言えば、エディプス期から潜伏期への移行期にあたることも気になります。この時期に「死」をめぐる葛藤が急速に強まることにはたぶん必然的な理由があり、それが潜伏期(学童期)にいったん抑え込まれた後、思春期に至って再活性化するというプロセスは、生きる欲動全般の運命であるとともに、その裏返しとしての「死」への恐れにも当てはまることではないかと思うのです。

 思春期に備えて性教育を行うことは今ではひとつの「常識」になっているのでしょうが、同じく思春期に備えて死生観教育を提供するという観点が欠落していることは、今日までの教育の大きな欠陥ではないでしょうか。性教育が「生む」ことにまつわるモラルの問題だとすれば、これと対を為す「死ぬ」ことにまつわるモラル教育も、当然ながらたいせつな課題でしょう。

 昨日は自殺予防に関するNPO団体の集まりが東京であったらしく、そこで就活中の若者の自殺リスクが問題になったことをTVニュースで見ましたが、若者の自殺の根本的な予防を考えるなら、ターゲットとすべき年代はむしろ学童期ではないかと思います。

 以上、さしあたり根拠を欠いた思いつきであることを重ねて付記します。これから臨床心理を勉強なさる方には、ぜひ考えてみていただきたいことです。

 末筆ながら最近お父様を見送られた由、平安を心からお祈りいたします。

Ω

【yoko さんより第二信(抜粋)】

私が、子供の頃に初めて「死生」を意識したのは、偶然にも先生と同じ6歳で、小学校に上がる前でした。

その時は、上野の博物館で恐竜の化石展に連れて行ってもらった時でした。

暗幕の暗闇の中に浮かぶ、骨だけで姿を保っている恐竜。

その眩暈がするような壮大な時間の渦に呑み込まれてしまったんです。

今を生きている人間も生物も、死生の繰り返しの一部で、誰もそれに逆らえないのだなと感じ、何とも言えぬ気持ちになりました・・・。それこそ何度も悪夢を見たり;。