goo blog サービス終了のお知らせ 

散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

「いぶき」と「いびき」

2015-10-19 13:52:18 | 日記

2015年10月19日(月)

 「いぶき」という言葉は響きがよく、語源と思われる「息吹」の連想は力強い。いろんな字の当て方もあって、人名にもときどき使わる。男女どちらにも使えるということもあるかな、知人に一人(男の子)、親族に一人(女の子)この名がある。字の当て方はまったく違っている。

 うっかり「いびき」って言い間違えたら大変だねと冗談を言って、ふと思った。「いびき」も「息」に関係するのだから、もともと近い関係の言葉なのかもしれない。調べてみると案の定で、「いびき」は「鼾」の字を当てるけれど、もともと「息引き」の意と思われる由、大辞林その他にある。確かに鼾は、呼気よりも吸気の際のひっかかりとして起きることが多い。いっぽう「息吹き」はその字の通り、吹く息すなわち呼気の勢いが原義である。してみると、

 いびき = 息引き = 吸気

 いぶき = 息吹き = 呼気

 あらましそういう関係になるのだろう。

 長男が誕生して家に帰ってきたとき、すやすやと寝息を立てる音が静かな部屋の中で思いのほか大きく響いた。それを聞いていて、確かに新しい命がこの家に与えられたのだと、強く実感したことを思い出す。生きるとは、たえず息することに違いない。息苦しいのは生き苦しいことである。


三里塚詣で

2015-10-19 12:36:59 | 日記

2015年10月18日(日)

 土曜の晩に絵を見てオペラを見て、さっさと休んで日曜は早起きし、三里塚教会へ。日暮里から京成線に乗るのが安くて簡便、ただ成田空港へ向かう特急で、それほど混んでいるわけではないのに何となく落ち着かない。旅行を終えて帰る外国人観光客、これから出かける邦人旅行者、それぞれの緊張やら疲労やらが伝わってくるようである。そう、情緒や気分は如実に伝わるのだ。

 窓から入る日光は明るく、千葉の空は広い。日暮里から京成成田は62分かかる。佐倉を過ぎての駅名に昨年のことを思い出した。佐倉、大佐倉、酒々井、宗吾参道、公津の杜・・・成田山へ徐々に近づくのが駅名から分かる。酒々井(しすい)は教わらなければ読めない地名で、親孝行息子の井戸から酒が湧いたという伝説にちなむのだという。

・・・その昔、老いた父親と孝行息子がいた。 息子は、父親に好きな酒を飲ませたいと、毎日せっせと働いた。 ある日、仕事にあぶれて金がなく、酒を買えなかった。 肩を落とした帰り道、ふと道端の井戸から酒の香りが漂ってきた。 見ると井戸から酒が湧き、息子はそれから毎日、父親に酒を飲ませることができたという。伝説の井戸は、鎮守・麻賀多神社(佐倉)の御神酒を造っていた円福院神宮寺の井戸とされている。 寺は江戸期に衰退し井戸も埋まり、傍らの板碑(板石塔婆)だけが残っている。

(ぐるり房総>房総のまち>酒々井町 http://homepage3.nifty.com/f-shima/bouso/sisui.html)

 ということは、江戸時代よりはだいぶ古い伝説の由来なんだね。美談ではあるけれど、この孝行息子はアルコール依存症である父の enabler とも見ることができる。それはともかく、成田山へ徒歩で向かう人々は、道々こんなことも語りかわしながら参詣の気分を高めていったのだろう。

 

 

  などとありがたく借景しつつ、僕の詣でる先は成田山新勝寺ではない、日本基督教団三里塚教会である。前回と同じく、駅までWさんがわざわざ出迎えてくださった。

  礼拝には幼稚園児の母父ら20人ほどが出席、明らかに外国人と分かる人が父母一人ずつ。「子どもを招く主イエス・キリスト」と題して30分ほど話をし、大多数は真剣に聞き入ってくれた。終了後に幼稚園の園舎で心のこもったおもてなしをいただき、まったくもって遠足気分である。

 野村先生御夫妻とテンマくんの元気な姿を確かめ、秋の三里塚詣ではめでたく終了した。ああ、美味しかった!

    


Le nozze di Figaro

2015-10-19 11:44:47 | 日記

2015年10月17日(土)

 歌劇は『フィガロの結婚』、これは文句なく楽しかった。この序曲を初めて聞いたのは小4の時で、内中原小学校が昭和41年の松江市内の音楽コンクールで銀賞になった時、優勝校が演奏したのがそれだった。優勝校の名前は忘れたが、太田定明先生のバイオリン教室で同門だった小野さんと栂(とが)さんがメンバーにあり、この人たちの確かな演奏のおかげでテンポの速いあの序曲が見事こなせたのである。こちらは確か、『水上の音楽』だったかな。

 4幕ものの全体を通して聞くのが、実は初めてだった。ただ、これも30年近く前に映画『アマデウス』を見たとき、サリエリの葛藤を決定的に深めるきっかけとしてこの作品が扱われ、むしろそのことが印象に残っていた。そのためクライマックスについては、少々勘違いをしていたらしい。ビデオ版の字幕でサリエリの語るところは、「大団円間近の場面で、伯爵夫人は小間使いに変奏して夫の逢い引きの場に出かけ、年来聞くことのなかった夫の愛の言葉を身代わりとして聞き、涙にくれる」という風に読めた。僕の記憶違いかもしれないが、それならそれで捨てたものではない。これほど痛ましく、しかも甘美な涙があるだろうかと思われる。

 実際は少しだけ違っていて、伯爵夫人の涙はさほどの注目を与えられずに場面が展開する。ここに巧みな鏡像関係があって、伯爵は夫人とフィガロが逢い引きしていると思い込み復讐の怒りで一杯になるのだが、夫人と見えたのが実は衣装を取り替えたフィガロの新妻スザンナ、つまり自分が誘惑しようとしていた「小間使い」であることを知る。そのとき伯爵は自分の企ての愚かしさと罪深さを思い知り、伯爵夫人に赦しを請う。

 "Contessa, perdono"

 寛容なる伯爵夫人が、赦しを与える。

 "Dico di si."

 悔い改めと赦しが大団円を飾る、この場面を指してサリエリが「赦しが満場を満たす」と悔しながらに絶賛したのだ。これで腑に落ちました。

***

 何でと訊かれると困るが、好きなオペラを挙げろと言われたらワーグナーものは番外の別格として(好きかどうかは微妙だが別格の凄まじさで、学生時代むやみに聞いた)、『カルメン』と『フィガロ』が外せない。

 『フィガロ』の原作と台本にも敬意を表する必要がある。

 原作はボーマルシェ(Beaumarchais)こと本名ピエール=オーギュスタン・カロン(Pierre-Augustin Caron)の戯曲『たわけた一日、あるいはフィガロの結婚』。彼は『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』『罪ある母』のフィガロ三部作で有名なんだそうだ。イタリア語の台本を書いたのはロレンツォ・ダ・ポンテとある。

 音楽は聴くものだ。

  


風景画の誕生とプロテスタント

2015-10-19 10:17:23 | 日記

2015年10月17日(土)

 明日のこともあって少々気ぜわしいが、前々からの計画通り今夕はオペラ観劇に出かけた。ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇場オペラ(!)が来日中なのである。すっかりアウェーの地になった渋谷の雑踏を通り抜け、東急文化村へ。少し早くでて美術展も見てやろうというのは、父のおかげで手に入る株主優待券を無駄にすまいとの魂胆でもある。こちらはウィーン美術史美術館所蔵品による『風景画の誕生』だ。ザ・ミュージアムは決して広くはないが、これで十分という感じがする。このスペースにほどよく収められた美術品を丁寧に見て回れば、優に半日仕事である。今日は30分、この内容なら出直しても良いと思った。

  

 16-17世紀のネーデルランドやフランドルの画家のものが中心で、ある程度見慣れていてホッとするということろがある。題材を聖書にとったものが多いから、その意味でもここではホーム感覚があり、理解しやすい。人物画の背景に、たとえば復活のキリストを岸辺に見出して、漁船から水に飛び込み駆け寄るペトロの姿がミニチュアのように描き込まれていたりするが、こんなのは聖書の読者でないと意味も何も分かるまい。

 それより今回は、「ナゼ風景画が描かれるようになったか」という劈頭の問に虚を突かれた。僕は絵はからっきしのヘタクソで、それでも樹木や風景ならまだしも何とかなるが、人物を描こうとすると惨めに破綻することが必定だった。まして人柄や感情の描写なんて、話の外である。人物画は風景画よりも高いスキルを必要とし、より高次の精神活動に属する。自分がそうである以上、人類一般もそうに違いなく、まず風景画が描かれ、ついで人物画へ進化を遂げたに違いないと。

 これが浅知恵だったのですね。人類はどこでも、風景画に先んじて人物画を ~ 正確には人間活動を描いている。ラスコーやアルタミラの洞窟壁に描かれていたものの大部分は動物、ラスコーではこれに人間の絵や人の手形が含まれるという。ここは熟慮を要するところだが、関心の中心にあるものに素直に注目する場合、食物として人の生を支える動物(=対象)、ついで動物を狩る人間自身(=主体)を描こうとするのは当然だ。風景を愛でるのは、飽食したヒマ人にして初めて可能なことである。

 同じ論法を先史時代から古代へ転用するなら(ひどい飛躍だが)、そこでも関心事はまず人間であり、階級分化以前の狩猟民が「皆の関心事である動物」を描いたとすれば、分化後の支配的有閑階級が自己意識を芸術のうえに投影し、剰え自分で描くのではなしに人に描かせる形で人物画を生み出したのは、これまた自然。風景画がずっと遅れるのは理の当然ということになる。東アジア文化圏では、中国発の山水画などというものが転換点を画したのだろうか。ヨーロッパでは17世紀のオランダが重要であるというのが、この展覧会のキー・コンセプトになっているようだ。

 さらに意表を突かれたのは、どうやらこの文化圏に広まったプロテスタント信仰(プロテスタント信仰によって生み出されたこの文化圏というべきか)が、風景画誕生の立役者と考えられているらしいことだ。これまた僕の盲点で、僕自身は歴としたプロテスタントの信者でありそれを誇りにもしているけれど、カトリックとプロテスタントが西方教会の幹から出た兄弟であることや、ここ500年ほどの兄弟ゲンカの末に2000年の一致を取り戻しつつあることを、よりいっそう喜ばしいと思っている。違いよりは共通点を大事にして人にも語るので、ヴェーバー流にせよ何流にせよプロテスタントの文化的意義を強調する論に、あまり耳が向かないところがあった。

 これは半日かけて再訪する必要がありそうである。

 もうひとつ、写真で言えば圧倒的な広角派であるブリューゲル一族の絵の、細部が実に精密に描かれていることにあらためて気づいた。ここにまた光学的必然性がある。ルノワール風の中望遠では主人公が浮かび上がって背景がボケる。広角の深い被写界深度では、すべての対象に焦点が合うのでディテイルを省略できない。ブリューゲルらは、己の選択を呪ったことがなかっただろうか。

 絵は見るものだ。