2014年3月29日(土)
休み休み、行けるときに通っていた、石倉先生の囲碁教室を本日で自主卒業。
3年前、受講を申し込んだ直後に震災が起き、この時勢にこんなことしてていいのかと思いながら、それで右往左往するのも違う感じがして予定通り始めたのだ。
人間相手の対局というものをしたことがなかったから、最初は思いがけず手が震えた。二段で始めて五段まで上げてもらったが、頼りない五段である。雰囲気の良い教室で続けたいのは山々ながら、土日に集中する放送大学の仕事が年々増加し、休み休みも限界である。
3年はいい括りで、子どもの頃から3年ごとの引越し転校が習い性になっているから、あまり長いとかえって落ち着かなかったりする。
対局の方は前週まで105局、60勝35敗10引き分け。どの一局もあらまし雰囲気を思い出すことができるのは不思議なことだ。手続き記憶とエピソード記憶の違いを今さら実感するところ。
最後は誰と当てられるかなと思い巡らしながら出かけたら、何と・・・
インストラクター、Oさんの指導碁を用意してくださった。
Oさんは日本棋院の元院生で、4~5年前の全国女子アマチャンピオンである。今年はまた好調で、同じくアマ強豪の御主人と組んでのペア碁国際大会では、優勝した韓国ペアをあと一歩まで追い詰めた。前週の女子アマでは惜しくも準優勝。
「Oさんに勝った女流は皆プロになっている」(石倉先生)というほどの人だから、僕らから見ればプロと同じ、指導碁は「卒業」のお祝いなのだ。
3子置いて粛々と打ち始めるが、何を打ったのかよく分からない。珍しく盛り上がりに欠ける碁を何となく打ってしまい、終わって作れば盤面で14目も負けている。柄にもなく手堅さに終始して、中央と上辺に大きな地を作られてしまった。それでも非勢を認識すらしていなかったのは、未熟の誹りを免れない。
「打ち込んだ白を、もう少し攻めたかったですね」とOさん、攻めれば反撃に遭うに決まっているが、そこから碁が始まるというのが「盤上の格闘技」たる所以、闘わないのでは打たなかったのと同じである。結果ではなく、打ち方に悔いの残る卒業対局になってしまった。
早めに打ち込めば良かった、あるいは中盤で天元に、等々ぼやいていたら、碁敵のNさんがニヤリと笑って、
「まあ、不思議ないですね。」
「?」
「石丸さん、Oさんのこと大好きでしょ?僕と打つ時は虎みたいでも、おおかたOさん相手には、借りてきたネコみたいな打ち方したんだ。見なくても分かりますよ。」
この人、こういうこと言うんだ。
Nさんとは勝ったり負けたりだったが、ここ4~5局ほどは、大石を召し捕っての大差中押しが続いている。
次はもっとボコボコにしてやるからなと念じつつ、メールアドレスを交換する。
中高年者が多い教室の中に、一人だけ中学生がいて目立っていた。
若い子の進歩は驚くべく速い。不思議に僕とは対局がなかったが、相前後して五段に上がり、師範代格のMさんと対等の勝負をしている。
三男とタメ、高校受験だそうでしばらく姿が見えなかったが、無事合格して年明けから復帰していた。今日は隣りで打っていたので入学先を訊ねてみたら、これが僕(と長男)の出身校である。指折り数えて42年ほどの後輩になるわけだ。僕の頃には囲碁部なんかなかったし、長男の頃にもさほど強くなかったはずだが、このところ急成長で女子を中心に活躍が目覚ましいと聞いた。
サッカーか囲碁か、「その組み合わせで兼部は無理」と面接で言われたので、「すごく迷ってます」とニコニコしている。
人生の春、楽しみなことだ。
帰宅して、囲碁雑誌のバックナンバーなどを一山捨てた。
しばらく碁はおあずけだが、いつかもう一度Oさんに挑戦してみたい。
今度はきっと、虎のように打ってみせるから。
***
夜、『12人の優しい日本人』を見る。
米映画『12人の怒れる男』の三谷幸喜脚本による翻案、勝沼さんに存在を教わっていた。
1991年の作品で、登場する男性たちがむやみにタバコを吸うあたりも、年代を感じさせる。もっとも、原作の『怒れる男』は1954年の映画だから、両作品の間の37年間の開きはさらに大きい。原作で陪審員12名が全員白人であり男性であるのは、今なら憲法違反の設定だ。だけど1991年の日本では、裁判員制度の予定すらなかったのだから、そこでこの翻案を計画立案したこと自体の意欲と狙いが注目される。
立ち上がりは、言動のわざとらしさや設定の無理が気になったが、次第に引き込まれ、随所で『怒れる男』を思い出しながらまずまず楽しんだ。
以下、感想の箇条書き。
○ 原作では、12人の構成にアメリカ社会の複雑多様なあり方が反映され、そこが大きな見どころになっていた。明らかにドイツ系と思われる時計職人が、アメリカの民主主義に対する信頼を述べる部分は、感動的な小スピーチになっていたと記憶する。
その部分が『優しい日本人』では当然違ってくる。違ってくるというのは、日本社会の特有の様相が現われるということで、エスニックな多様性やそれを統合するシステムへの信頼/疑問などが問われることなく、代わりに同じ日本人とは言いながらそれぞれが抱えている「私的事情」の微妙な温度差が、そこここに滲み出てくることになる。
そうした対比そのものが面白い。
○ 原作は、一見いかにも「有罪」と思われるケースに対して一人だけが疑問を呈し、次第にこれが覆されていく流れである。『優しい日本人』はこれにひねりを加え、いわば「なあなあ無罪」で片づきそうなケースに一人だけが逆の疑問を呈し、これが皆を巻き込んで「有罪」と決しそうになったとき、どうしても腑に落ちない二人の歯切れの悪さが思いがけない再逆転を導く設定にしてある。
これは秀逸と思う点で、僕らの痼疾である「事なかれ主義」は「疑わしきは被告人の利益(=無罪)」というところに安直な解決を求めるから、いったん「事なかれ主義」をひっくり返したうえで、あらためて「状況証拠の想像にもとづく合成」が崩されていくという右往左往は確かに必要だ。そしてそのことの必要性が、またしても僕らの社会の問題の所在を示唆している。
アメリカ人は正義の創出に過度に熱心であり、日本人はあまりにも関心を持たなさすぎる、そう言ったら乱暴かな。
○ 以上とも関連することだろうが。原作ではヘンリー・フォンダ扮する主人公が、冒頭の問題提起から決着に至るまで、一貫して理性と良心の誘導役を果たしている。『優しい日本人』では、「有罪」の可能性を指摘して皆を「話し合い」に巻き込んでいく前半のリーダーが、後半では私的感情から「有罪」に固執して「話し合い」を逆に裏切りはじめ、やがて冒頭では無関心・無責任と思われた別の男が、皆の思い込みを掘り崩すリーダーの役割を取ることになる。
中心的な役割をとる人物の劇半ばでのバトン・タッチは、アメリカ人ならたぶんあまり喜ばないところで、いっぽう僕(ら)には、このほうが現実的でもあり望ましいものにも思われる。
最後にひとつ。僕はこの作品が、もっと最近のものだと思いこんで見ていたので、「林美智子という素敵な女優が昔いたが、このオバサン役の人はちょっと雰囲気が似ている」などと家族に解説していた。
林美智子その人だったのだ!
母性と情緒的判断の塊のような巷の女性を、見事に好演していましたよ。
この名女優が同郷(愛媛県八幡浜市出身)であると気づいたのは、嬉しいオマケでありました。
休み休み、行けるときに通っていた、石倉先生の囲碁教室を本日で自主卒業。
3年前、受講を申し込んだ直後に震災が起き、この時勢にこんなことしてていいのかと思いながら、それで右往左往するのも違う感じがして予定通り始めたのだ。
人間相手の対局というものをしたことがなかったから、最初は思いがけず手が震えた。二段で始めて五段まで上げてもらったが、頼りない五段である。雰囲気の良い教室で続けたいのは山々ながら、土日に集中する放送大学の仕事が年々増加し、休み休みも限界である。
3年はいい括りで、子どもの頃から3年ごとの引越し転校が習い性になっているから、あまり長いとかえって落ち着かなかったりする。
対局の方は前週まで105局、60勝35敗10引き分け。どの一局もあらまし雰囲気を思い出すことができるのは不思議なことだ。手続き記憶とエピソード記憶の違いを今さら実感するところ。
最後は誰と当てられるかなと思い巡らしながら出かけたら、何と・・・
インストラクター、Oさんの指導碁を用意してくださった。
Oさんは日本棋院の元院生で、4~5年前の全国女子アマチャンピオンである。今年はまた好調で、同じくアマ強豪の御主人と組んでのペア碁国際大会では、優勝した韓国ペアをあと一歩まで追い詰めた。前週の女子アマでは惜しくも準優勝。
「Oさんに勝った女流は皆プロになっている」(石倉先生)というほどの人だから、僕らから見ればプロと同じ、指導碁は「卒業」のお祝いなのだ。
3子置いて粛々と打ち始めるが、何を打ったのかよく分からない。珍しく盛り上がりに欠ける碁を何となく打ってしまい、終わって作れば盤面で14目も負けている。柄にもなく手堅さに終始して、中央と上辺に大きな地を作られてしまった。それでも非勢を認識すらしていなかったのは、未熟の誹りを免れない。
「打ち込んだ白を、もう少し攻めたかったですね」とOさん、攻めれば反撃に遭うに決まっているが、そこから碁が始まるというのが「盤上の格闘技」たる所以、闘わないのでは打たなかったのと同じである。結果ではなく、打ち方に悔いの残る卒業対局になってしまった。
早めに打ち込めば良かった、あるいは中盤で天元に、等々ぼやいていたら、碁敵のNさんがニヤリと笑って、
「まあ、不思議ないですね。」
「?」
「石丸さん、Oさんのこと大好きでしょ?僕と打つ時は虎みたいでも、おおかたOさん相手には、借りてきたネコみたいな打ち方したんだ。見なくても分かりますよ。」
この人、こういうこと言うんだ。
Nさんとは勝ったり負けたりだったが、ここ4~5局ほどは、大石を召し捕っての大差中押しが続いている。
次はもっとボコボコにしてやるからなと念じつつ、メールアドレスを交換する。
中高年者が多い教室の中に、一人だけ中学生がいて目立っていた。
若い子の進歩は驚くべく速い。不思議に僕とは対局がなかったが、相前後して五段に上がり、師範代格のMさんと対等の勝負をしている。
三男とタメ、高校受験だそうでしばらく姿が見えなかったが、無事合格して年明けから復帰していた。今日は隣りで打っていたので入学先を訊ねてみたら、これが僕(と長男)の出身校である。指折り数えて42年ほどの後輩になるわけだ。僕の頃には囲碁部なんかなかったし、長男の頃にもさほど強くなかったはずだが、このところ急成長で女子を中心に活躍が目覚ましいと聞いた。
サッカーか囲碁か、「その組み合わせで兼部は無理」と面接で言われたので、「すごく迷ってます」とニコニコしている。
人生の春、楽しみなことだ。
帰宅して、囲碁雑誌のバックナンバーなどを一山捨てた。
しばらく碁はおあずけだが、いつかもう一度Oさんに挑戦してみたい。
今度はきっと、虎のように打ってみせるから。
***
夜、『12人の優しい日本人』を見る。
米映画『12人の怒れる男』の三谷幸喜脚本による翻案、勝沼さんに存在を教わっていた。
1991年の作品で、登場する男性たちがむやみにタバコを吸うあたりも、年代を感じさせる。もっとも、原作の『怒れる男』は1954年の映画だから、両作品の間の37年間の開きはさらに大きい。原作で陪審員12名が全員白人であり男性であるのは、今なら憲法違反の設定だ。だけど1991年の日本では、裁判員制度の予定すらなかったのだから、そこでこの翻案を計画立案したこと自体の意欲と狙いが注目される。
立ち上がりは、言動のわざとらしさや設定の無理が気になったが、次第に引き込まれ、随所で『怒れる男』を思い出しながらまずまず楽しんだ。
以下、感想の箇条書き。
○ 原作では、12人の構成にアメリカ社会の複雑多様なあり方が反映され、そこが大きな見どころになっていた。明らかにドイツ系と思われる時計職人が、アメリカの民主主義に対する信頼を述べる部分は、感動的な小スピーチになっていたと記憶する。
その部分が『優しい日本人』では当然違ってくる。違ってくるというのは、日本社会の特有の様相が現われるということで、エスニックな多様性やそれを統合するシステムへの信頼/疑問などが問われることなく、代わりに同じ日本人とは言いながらそれぞれが抱えている「私的事情」の微妙な温度差が、そこここに滲み出てくることになる。
そうした対比そのものが面白い。
○ 原作は、一見いかにも「有罪」と思われるケースに対して一人だけが疑問を呈し、次第にこれが覆されていく流れである。『優しい日本人』はこれにひねりを加え、いわば「なあなあ無罪」で片づきそうなケースに一人だけが逆の疑問を呈し、これが皆を巻き込んで「有罪」と決しそうになったとき、どうしても腑に落ちない二人の歯切れの悪さが思いがけない再逆転を導く設定にしてある。
これは秀逸と思う点で、僕らの痼疾である「事なかれ主義」は「疑わしきは被告人の利益(=無罪)」というところに安直な解決を求めるから、いったん「事なかれ主義」をひっくり返したうえで、あらためて「状況証拠の想像にもとづく合成」が崩されていくという右往左往は確かに必要だ。そしてそのことの必要性が、またしても僕らの社会の問題の所在を示唆している。
アメリカ人は正義の創出に過度に熱心であり、日本人はあまりにも関心を持たなさすぎる、そう言ったら乱暴かな。
○ 以上とも関連することだろうが。原作ではヘンリー・フォンダ扮する主人公が、冒頭の問題提起から決着に至るまで、一貫して理性と良心の誘導役を果たしている。『優しい日本人』では、「有罪」の可能性を指摘して皆を「話し合い」に巻き込んでいく前半のリーダーが、後半では私的感情から「有罪」に固執して「話し合い」を逆に裏切りはじめ、やがて冒頭では無関心・無責任と思われた別の男が、皆の思い込みを掘り崩すリーダーの役割を取ることになる。
中心的な役割をとる人物の劇半ばでのバトン・タッチは、アメリカ人ならたぶんあまり喜ばないところで、いっぽう僕(ら)には、このほうが現実的でもあり望ましいものにも思われる。
最後にひとつ。僕はこの作品が、もっと最近のものだと思いこんで見ていたので、「林美智子という素敵な女優が昔いたが、このオバサン役の人はちょっと雰囲気が似ている」などと家族に解説していた。
林美智子その人だったのだ!
母性と情緒的判断の塊のような巷の女性を、見事に好演していましたよ。
この名女優が同郷(愛媛県八幡浜市出身)であると気づいたのは、嬉しいオマケでありました。