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散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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卒業/映画メモ 007 『12人の優しい日本人』

2014-03-30 07:56:57 | 日記
2014年3月29日(土)

 休み休み、行けるときに通っていた、石倉先生の囲碁教室を本日で自主卒業。
 3年前、受講を申し込んだ直後に震災が起き、この時勢にこんなことしてていいのかと思いながら、それで右往左往するのも違う感じがして予定通り始めたのだ。
 人間相手の対局というものをしたことがなかったから、最初は思いがけず手が震えた。二段で始めて五段まで上げてもらったが、頼りない五段である。雰囲気の良い教室で続けたいのは山々ながら、土日に集中する放送大学の仕事が年々増加し、休み休みも限界である。
 3年はいい括りで、子どもの頃から3年ごとの引越し転校が習い性になっているから、あまり長いとかえって落ち着かなかったりする。
 対局の方は前週まで105局、60勝35敗10引き分け。どの一局もあらまし雰囲気を思い出すことができるのは不思議なことだ。手続き記憶とエピソード記憶の違いを今さら実感するところ。
 最後は誰と当てられるかなと思い巡らしながら出かけたら、何と・・・

 インストラクター、Oさんの指導碁を用意してくださった。
 Oさんは日本棋院の元院生で、4~5年前の全国女子アマチャンピオンである。今年はまた好調で、同じくアマ強豪の御主人と組んでのペア碁国際大会では、優勝した韓国ペアをあと一歩まで追い詰めた。前週の女子アマでは惜しくも準優勝。
 「Oさんに勝った女流は皆プロになっている」(石倉先生)というほどの人だから、僕らから見ればプロと同じ、指導碁は「卒業」のお祝いなのだ。
 3子置いて粛々と打ち始めるが、何を打ったのかよく分からない。珍しく盛り上がりに欠ける碁を何となく打ってしまい、終わって作れば盤面で14目も負けている。柄にもなく手堅さに終始して、中央と上辺に大きな地を作られてしまった。それでも非勢を認識すらしていなかったのは、未熟の誹りを免れない。
 「打ち込んだ白を、もう少し攻めたかったですね」とOさん、攻めれば反撃に遭うに決まっているが、そこから碁が始まるというのが「盤上の格闘技」たる所以、闘わないのでは打たなかったのと同じである。結果ではなく、打ち方に悔いの残る卒業対局になってしまった。
 早めに打ち込めば良かった、あるいは中盤で天元に、等々ぼやいていたら、碁敵のNさんがニヤリと笑って、
 「まあ、不思議ないですね。」
 「?」
 「石丸さん、Oさんのこと大好きでしょ?僕と打つ時は虎みたいでも、おおかたOさん相手には、借りてきたネコみたいな打ち方したんだ。見なくても分かりますよ。」
 この人、こういうこと言うんだ。
 Nさんとは勝ったり負けたりだったが、ここ4~5局ほどは、大石を召し捕っての大差中押しが続いている。
 次はもっとボコボコにしてやるからなと念じつつ、メールアドレスを交換する。

 中高年者が多い教室の中に、一人だけ中学生がいて目立っていた。
 若い子の進歩は驚くべく速い。不思議に僕とは対局がなかったが、相前後して五段に上がり、師範代格のMさんと対等の勝負をしている。
 三男とタメ、高校受験だそうでしばらく姿が見えなかったが、無事合格して年明けから復帰していた。今日は隣りで打っていたので入学先を訊ねてみたら、これが僕(と長男)の出身校である。指折り数えて42年ほどの後輩になるわけだ。僕の頃には囲碁部なんかなかったし、長男の頃にもさほど強くなかったはずだが、このところ急成長で女子を中心に活躍が目覚ましいと聞いた。
 サッカーか囲碁か、「その組み合わせで兼部は無理」と面接で言われたので、「すごく迷ってます」とニコニコしている。
 人生の春、楽しみなことだ。

 帰宅して、囲碁雑誌のバックナンバーなどを一山捨てた。
 しばらく碁はおあずけだが、いつかもう一度Oさんに挑戦してみたい。
 今度はきっと、虎のように打ってみせるから。

***

 夜、『12人の優しい日本人』を見る。
 米映画『12人の怒れる男』の三谷幸喜脚本による翻案、勝沼さんに存在を教わっていた。
 1991年の作品で、登場する男性たちがむやみにタバコを吸うあたりも、年代を感じさせる。もっとも、原作の『怒れる男』は1954年の映画だから、両作品の間の37年間の開きはさらに大きい。原作で陪審員12名が全員白人であり男性であるのは、今なら憲法違反の設定だ。だけど1991年の日本では、裁判員制度の予定すらなかったのだから、そこでこの翻案を計画立案したこと自体の意欲と狙いが注目される。

 立ち上がりは、言動のわざとらしさや設定の無理が気になったが、次第に引き込まれ、随所で『怒れる男』を思い出しながらまずまず楽しんだ。
 以下、感想の箇条書き。

○ 原作では、12人の構成にアメリカ社会の複雑多様なあり方が反映され、そこが大きな見どころになっていた。明らかにドイツ系と思われる時計職人が、アメリカの民主主義に対する信頼を述べる部分は、感動的な小スピーチになっていたと記憶する。
 その部分が『優しい日本人』では当然違ってくる。違ってくるというのは、日本社会の特有の様相が現われるということで、エスニックな多様性やそれを統合するシステムへの信頼/疑問などが問われることなく、代わりに同じ日本人とは言いながらそれぞれが抱えている「私的事情」の微妙な温度差が、そこここに滲み出てくることになる。
 そうした対比そのものが面白い。

○ 原作は、一見いかにも「有罪」と思われるケースに対して一人だけが疑問を呈し、次第にこれが覆されていく流れである。『優しい日本人』はこれにひねりを加え、いわば「なあなあ無罪」で片づきそうなケースに一人だけが逆の疑問を呈し、これが皆を巻き込んで「有罪」と決しそうになったとき、どうしても腑に落ちない二人の歯切れの悪さが思いがけない再逆転を導く設定にしてある。
 これは秀逸と思う点で、僕らの痼疾である「事なかれ主義」は「疑わしきは被告人の利益(=無罪)」というところに安直な解決を求めるから、いったん「事なかれ主義」をひっくり返したうえで、あらためて「状況証拠の想像にもとづく合成」が崩されていくという右往左往は確かに必要だ。そしてそのことの必要性が、またしても僕らの社会の問題の所在を示唆している。
 アメリカ人は正義の創出に過度に熱心であり、日本人はあまりにも関心を持たなさすぎる、そう言ったら乱暴かな。

○ 以上とも関連することだろうが。原作ではヘンリー・フォンダ扮する主人公が、冒頭の問題提起から決着に至るまで、一貫して理性と良心の誘導役を果たしている。『優しい日本人』では、「有罪」の可能性を指摘して皆を「話し合い」に巻き込んでいく前半のリーダーが、後半では私的感情から「有罪」に固執して「話し合い」を逆に裏切りはじめ、やがて冒頭では無関心・無責任と思われた別の男が、皆の思い込みを掘り崩すリーダーの役割を取ることになる。
 中心的な役割をとる人物の劇半ばでのバトン・タッチは、アメリカ人ならたぶんあまり喜ばないところで、いっぽう僕(ら)には、このほうが現実的でもあり望ましいものにも思われる。
 
 最後にひとつ。僕はこの作品が、もっと最近のものだと思いこんで見ていたので、「林美智子という素敵な女優が昔いたが、このオバサン役の人はちょっと雰囲気が似ている」などと家族に解説していた。
 林美智子その人だったのだ!
 母性と情緒的判断の塊のような巷の女性を、見事に好演していましたよ。
 この名女優が同郷(愛媛県八幡浜市出身)であると気づいたのは、嬉しいオマケでありました。

フランシーヌの場合/ブログの不思議

2014-03-30 07:04:11 | 日記
2014年3月30日(日)

 『フランシーヌの場合』、だね。
 「3月30日の日曜日/パリの朝に燃えた命ひとつ/フランシーヌ」

 あの歌が街に流れたのは、事件と同じ1969年、
 僕は中1で山形から名古屋へ移った年だった。

 『君はフランシーヌ・ルコントを知っているか』というブログを見つけた。
 事件と歌、双方の仔細が紹介されている。
 http://banyuu.txt-nifty.com/21st/2004/11/post_14.html

***

 前日のブログ訪問者数とPV(閲覧ページ数)を、編集頁で見るともなく見ている。
 訪問者数がじりじり増えて毎日200人近くになっていたので、こんな偏った独り言をいったい誰が読んでくれるのだろうと不思議に思っていたら、先週の後半から突然半減した。理由がよく分からない。
 少し拍子抜けしたが、これがノーマルと安堵もする。これでも多いぐらい。
 それより、訪問者数が激減したのにPVはほとんど減っていないのが不思議。訪問した人は、あちこち丁寧に読んでくれているということだ。

 ありがとうございます。
 また後で。

朝刊3題: スーパールーキー/女の匂い/神様はチャンスをくれた

2014-03-29 06:56:27 | 日記
2014年3月29日(土)

 プロ野球開幕。
 スワローズ快勝!みんな聞いてるかい?

 名手・宮本の後継遊撃手として、守備を買われて8番に起用されたルーキー西浦。
 一回一死、一、三塁のチャンスで初球を左中間へ本塁打。試合を決める一打になった。
 
 プロ初打席でいきなり本塁打は史上55人目だが、これを開幕試合で達成したのは史上2人目で、セリーグでは初。初球での達成はプロ野球史上初だってさ。(開幕試合に限らなければ、プロ初打席初球本塁打は8人目だって。頭がこんがらがるね。)

 西浦直享(にしうら・なおみち)、奈良県出身。天理高校では1年の秋から控え内野手としてベンチ入り、3年の春・夏と甲子園出場。法政大学では1年の春からベンチ入りし、4年春の六大学リーグでベストナインに選ばれている。昨秋のドラフトでスワローズ2位指名。

 堅実な守備が売り物の選手だが、プロに入ってから打撃が進歩する選手はたくさんいる。それに西浦のお手本は宮本慎也、「2千本安打達成者の中で最も本塁打の少ない選手」なんだからね。

 こいつは春から縁起がいいや、スワローズ戦の楽しみができました!

*** 

 「あんた誰だ?このお寺には女中さんなんかいなかったはずだぁ」
 相手は目を丸くした。
 「じ、女中って」
 何を驚いてンだ。簑吉はつい笑った。
 「だってあんた女だろが。どこのもんだぁ。和尚様のお世話をしてたのかぁ?」
 「おれが女だと、なぜわかる」
 しつこいなあ。
 「男みたいな格好してるけどさ、匂いが女だ」
『荒神』372

・・・恐れ入りました、宮部先生。

***

 原子力のエンジニアにとって、放射能が環境に大量に放出されてしまうような炉心溶解事故は、100万年に1回以下の発生頻度となるように対策を取るべきであることが常識となっている。津波を考えるうえでも、当然「100万年に1回の津波とはどんなものか」と考えるべきだった。
 ところが、福島第一は1966年に設置許可を国に申請した際、60年のチリ地震津波を「最大」として設計の条件にした。
 提出した方も提出した方だと思うが、よくこの申請が通ったと今でも恥ずかしくなる。当時としては、それが技術の知見の最善だったのかもしれないが、そういう想定の甘さがあって全電源喪失になったのが問題だったと思う。
 70年に運転を始めた後、奥尻島の津波(93年)、スマトラの津波(2004年)があった。神様はチャンスをくれた。勉強して改めるチャンスをくれた。いきなり3・11になったわけではなかった。そんな気がする。
 それなのに、スマトラの津波を見た後にも、福島沖の日本海溝では津波が起こらないという信念を、なぜ持ち続けることができたのか。自然現象に対する謙虚さ、原子力安全に対する謙虚さというものが足りなかったと思っている。

 東京電力常務、姉川尚史(あねがわ・たかふみ)さんへのインタビューから。
 姉川氏は僕と同い年だ。

死生学事始め/性靜情逸 心動神疲 ~ 千字文 049

2014-03-28 07:39:13 | 日記
2014年3月28日(金)

 4月開講の『死生学入門』について、早々に科目案内を制作したいとの依頼が広報担当から来ている。「この科目は特に学生の関心が高く」って、開講前に何で分かるのかなと思えば、そうか、受講の申込みが順調に増えているんだな。そのデータを見て言ってきたのだ。
 それはそのはず、そういう時代と見込んで科目を開いたのだ。
 そうとなれば、よし・・・

***

○ 性靜情逸 心動神疲(セイセイ・セイイツ シンドウ・シンヒ)
 本性が落ち着いていれば、情は穏やかであり
 心が動くならば、精神が疲れる

 性・情・心・神、この4者の関係を整理しないといけない。
 かなり厄介な問題で、ヨーロッパ語や大和言葉との対応も、ねじれや重なりが随所にあって相当ややこしい。英語とドイツ語ですら、なかなか対応がすっきりしない。

 帰ってからに致しましょう。

雨のち曇りの木曜日

2014-03-28 07:09:14 | 日記
2014年3月27日(木)

 いつも通り、午後から御茶ノ水で仕事だが、どうにもこうにも調子が出ない。
 ヘタな句を頭の中で反復しつつ、今頃はと考えている。

 息子達が三人とも出払っていて、珍しく二人だけの静かな夜。
 家内が借りてきたDVDを見た。

 『最強のふたり』、原題は "Intouchable" 、untouchable の誤記ではない、フランス映画なのだ。英語の影響を受けた仏語だろうな。
 ものすごく面白かった。超富豪の白人男性と、スラム育ちの黒人介護者、アメリカでもまったく同じ設定ができるだろうし、実話に基づく happy ending なストーリーだからアメリカでも大受けするだろうが、できあがりは微妙に違うものになっただろう。
 人が支え合うとはこうしたものだ。
 そして笑いの力。
 しかつめらしい顔でもっともらしい理屈をこねるのは、余裕のある人間のすることだ。
 とことん追い詰められた人々は笑い飛ばすことを覚えるし、そうせずには生きていけない。赤塚不二夫など、典型だった。

 早々に寝ようとして、ケイチャンからのメールに気づいた。

*

 石君

 シュンちゃんと一時のお別れをしました。
 めちゃ泣いちゃいました。

 昨年の同窓会のおかげで多くの友達と連絡ができ、まるで同窓会の様でした。
 皆で送り出すことが出来て良かったです。

 忍ぶ会には声掛けますね。

*

 本文わずか5行の中に、どれほどの叡智がこめられていることか。
 「一時の」別れ、故人が人を集めること、集まって皆で泣いて送ること、
 同窓会?壮行会?

 「忍ぶ会」は「偲ぶ会」の誤記だろうが、「偲ぶ会」は「忍ぶ会」でもあるのだ。

 昨日の電話で、ケイちゃんは「あんたも体に気をつけないかんよ」と名古屋弁で繰り返した。お袋みたいだ。
 ケイちゃんこそ、商売物に手を出しすぎたらあかんよ。何せ酒屋のおかみさんなんだからね。