散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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節義廉退 顛沛匪虧 ~ 千字文 048

2014-03-24 12:47:29 | 日記
2014年3月24日(月)

○ 節義廉退 顛沛匪虧(セツギ レンタイ テンパイ ヒキ)
 顛沛(テンパイ)はつまづき倒れること、廉(レン)は「清廉潔白」の廉、退(タイ)は人に譲って自分は退がる意。
 匪は非に同じく否定辞、虧(キ)は欠ける。
 
 ということで、
 「節操・道義・清廉・謙虚、つまずき倒れる時にもこれらの徳が欠けることのないようにせよ」
 とのススメだそうだ。

ライシャワー事件/鶴竜優勝/大阪市長選

2014-03-24 12:46:55 | 日記
2014年3月24日(月)

 1964年のこの日、当時の米国駐日大使E.ライシャワー氏が、19歳の少年に刺されて重傷を負う事件が起きた。僕は7歳の小2だったが、何となく記憶にある。前年のJFK暗殺あたりから、そろそろ記憶に残り始める社会的事件は、その多くがアメリカがらみである。
 この事件のインパクトは、今の日本人の想像を超えるだろう。
 敗戦から未だ20年弱、占領体制が解かれたのは心理的にはつい昨日というこの時期、事実上の支配者であるアメリカ合衆国の代表者である大使にもしものことがあったら、
 「国を潰される」
 人々が ~ 特に政権担当者が ~ そう感じたとしても無理はない。
 大津事件、1891(明治24)年に訪日中のロシア皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が警察官に斬りつけられて負傷した事件が連想される。13年後に戦火を交えることになる仮想敵国ロシアの帝位継承者に対する襲撃事件で、治外法権を伴う半植民地状態にあった日本の為政者は、それこそ国が潰される恐怖に駆られたはずだ。
 事件後に、犯人・津田三蔵を極刑に処すことで相手をなだめようとする強い政治圧力が働いたのに対し、大審院長・児島惟謙(伊予・宇和島の人!)が罪刑法定主義の原則を守って屈しなかったこともよく知られる。注意したいのは、このプロセスを注視していた欧米列強が日本の法システムの近代化を知り、結果的に不平等条約の改正に向けて追い風を呼んだとみられる点である。

 いっぽう、ライシャワー事件。
 この件は日本の精神保健福祉を語る際に、決して外すことのできない挿話である。加害者少年は、未治療の精神分裂病(当時)患者であった。その彼に対する当時の日本社会の姿勢が、今日から見ればあまりにも未熟であり、ヒステリックであった。
 たとえが3月26日の朝日新聞、一面を載せたいが著作権の縛りがかかっているようだ。縮刷版かデータベースで一見の機会があったら、特に右下の『社会戯評』に注目してほしい。
 裸の人間たちが四つ足で這い回っている絵に、付された題は「精神異常者野放し」とある。
 獣扱いである。

 『社会戯評』の筆者を個人的に非難するのは当たらない。それが日本を代表する新聞の一面に掲載されて世界に発信されたのは、編集部はもとより読者の大多数が一致してこのような感想をもったからだ。
 誰も、ひとりも、恐るべき病魔にとらわれて治療も受けられぬまま凶行に及び、19歳の若さで事実上人生を終えた哀れな少年のために弁じるものはなかった。同じ年の秋に予定された東京五輪を成功させ、それを証しに敗戦国日本の国際社会への復帰を果たしたい一心が、上から下までを覆いつくしていた。
 大使自身は幼少期を日本で過ごし、夫人は日本人という知日派で、病院で輸血を受けて「今や私の体には日本人の血が流れている、混血児になった気持ちです」と穏やかに語ったが、日本人の恐怖心はその程度で紛らわされはしなかった。
 ちょうど半世紀前、この国のこの都市で起きたことである。

***

 昨日の春場所千秋楽、大関・鶴竜が初優勝を飾った。
 日頃の努力が実ったね。集中ぶりは見事、まともに引いたりはたいたりする悪癖があったが、今場所は横にいなすことが身について、特に日馬富士戦はそれが良く現われた。
 歴代モンゴル勢の中でも、とりわけ相撲道がしっかり身に染みている感じがする。なぜかわからないけれど。モンゴル相撲の力士の末ではなく学者の息子、それが旭天鵬などの活躍を見て心に幻を抱き、日本まで手紙を書いて頼み込んで(誰にだろう?)渡ってきたのだ。数場所前からにわかファン気分で応援していた。

 親譲りのお利口さんなのか、モンゴル語・日本語のほか、英語・ロシア語をよくするという。
 ロシア語、と聞いてふと連想が走った。
 モンゴルは、ロシアと中国に北と南をぴったりはさまれていて、この両国との折衝が国の存立に直結する。モンゴル人民共和国はソ連につぐ史上二つめの社会主義国として1921年に出発し、ソ連崩壊に一年先立つ1990年にモンゴル国へと装いを変えた。ロシアがこの国の「正面」であることが窺われる。
 モンゴルに日本の友人たちが増えることは、少々利己的な動機からしてもありがたいことに違いない。ロシアが国際社会の新たなジョーカーとなる流れの中で、これから何が幸いするかわからない。モンゴルの側にも同じ期待はあるはずで、仲良くしない手はない。
 そこでトルコを思い出す。トルコ民族の起源はモンゴル高原あたりにあり、そこから延々、西遷していったのだ。トルコはかなり親日的な国で、そのからくりに「ロシア」が介在していることを、五輪招致前の前都知事失言事件をめぐって書いた。
「ウラル・アルタイ文化連合」とでもいったものが考えられないかしら。インド・ヨーロッパ語族とシナ・チベット語族に挟まれ、ちょっとユニークな顔ぶれになるだろう。
 その東の結びめが、日本列島だ。

***

 大阪市長選、記憶に留めておこう。
 投票率23.6%は過去最低(前回60.9%)、投票総数の13.5%が無効票で、その3分の2が白票だそうだ。
 白票は棄権とは意味がまったく違う。わざわざ投票所まで足を運んだ上で、「誰も選ばない」意思表示をするのは、かなり強烈な主張とも言える。考えたこともなかったが、そういうやり方が「ある」のだ。「ある」どころか、45,098人という驚くべき数の人々が、このやり方を選択したのである。
 覚えておこう。 

字幕に注文

2014-03-24 10:19:48 | 日記
2014年4月23日(日)

 映画に字幕をつける難しさはよく分かるので、あら探ししたくはないが、あんまりなものが結構あったりする。

 先週、家人の借りてきた『人生の特等席』。
 タイトルからしてどうかと思うが(原題は "Trouble with the curve" 『カーブに問題あり』とでも言うところ)、字幕は随所で小さく綻(ほころ)びている。

 たとえば主人公の女性が、スゴい球を投げる少年に出会い、「私に受けさせて」と言い出す場面。
 少年の弟が、
"Are you crazy?"
 彼女の返事は
"Probably."

 字幕は、「気は確か?」「たぶんね」
 意味が逆転している。

 probably は確実に近い「たぶん」を意味する(可能性が乏しい maybe の正反対)。
 「気でも違ったの?」「たぶんそうね」という流れだ。

 大変でもあろうが、もう少しだけちゃんとやってほしい。

 クリント・イーストウッドが立派な爺ちゃんになっていて、『荒野の用心棒』以来のファンとしては安堵する。



三春の春の人形展

2014-03-24 08:55:30 | 日記
2014年3月23日(日)

三春のAさんから、三春人形の展示案内が届いた。
「小さな手作り画廊」、コンセプトが良いなあ。

行ってみたいけれど、四月中は西の方角への長めの出張などあって、都合がつくかどうか。
ブログを見てくれた人、どうぞお心に留めて訊ねてみてください。
きっと和むと思いますよ!

なお、チラシの下部に示された地図は、上が南、下が北です。
左(=東)の方角に「駅」とあるのは、JR磐越東線の三春駅。
郡山からいわき行きに乗って三春駅で降り、2km足らずの道のり。
三春大神宮の参道に面しているのかな。(ですよね、Aさん?)