2014年3月8日(土)
○ 學優登仕 攝職從政 039
「優」はここでは「(暮らしに)余裕がある」「ゆたかな」の意味らしい。
学問をして余裕があれば、官位について朝廷に仕え、職をとり政治を行う。
言葉尻を取るなら、「官位について執務するまでもなく(=その俸禄で身と家族を養うまでもなく)、そもそも優なる階級」が想定されている風景で、要するに階級社会の支配者の徳を説いたものに他ならず、僕らに関係ないと思うんだが、李注の記載はもうすこし世知辛いもので。
蘇秦(合従策を説いた戦国時代の雄弁家)が世に出る前のこと。
十年の遊学の後、出世することなく家に帰ったところ、嫂は顔を見ても立ち上がりもせず、妻は機(はた)から降りもしなかった。
「大丈夫も出世しなければ、妻や嫂にも侮られる」と嘆いた蘇秦は一念発起し、三年のうちに斉の丞相となった。帰郷する蘇秦を、今度は兄・嫂うちそろってはるばる六十里も迎えに出てきた。蘇秦は「身の栄達は嫂のおかげです」と人に語ったという。
出世しなければ、話になりませんか。千字文本文は、あまりそういう風には読めないけれど。
何しろ「學」は「政」に役立つためにするものなのだ。中華文化の基本軸のようなものだ。
***
6:30のラジオ体操、今日から再開。3か月ぶりぐらいかな。
生活も春仕様に、啓蟄の週末。
朝、早々に田舎から荷物が届く。例によって満載の緑に、庭の花々が同梱されている。サクラ、菜の花、トサミズキ、それに馬酔木(アセビ)だ。さっそく活けてみるが、菜の花が長旅で首うなだれちゃってるのは御容赦。数時間後にはすっきり真っ直ぐに戻ったが、すると間もなく散り始めた。
田舎の春の雰囲気を届けてくれたのだ。
夕方には、これも久方ぶりに少しだけ走ってみる。
微生物学を教えてくださった中谷林太郎先生、R-プラスミドの発見は当時として準ノーベル賞級の仕事だった。定年前後からは、昔とった杵柄ならぬ竹刀をもって健康管理の一助となさったが、温厚で万事考え深い先生は、多年のブランク後の再開にあたり、まずは素振り10回から始められたという。
10回だよ。
僕のジョギングは、2010年に青梅マラソン30kmを完走して双六のアガリ。フルマラソンよりも、こちらのほうこそ僕の夢だった。これは嬉しかったよ。青梅マラソンの歴史を知る人なら分かってくれるだろう。
その頃から世間のマラソン熱がいよいよ盛んになり、レースの申込もあっという間に満員締切という具合で嫌気がさしはじめた。東京マラソンなんか、第一回大会を青梅マラソンの例年の開催日にぶつけ、おかげで半世紀近い歴史をもつ青梅のほうが開催日を変更せざるを得なくなったのだ。前々都知事のやり方は、いつもこうだ。
2012年にA君の誘いで三郷のハーフを走ったが、この時に右脚の変調が進んでいるのを感じ、その後しばらく自重していたらあっという間に走れなくなった。「速く」走れないのではなく、スピードを落としても目ざす距離を完走できなくなったのである。怖いものだ。
脚の作り直し。さて「素振り10回」に相当するのは何だろう?
家の近くの呑川遊歩道、最寄り駅まで片道ちょうど1km、これをゆっくりゆっくり一往復。
2kmに15分かけるスロージョグからやり直すことに決めた。今日から始める。逆に15分なら毎日できる・・・かもしれない。
***
○ 緑の before/after

○ 菜の花の before/after

○ 鈴なりの馬酔木
○ 學優登仕 攝職從政 039
「優」はここでは「(暮らしに)余裕がある」「ゆたかな」の意味らしい。
学問をして余裕があれば、官位について朝廷に仕え、職をとり政治を行う。
言葉尻を取るなら、「官位について執務するまでもなく(=その俸禄で身と家族を養うまでもなく)、そもそも優なる階級」が想定されている風景で、要するに階級社会の支配者の徳を説いたものに他ならず、僕らに関係ないと思うんだが、李注の記載はもうすこし世知辛いもので。
蘇秦(合従策を説いた戦国時代の雄弁家)が世に出る前のこと。
十年の遊学の後、出世することなく家に帰ったところ、嫂は顔を見ても立ち上がりもせず、妻は機(はた)から降りもしなかった。
「大丈夫も出世しなければ、妻や嫂にも侮られる」と嘆いた蘇秦は一念発起し、三年のうちに斉の丞相となった。帰郷する蘇秦を、今度は兄・嫂うちそろってはるばる六十里も迎えに出てきた。蘇秦は「身の栄達は嫂のおかげです」と人に語ったという。
出世しなければ、話になりませんか。千字文本文は、あまりそういう風には読めないけれど。
何しろ「學」は「政」に役立つためにするものなのだ。中華文化の基本軸のようなものだ。
***
6:30のラジオ体操、今日から再開。3か月ぶりぐらいかな。
生活も春仕様に、啓蟄の週末。
朝、早々に田舎から荷物が届く。例によって満載の緑に、庭の花々が同梱されている。サクラ、菜の花、トサミズキ、それに馬酔木(アセビ)だ。さっそく活けてみるが、菜の花が長旅で首うなだれちゃってるのは御容赦。数時間後にはすっきり真っ直ぐに戻ったが、すると間もなく散り始めた。
田舎の春の雰囲気を届けてくれたのだ。
夕方には、これも久方ぶりに少しだけ走ってみる。
微生物学を教えてくださった中谷林太郎先生、R-プラスミドの発見は当時として準ノーベル賞級の仕事だった。定年前後からは、昔とった杵柄ならぬ竹刀をもって健康管理の一助となさったが、温厚で万事考え深い先生は、多年のブランク後の再開にあたり、まずは素振り10回から始められたという。
10回だよ。
僕のジョギングは、2010年に青梅マラソン30kmを完走して双六のアガリ。フルマラソンよりも、こちらのほうこそ僕の夢だった。これは嬉しかったよ。青梅マラソンの歴史を知る人なら分かってくれるだろう。
その頃から世間のマラソン熱がいよいよ盛んになり、レースの申込もあっという間に満員締切という具合で嫌気がさしはじめた。東京マラソンなんか、第一回大会を青梅マラソンの例年の開催日にぶつけ、おかげで半世紀近い歴史をもつ青梅のほうが開催日を変更せざるを得なくなったのだ。前々都知事のやり方は、いつもこうだ。
2012年にA君の誘いで三郷のハーフを走ったが、この時に右脚の変調が進んでいるのを感じ、その後しばらく自重していたらあっという間に走れなくなった。「速く」走れないのではなく、スピードを落としても目ざす距離を完走できなくなったのである。怖いものだ。
脚の作り直し。さて「素振り10回」に相当するのは何だろう?
家の近くの呑川遊歩道、最寄り駅まで片道ちょうど1km、これをゆっくりゆっくり一往復。
2kmに15分かけるスロージョグからやり直すことに決めた。今日から始める。逆に15分なら毎日できる・・・かもしれない。
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○ 緑の before/after


○ 菜の花の before/after


○ 鈴なりの馬酔木
