散日拾遺

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4月26日 フランコ将軍の要請でゲルニカが爆撃される(1937)

2024-04-26 03:57:50 | 日記
2024年4月26日(金)

> 1937年4月26日の午後4時半から4時間にわたり、ドイツ空軍がスペイン北部にあるバスク地方の街ゲルニカの爆撃を行った。中央市場に人が集まる時間帯を狙った爆撃により、街の主要部は破壊され、住民7000人のうち1600人が死亡したと言われている。これは人類史上初の民間人に対する無差別爆撃だった。この祖国の惨事の報をパリで聞いたピカソが、ナチスの暴虐に抗議して「ゲルニカ」をひと月ほどで描いたことは有名である。
 この爆撃は、スペイン内戦の反乱軍を指揮するフランコ将軍の要請により、ナチスの「コンドル軍団」が行ったものだった。当時のスペインは共和政府と反乱軍によって二分されていたが、この後フランコは1939年にマドリードを占領して内戦を終了させ、自ら国家主席となる。
 この空爆は、ナチスにとって来たるべき大戦に備えた爆撃演習を兼ねていたとも言われている。民族意識が強く、人民戦線側に立つ傾向にあったバスク人の町が、攻撃の対象として選ばれたのだった。第二次大戦後、独裁体制を敷いたフランコは、バスクの自治権を認めず、バスク語の使用を禁じ、バスク人としての名前を名乗ることさえ認めなかった。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.122

  
Pablo Ruiz Picasso
1881年10月25日 - 1973年4月8日

 この話は残念ながらここで終えることができない。
 人類史上初の民間人に対する無差別爆撃がゲルニカにおけるナチス・ドイツの暴虐だったとすれば、人類史上二番目のそれは大日本帝国陸海軍航空部隊が中華民国の当時の首都、重慶に対して行ったものだった。しかも重慶への爆撃は、1938年12月から1941年9月にかけて反復して行われた。この事実に関して、悲しいかな日本人は余りにも無知である。
 東京裁判は重慶爆撃を裁かなかった。これを裁くなら、アメリカ軍による東京・大阪・名古屋はじめ日本全国の都市に対する無差別爆撃と、広島・長崎への原爆投下を不問に付すことが、少なくとも法理としてはできなくなる。
 だから…
 右翼的な主張とはまったく別の意味で、東京裁判史観から脱却しなければならない。ニュルンベルク法廷を自らの手で全うしたドイツ人と、あてがいぶちの東京裁判で煙に巻かれた日本人との間に、世界大戦一つ分の隔たりが埋まらぬまま存在する。

Ω