散日拾遺

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4月19日 グレース・ケリーがモナコ王妃となる(1956)

2024-04-19 03:26:51 | 日記
2024年4月19日(金)

> 1956年4月19日、アメリカの映画女優グレース・ケリーは、モナコ大公レーニエ三世と結婚し王妃となった。前日、モナコ宮殿内で結婚の儀が行われ、この日、聖ニコラス教会で結婚式が挙げられた。
 二人が出会ったのは、1955年、カンヌ映画祭に出席するために渡欧したグレースが、パリ・マッチ誌の特別企画でモナコ宮殿を訪れた時だった。ハンサムな独身のプリンスとハリウッドスターの出会いは、雑誌の話題作りとして企画されたものだったが、その日の夜にはレーニエ大公の気持ちは決まっていたようだ。このシンデレラ・ストーリーは世界中のマスメディアの話題となった。
 グレース・ケリーは1929年フィラデルフィアの裕福な家庭に生まれた。ブロードウェイで舞台俳優として出発したが、スカウトされて映画館へ移った。結婚までに十一本の映画に出演し、「喝采」ではアカデミー主演女優賞に輝いた。
 モナコは1918年のフランス・モナコ条約で、レーニエ大公に跡継ぎがない場合はフランスに合併されることが決まっていた。そのため、国民は大公の結婚と跡継ぎ誕生を待ち望んでいた。グレースは三人の子供に恵まれたが、1982年に自動車事故で亡くなった。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.115

  
Grace Patricia Kelly
1929年11月12日 - 1982年9月14日

 一般家庭から出て王族の妻となり、自動車事故で亡くなったという経緯はダイアナ妃に似ているが、グレース妃は運転中に脳梗塞を起こしたものらしい。崖を40mも転落したとあり、同乗していた次女のステファニー公女が軽傷ですんだのはまったくもって僥倖だった。
 絵に描いたような美人だったが、数多い出演作の中でも『真昼の決闘』 "High Noon"(1952)が断然印象に強い。

  

 日本文化の愛好家であり、とりわけ特に華道をはじめ植物に関するものが大好きで、モナコに日本庭園を造営することを希望していたという。没後、レーニエ3世の指示によって別府保男氏の設計にかかる本格的な日本庭園がつくられ、1994年に開園した。庭園内の茶室「雅園」はフランス語で "Jardin de Grace"、すなわち「グレースの庭」の意である由。

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