2024年4月17日(水)
> 1923年4月17日、アメリカ自然史博物館の動物学者ロイ・チャップマン・アンドリュースを隊長とする探検隊が、人類の起源を探るためにゴビ砂漠に出発した。彼は「ミッシングリンク」と呼ばれる未知の原人の化石がモンゴルの人跡未踏の地にあるのではないかと推測していたのだ。
彼らは1922年から五回にわたる調査を行ったが、その過程で、目的としていた原人の化石ではなく、とんでもない発見をした。それは恐竜の卵だった。
それまで世界では恐竜の卵が発見されたことがなく、その生態の殆どの部分が謎に包まれていた。彼らは二度目にゴビ砂漠に入った1923年に、炎の崖と名づけた場所でこの幸運な発見をした。この年、彼らは恐竜の卵25個と、頭蓋骨70点、骨格14点を含む5トンもの化石を採集した。まさにたいへんな掘り出し物だった。その発掘品から、彼は「恐竜ハンター」と呼ばれるようになったほどである。
アンドリュースは後にアメリカ自然史博物館の館長となり、引退してからはSFや子供向けの本も含めて数十冊の著作を書いた。探していたのとは違うものを発見したとはいえ、彼がたぐいまれな強運の持ち主であったことは間違いない。ちなみにアンドリュースは、映画でおなじみの「インディ・ジョーンズ」のモデルの一人だと言われている。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.113
Roy Chapman Andrews
1884年1月26日 - 1960年3月11日
← Henry Fairfield Osborn(1857年8月8日‐1935年11月6日)
オズボーンは人類のアジア起源説を提唱していた。アンドリューはその弟子筋であり、師の学説に励まされてモンゴル入りしたのである。彼はまた、アジアの哺乳類に対する関心が強かった。
こんな論文がある。
『ロイ・チャップマン・アンドリュースの日本と朝鮮での足跡』
○宇仁義和(東京農業大学),櫻井敬人(太地町歴史資料室)
1910年にフィリピンから長崎に入り、紀伊大島でシャチなどの骨格を採集、宮城の鮎川でイワシクジラの調査を行った後、1212年1月に対馬海峡を渡って蔚山でコククジラの調査にあたったとある。
紀伊大島や鮎川では、ノルウェー人が捕鯨船の砲手として活躍しており、アンドリューはこれらの人々や地元日本人と交流を温めたようである。さぞや愉快な光景だっただろう。
ただ、インディ・ジョーンズのモデルとなった事情を納得するには、以上に加えて次の一文の伝える情報がなくてはならない。
「彼は危機一髪の状況に何度も遭遇し、切り抜けてきた。襲われた相手の中には、クジラ、サメ、ニシキヘビ、オオカミ、盗賊、そして中国兵が数えられている…」
いちばん怖かったのはどの相手だったろうか?
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