2024年4月23日(火)
> 1946年(昭和21年)4月23日と24日の2日間、禅を世界に広めた功労者、鈴木大拙は昭和天皇皇后両陛下のために、仏教概論のご進講を行った。敗戦の翌年に行われたこの講演は、一日目は「大智」について、二日目は「大悲」について語られ、最後に「今後の世界を救うものは、この大悲心なのです。そうして大悲はまた大智でなくてはなりません」という、印象的な言葉で締めくくられた。
大拙は四年後に、この講義内容を整理し『仏教の大意』と題して刊行しているが、この『仏教の大意』よりも先に、講演の英訳本が英国で出版されている。これは英国で "The Middle Way"(中道)という仏教雑誌を出版していたクリスマス・ハンフレーズの求めに応じて、大拙が講演内容を口述で英訳したものを、そのまま出版したものだった。
面白いのは、大拙はこの最初の英訳が気に入らなかったようで、出版された『仏教の大意』を訳し直して、再び英国に送っている。常に理想を求めて努力を怠らない大拙の姿勢がよく現れたエピソードである。
後年、ハンフレーズは、西洋人が禅の知識を得たのは「ドクター・スズキのおかげであり、ほとんど彼一人のおかげである」と、鈴木大拙の功績に深く感謝している。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.119
鈴木 大拙 本名:貞太郎
1870年11月11日〈明治3年10月18日〉- 1966年〈昭和41年〉7月12日
日本の仏教学者、文学博士。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に紹介した。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。1963年にノーベル平和賞の候補に挙がった。
大拙は仏教の核心に、霊性の自覚を見出した。大拙の生涯の思索の大部分はその《霊性の自覚》に向けられていたといってもよく、これが普遍性や世界性を持つと確信したので、仏教思想を欧米へも紹介したのである。大拙が見出した仏教の霊性的自覚というのは《即非の論理》の体得である。
彼の著作群は膨大な量に上るが、その多くが《霊性の自覚》や《即非の論理》を巡るものとしてとらえることができる。たとえば『禅論文集1-3』は、禅における霊性的自覚つまり悟りの具体相と心理的過程をとらえている。『禅思想史研究第一 盤珪禅』は盤珪の不生禅を霊性的自覚としてとらえなおしたものである。『日本的霊性』は日本における《霊性の自覚》の歴史を解明した書である。『臨済の基本思想』は臨済が唱えた一無位真人のうちに《霊性の自覚》を見出したものである。『浄土系思想論』は浄土思想を《霊性の自覚》の立場から扱ったものである。
彼の著作群は膨大な量に上るが、その多くが《霊性の自覚》や《即非の論理》を巡るものとしてとらえることができる。たとえば『禅論文集1-3』は、禅における霊性的自覚つまり悟りの具体相と心理的過程をとらえている。『禅思想史研究第一 盤珪禅』は盤珪の不生禅を霊性的自覚としてとらえなおしたものである。『日本的霊性』は日本における《霊性の自覚》の歴史を解明した書である。『臨済の基本思想』は臨済が唱えた一無位真人のうちに《霊性の自覚》を見出したものである。『浄土系思想論』は浄土思想を《霊性の自覚》の立場から扱ったものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木大拙
この人物(だけ)は「霊性」という言葉に真っ向からとりくみ、この語を駆使した。そのことが、spirituality の訳語として「霊性」を採用することをかえって難しくしているかもしれない。
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