2024年4月21日(日)
> 1985年4月21日、ブラジル出身の天才的F1レーサー、アイルトン・セナは、ポルトガル・グランプリで初の優勝を飾った。前年トールマンからF1デビューして16戦目の快挙であり、雨の中、全周回一位の文句なしの初勝利だった。この年からセナはロータス・ルノーに移籍していた。ロータスはトラブルは多かったが、ハンドリングには優れ、悪条件の中でセナの技術が光ったレースだった。
この初優勝の日から十年間に、セナは優勝41回、ワールドチャンピオン3回、ポールポジション65回という輝かしい成績を残す。
しかし、1994年5月1日、人気絶頂のセナに突然の悲劇が襲った。サンマリノ・グランプリ七周目の高速コーナー「タンブレロ」で、コントロールを失ってコースアウトし、コース脇のウォールに激突。ヘリコプターで病院に搬送されたが帰らぬ人となったのである。この事故については、所属していたウィリアムズ・チームの関係者が過失責任を問われ裁判になったが、2005年の5月に無罪が確定している。
ところで、セナの事故の時、すぐ後ろを走っていて事故を目撃したのは、デビュー四年目のミハイル・シューマッハだった。もしもセナが急死していなかったら、この後、シューマッハとの数々の名勝負を見ることができたに違いない。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.117
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Ayrton Senna da Silva
1960年3月21日 - 1994年5月1日
とても良い顔をしているが、レースのことは全く分からず関心もないので、以上を転記するに止める。
なお、ポルトガル語圏の人名慣習について。第一姓が母方、第二姓が父方の姓だそうである。スペイン語圏とちょうど反対ということか。
セナはこの天才レーサーの母の姓、ダ・シルバが父の姓ということらしい。
もう一つ、彼の墓碑銘には下記の聖句が記されているという。
NADA PODE ME SEPARAR DO AMOR DE DEUS
神の愛より我を分かつものなし
高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
ローマの信徒への手紙 8:39
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