散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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夕の気がかり 朝の憂鬱

2024-01-18 14:02:05 | 日記
2024年1月18日(木)

 知人が治療をやり直すことになった。侵襲度の低い手堅い方法を選んだはずが、きわめて稀な事態が生じて治療目的を達することができず、いくらかの問題まで後に遺ってしまったのである。より本格的な術式による再度の治療を提案され、さすがに考え込んでいるらしい。
 前回の経緯は不可抗力と説明されているものの、人によっては医療過誤と見るかもしれない。担当医の熱意と誠実さを疑うものではないが、やはり気持ちは穏やかでない。迷ったすえ「今回はより慎重にことを運んでくれるものと信じ、また日頃の自分の行いを信じて」提案を受け容れようという。
 この種の悩みを抱える人は全国に多いことだろう。治療を受ける側にも行う側にも平安を祈ってやまない。そしてこうした時に、日頃の自分の行いを信じられる人は幸いである。
 わが身を振り返るなら、自分の行いに照らした日にはとても手術など受けられるものではない。体がいくつあっても足りはしない。そもそも「自分の行いを信じる」あるいは「自分を信じる」という発想が、いつの間にか身の内からすっかり消え失せているのに心づく。
 信ずべきものが自分の中にないというのではない。ただ、そうしたものは自己意識で捉えられるような浅い深度には存在しない。外なる宇宙の無限の拡がりと同じだけ、内なる淵もまた無限の深みにつながっている。外の無限と内の無限、二相の無限の交錯するところに、「わたし」という現象が営まれる。信ずべきものは無限の彼方から訪れるものであり、営まれる現象の中にあるのではない。自分ほどあてにならないものはない。

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 これはまた別の知人から、早朝に相談メールが入った。気になる人があって能登を訪ねてみたところ案の定、心身ともに疲弊しきっていながら、彼を頼みとする人たちを案じて避難の勧めに応じないのだという。説得にあたりどんな言葉が有効か、助言があれば聞きたいとの求めである。
 疲労困憊して深く長く眠るのは健康のしるし、疲労困憊しているのに眠れなくなっているなら、既に黄信号を超えて赤が点滅している、柱が倒れれば家が潰れる、頼みとする人たちのためにこそ自分を保たねばならない、「休んでもよい」のではなく「休まねばならない」のだとお伝えください…
 休むべき人が休むことのできる今日一日でありますように。

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 2024年は世界各国で選挙が行われる年だという。聞くだに羨ましいのは、どこの国でも選挙という制度が実質的な意味をもっていることである。日本ばかりが例外のようで、このことの責任は為政者と有権者の双方にある。
 派閥を解消するかどうかで自民党内が割れるなら、いっそこの機会に派閥存続派と派閥解消派が二分して、二つの政党に別れてみたらどうだろう。この二政党の間で、たとえば原発推進か縮小か、赤字国債頼みか増税かなどポイントを明確にして政策論議を戦わせ、選挙で信を問う形にしたら少しは政治が政治らしくなるのではないだろうか。
 台湾では中国との対決姿勢を維持する与党が勝った。イギリスでは地方選挙で保守党が大敗し、国政の風向きが変わりつつある。日本は政治資金問題の泥沼化で政策論議どころではないが、それでも政治の構造は変わらない。
 国の未来が見えない。

Ω

1月18日 ルイ・アームストロング / ベーブ・ルース

2024-01-18 05:05:15 | 日記
 晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.23

1月18日 ルイ・アームストロングらがコンサートを開く

> 1944年1月18日、雑誌「エスクァイア」が主宰した人気投票で上位にランクされたジャズメンたちによるコンサートが、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で開催された。このクラシックの殿堂でジャズ・コンサートが開かれたのは、これが初めてだった。
> 出演者は、トランペットのルイ・アームストロング、クラリネットのベニー・グッドマン、ビブラフォンのライオネル・ハンプトンら錚々たるメンバーで、会場は異様な熱気に包まれた。
> ルイ・アームストロングは、1901年ニューオーリンズ 生まれの不世出のトランペッターである。彗星のように現れ、当時アンサンブル中心であったジャズをアドリブ・ソロ中心にするなど、ジャズのあらゆる面に多大な影響を与えた。また、ジャズ・ボーカルの始祖でもあり、1926年にはスキャットを初めて録音したことでも知られている。
> 彼が音楽の道に入ったのは、少年の頃、ピストルを発砲して少年院に送られ、その少年院のブラスバンドでコルネットを演奏したのがきっかけだった。愛称の「サッチモ」は、satchel mouth(かばんのような大口)から来ている。

 
Photo Credit_ Courtesy of the Louis Armstrong House Museum

 ジャズについて語る資格はほぼ皆無なので、これはこのまま。この歴史的コンサートが彼のメトロポリタン歌劇場で、しかも第二次世界大戦のさなかに開催されていることに驚くぐらい。
 もう一つ、少年院に送られたおかげで音楽と出会った経緯は、ほぼ同世代のベーブ・ルース(1895-1948)が少年矯正施設で野球を知ったことを想起させる。もっとも、ルイ・アームストロングの場合は、祭りに浮かれてピストルを発砲したという、少々度の過ぎた「羽目はずし」だったのに対して、ベーブ・ルースは物心つく前からケンカ・万引き・飲酒・喫煙に日々明け暮れ、7歳にして矯正施設に送られた筋金入りだからランクにはかなり隔たりがある。

  
いずれも Wikipedia から

 いずれにせよ、彼らがそうした場所で自分を生かす道と出会い、結果として首尾よく更生を果たしていることに考えさせられる。
 『反省させると犯罪者になります』という小さな名著がある。刑務所で受刑者と接してきた著者の経験から書かれたもので、少年院や少年矯正施設とは背景が異なるものの、そこから学ばれることはおそらく共通する。反省し更生することばかりをルイやジョージに求めていたら、不世出のジャズマンも野球選手も生まれはせず、ただ警察の荷厄介を増やして終わったに違いない。
 下記の著者は、受刑者にまずはしっかり気持ちを語らせ、自分の内面と向き合わせる必要を繰り返し強調する。コルネットやバットを与えることと一見かけ離れているようだが、個々の人格に固有の事情と可能性を尊重するという意味で、けっして別のことではないはずだ。それは心理臨床と教育に通底する、最も重要な実践的課題でもある。

著者:岡本茂樹(1958-2015)、早世が惜しまれる。

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