散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

1月13日 アンリ・ファルマン

2024-01-13 23:07:13 | 日記
 晴山陽一『新版 365日物語 上巻: すべての日に歴史あり . Kindle 版』

1月13日 ファルマンが500メートルの周回飛行に成功する

> 1908年1月13日、フランス生まれのイギリス人、アンリ・ファルマンが操縦する「ボアザン・ファルマンⅠ型」機は、セーヌ河畔のイッシー練兵場でヨーロッパ初の500メートルの往復を1分28秒で飛行した。アメリカのライト兄弟が初めて飛行に成功した4年後のことである。
> 日本で最初に飛行した飛行機の一機が「アンリ・ファルマン機」だったことは 有名である。1910年12月19日に、代々木練兵場で徳川好敏(よしとし)大尉操縦の「アンリ・ファルマン機」によって、飛行デモンストレーションが行われて いる。

 どんなことにも「最初の一人」がいるという訳だが、「フランス生まれのイギリス人」というのが妙に気になる。イギリス人ならイギリス人らしく「ヘンリー・ファーマン」とすべきところ、「アンリ・ファルマン」で通したのなら事実上フランス人ではないかと、からんでみたくなる。
 実際 Wikipedia は「アンリ・ファルマン(Henri Farman、1874-1958)はフランスの航空パイオニア」と明記する。Henri という綴りもフランス式で、弟のモーリスという名もフランス語に親和的だ。父親はイギリスの新聞社のパリ特派員だったらしいが、母親はイギリス人かフランス人か、兄弟はどこでどのように育ったか、そっちの方が分かるものなら知ってみたい。
 何しろアンリ・ファルマン、飛行家としてよりも航空機製造業や民間航空旅客輸送業の草分けとして記憶さるべき人物のようである。もっとも、代々木とともに日本初の試験飛行の地である所沢では、その名にあやかった洋菓子「ファルマン」がつくられ、ファルマン通りの愛称で呼ばれる道もあるらしい。
 考えさせられるのは、こうしたよちよち歩きのような飛行機レースが1908年の先端事情であったのに、その6年後に始まった第一次世界大戦では早くも航空機が兵器として活用されていることである。戦争の初期には、両軍の偵察機のパイロットが互いに挨拶を交わすといったのどかな場面もあったらしいが、すぐに携行する銃器で撃ち合うようになり、さらには飛行機そのものが火器や爆弾を搭載するようになったのは周知の通り。映画『レッド・バロン』などで知られる撃墜王リヒトホーフェン(Manfred Albrecht von Richthofen、1892 - 1918)の25歳の生涯は、そうした経緯を一身に体現するものだった。
 戦争という化け物は貪欲な大食漢である。とりわけ先端技術という滋味あふれる食材を決して見逃すことがない。

Ω