散日拾遺

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1月30日 マハトマ・ガンジー暗殺(1948年)

2024-01-30 08:27:44 | 日記
2024年1月30日(火)

> 1948年1月30日、インドの宗教家であり政治指導者のマハトマ・ガンジーがニューデリーで狂信的ヒンドゥー教徒によって暗殺された。78歳だった。
> マハトマ・ガンジーは、1869年にインドの裕福な家庭に生まれ、弁護士を志してロンドン大学に留学した。弁護士となった彼は南アフリカで仕事につくが、 激しい人種差別を体験し、非暴力・不服従による抗議行動を起こす。帰国後は、 英国植民地であったインドの独立を目指し、インド国民会議派の指導者として活躍した。
> ガンジーは、常に思想を生身の体で表現しようとした。糸つむぎがイギリスの紡績業に対抗する手段だと考えて、生涯、糸でつむいだ簡素な服だけを身にまとった。また、政府専売だった塩の採集に反対するため、386キロを歩いて海水から直接塩を採るという抵抗運動を行った。彼はいかなる思想や制度よりも、生身の体のほうが強い、という信念を持っていたのである。
> ガンジーの死は、1947年8月のインド独立の矢先の出来事だった。「マハトマ」は「偉大なる魂」を意味する尊称である。

 晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.35

 ガンジー自身は「マハトマ」と呼ばれることを求めはせず、むしろ「塩泥棒」を喜んだ。
 ときどき何を勘違いしてか、ガンジーの思想を「無抵抗主義」と呼ぶものがあるが、とんでもない誤りである。文中にもある通り「非暴力・不服従」が正しい。無抵抗どころか最強の抵抗であろう。
 暴力に依らない抵抗は、相手もまた暴力を控えてくれる保証があれば比較的容易であるが、相手が暴力をもって迫ってくる状況下でこれほど難しいことはない。動物としての本能が激しく逆らわずにはおかない。
 福音書はその難事を公然と人に求め、読み手の大多数はこの部分を「努力規定」として読み流す。ヒンドゥー教徒であるガンジーはこれを文字通り実践し、人にも勧めた。
 映画『ガンジー("Gandhi")』は1982年に公開され、アカデミー作品賞・監督賞・主演男優賞を獲得するなど評判になった。それよりずっと古く、暗殺犯に焦点をあててホルスト・ブッフホルツが熱演した作品をテレビで見た記憶がある。調べてみると『暗殺5時12分("Nine Hours to Rama")』(1963)がそれらしい。その中では撃たれたガンジーが、撃った相手に神の祝福を祈りながら倒れていった。
 別の記録ではガンジーは「おお神よ」とだけ、くりかえし呟いたとあり、映画『ガンジー』もこれに依っている。『暗殺5時12分』の脚本あるいはS. ウォルパートによる原作小説に脚色が窺われるが、これは「正しい脚色」と言えそうである。暗殺犯ナトゥラム・ゴドセの裁判にあたってガンジーの遺族は減刑を嘆願したが、容れられず死刑が宣告され翌年執行された。
 ガンジーはヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和を一貫して訴え、パキスタンの分離独立に反対し、インド・パキスタン紛争にあたってもパキスタンへの理解を示す言動を続けた。これが熱狂的なヒンドゥー教徒の憤激を買ったのである。その後、暗殺犯の復権と愛国者としての讃仰を要求する動きが起き、現在まで続いているという。

 「もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、インドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。しかし、わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しには罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力が要ることを知っている。許しはすべてにまさる。そして、罰をさしひかえ許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。」
写真ともWikipedia より

モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー
(મોહનદાસ કરમચંદ ગાંધી 1869-1948)

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