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散日拾遺

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1月18日 ルイ・アームストロング / ベーブ・ルース

2024-01-18 05:05:15 | 日記
 晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.23

1月18日 ルイ・アームストロングらがコンサートを開く

> 1944年1月18日、雑誌「エスクァイア」が主宰した人気投票で上位にランクされたジャズメンたちによるコンサートが、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で開催された。このクラシックの殿堂でジャズ・コンサートが開かれたのは、これが初めてだった。
> 出演者は、トランペットのルイ・アームストロング、クラリネットのベニー・グッドマン、ビブラフォンのライオネル・ハンプトンら錚々たるメンバーで、会場は異様な熱気に包まれた。
> ルイ・アームストロングは、1901年ニューオーリンズ 生まれの不世出のトランペッターである。彗星のように現れ、当時アンサンブル中心であったジャズをアドリブ・ソロ中心にするなど、ジャズのあらゆる面に多大な影響を与えた。また、ジャズ・ボーカルの始祖でもあり、1926年にはスキャットを初めて録音したことでも知られている。
> 彼が音楽の道に入ったのは、少年の頃、ピストルを発砲して少年院に送られ、その少年院のブラスバンドでコルネットを演奏したのがきっかけだった。愛称の「サッチモ」は、satchel mouth(かばんのような大口)から来ている。

 
Photo Credit_ Courtesy of the Louis Armstrong House Museum

 ジャズについて語る資格はほぼ皆無なので、これはこのまま。この歴史的コンサートが彼のメトロポリタン歌劇場で、しかも第二次世界大戦のさなかに開催されていることに驚くぐらい。
 もう一つ、少年院に送られたおかげで音楽と出会った経緯は、ほぼ同世代のベーブ・ルース(1895-1948)が少年矯正施設で野球を知ったことを想起させる。もっとも、ルイ・アームストロングの場合は、祭りに浮かれてピストルを発砲したという、少々度の過ぎた「羽目はずし」だったのに対して、ベーブ・ルースは物心つく前からケンカ・万引き・飲酒・喫煙に日々明け暮れ、7歳にして矯正施設に送られた筋金入りだからランクにはかなり隔たりがある。

  
いずれも Wikipedia から

 いずれにせよ、彼らがそうした場所で自分を生かす道と出会い、結果として首尾よく更生を果たしていることに考えさせられる。
 『反省させると犯罪者になります』という小さな名著がある。刑務所で受刑者と接してきた著者の経験から書かれたもので、少年院や少年矯正施設とは背景が異なるものの、そこから学ばれることはおそらく共通する。反省し更生することばかりをルイやジョージに求めていたら、不世出のジャズマンも野球選手も生まれはせず、ただ警察の荷厄介を増やして終わったに違いない。
 下記の著者は、受刑者にまずはしっかり気持ちを語らせ、自分の内面と向き合わせる必要を繰り返し強調する。コルネットやバットを与えることと一見かけ離れているようだが、個々の人格に固有の事情と可能性を尊重するという意味で、けっして別のことではないはずだ。それは心理臨床と教育に通底する、最も重要な実践的課題でもある。

著者:岡本茂樹(1958-2015)、早世が惜しまれる。

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