散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

1月20日 エドワード八世とシンプソン夫人

2024-01-20 18:18:40 | 日記
 晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.25

1月20日 イギリス国王エドワード八世即位

 1936年1月20日、英国王ジョージ五世の死去によって、ジョージ五世と王妃メアリーの長男、プリンス・オブ・ウェールズであるエドワード八世が英国王に即位した。
 しかし、エドワード八世の在位期間は一年にも満たなかった。この年の十二月十日に自ら退位してしまったからである。その理由は、二回の離婚歴があるアメリカ人、ウォリス・シンプソン夫人と結婚するためであった。
 エドワード八世が世紀の恋の相手であるシンプソン夫人と出会ったのは1931年のことで、当時シンプソン夫人には夫があった。エドワード八世は温かい気さくな人柄で国民に人気があったが、いかに人気の王であっても、イギリス人でも貴族でもなく、離婚歴のある女性との結婚は、認められなかったのである。
 結局エドワード八世は、王位を弟のジョージ六世に譲り、退位してウィンザー公となり、シンプソン夫人と結婚した。ジョージ六世は現英国女王エリザベス二世の父にあたる。エドワード八世は退位に際して、英国王としては初めてラジオを通じて国民に訣別の言葉を述べた。

***

 「イギリス人でも貴族でもなく、離婚歴のある女性との結婚」ということが問題のすべてだとしたら、今日的な視点からは「時代に先んじた勇気ある決断」と称えられてよさそうである。残念なのは、シンプソン夫人 ~ 最初の結婚まではベッシー・ウォリス・ウォーフィールド(Bessie Wallis Warfield) と名のっていたこの女性の人柄と言動に、尊敬すべき点を見出しにくいことである。
 王太子以外の複数の男性との同時並行的な関係は噂に過ぎないものだったとしても、下心の見え透いたヒトラーの厚遇にまんまと乗って、親ナチス的な姿勢を英独開戦後にまで取り続けた事実、あからさまな人種差別的態度、戦時下にも華美な生活と浪費を控えようとしなかったことなど、王室関係者でなくとも受け容れがたい事情は多々あったようなのだ。
 それにつけても、エドワード八世/ウィンザー公の終生変わらぬ熱愛ぶりは不思議といえば不思議だが、男女のことばかりは当人以外にはわからない。「恋は思案の他」とはよく言ったものである。
 恋愛という社会的に許容された狂気が、日常の坦々たる流れに陰陽さまざまな波乱を引き起こすことは、王室・皇室から我らが巷に至るまで実例に事欠かない。その一つをここに見るという、言ってしまえばそれだけのことだけれども。

ウィンザー公爵夫人 ~ Wikipedia

Ω