2018年12月3日(月)
15年ほど前だろうか、とある特別養護老人ホームの利用者の中に、際立って洋風の居ずまいの女性があった。娘時代の様子は知る由もないが、20代でイギリス人の船長と結婚して人生の趣きが定まった。世界を股にかけ日本に落ちつくことの少ない夫とも、琴瑟相和したかどうかは知らず、一女をもうけて幸せに添い遂げた。夫をみとって後に認知症が進み入所にいたったが、その居室は調度・写真・衣類から流れる音楽まで洋一色、そもそもの顔立ちも彫りが深くて若い頃の写真は白人ハーフを思わせる風情である。
居室を出たところで「バタくさい美人さんだねえ」と言ったら、若い女性スタッフが目をパチクリさせた。
「は?バタくさい・・・ですか?」
なるほど、これもアウトでしたか。もともと語彙がレトロなところへ加齢の効果が着実に表れ、年若いスタッフと話す時には言葉の選択に注意が必要になりはじめた、そういう時期の一コマとして印象に残っている。ちなみに手許の辞書類では、
「西洋的なくさみがある」(岩波国語辞典、1963)
「西洋風(で いやみ)だ」(三省堂国語辞典 7版、2014)
本来、批判的な文脈で使うもののようだから、少々濫用だったかもしれない。ともかく辞書に載ってはいても、家庭でしか使えない言葉と思っておりましたら・・・
「胸元にクマのアップリケがついた黄色い上っ張りを着た男性が、「いらっしゃい」と威勢のいい声をあげた。がっちりした体格で、茶髪で片耳にピアス、顔立ちはバタ臭い。カウンターの上には衣類が山積みだ。」
宮部みゆき『ペテロの葬列』文春文庫版(下)P.13
もともと2010年の連載とある。「バタ臭い」が生き残っていたとは意外至極。宮部センセイも特に批判的な色彩なく使っておられるね。
この小説には11月の帰省の時に助けられた。たまった疲れでか、気管支炎めいた症状が尾を引いている。あまり難しいことの考えられない時に、このあたりがありがたい。題名の「ペテロ」云々がどういう趣向か知りたくもあった。
オチから言えば少し残念。宮部作品では『理由』と『火車』が断然好きである。本作品もさすがの構成力で、人物の描き分けや交流・錯綜も面白く、何よりたいへん勉強になる。だから不満といって特にないのだけれど、主要人物の一人がどうしても好きになれないのだ。もちろん、こちらの勝手というものである。
ただ、好きになれないこの人物の存在と挙動が、物語の隠れた経糸として周到綿密に描き込まれているのに対して、「ペテロ」に託された主題のほうは、なぜ「ペテロ」なのか「葬列」なのか、謎の解かれる部分ではしばし鮮やかな光彩を放つものの、ほぼその場限りで完結してしまい、物語全体を律するリーチの長さを与えられていない・・・でもなかったのかな。
まあ、批評するほうは気楽に何でも言えるので、何しろ大した書き手である。高齢の男性が事を起こす始まりからは、太田愛『天上の葦』と比べてみたくなったりした。女性作家らのスケールの大きさ、ただ事でない。
もうひとつあったっけな、そう『ソロモンの偽証』。何がどうソロモンなのか、また楽しみに読んでみよう。
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