散日拾遺

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穂を積む姓が南北にあり

2018-12-15 20:07:12 | 日記

2018年12月15日(土)

 教会で育った娘さんのめでたい門出当日であるが、この日は面接授業と半年前から決まっており、こればかりは致し方ない。月曜に宮益坂方向で勉強会をもち、今日はハチ公をはさんで反対側の貸しビルである。晴れ空に身を切る寒さの中、30名余の受講者の中には島根や福岡からの参加者もあり、いつもながら学生さんたちの意欲の旺盛に脱帽。

 中に昨年も福島学習センターで会った学生さんの姿があり、懐かしく会話した。姓を穂積とおっしゃるので、つい、いつもの「お名前好き」が顔を出した。

 「福島に穂積姓は多いのですか?」

 「県南に、多いみたいです。」

 広い福島を会津・中通り・浜通りと縦割りに三分することが知っているが、県北・県南という区分は盲点である。

 「なるほど。『稲穂を積む』と意味を考えれば、穂積は全国区のお名前とも思われますね。私の郷里の愛媛にも穂積姓がありますよ。面白いことに、やはり県南です。」

 「そうなんですか?」

 そうなんだな。

 日本の近現代史、とりわけ明治時代の法制度について学んだことがあれば、穂積陳重(のぶしげ)・穂積八束(やつか)の兄弟の名に聞き覚えがあるはずだ。いずれも法学博士として重きを為したが、民法起草者の一人である陳重(1855-1926)と、「民法出デテ忠孝滅ブ」の語で知られる八束(1860-1912)とでは立場にも主張にも違いがあり、これを明治20年代 - 詳しくは明治22(1889)年から明治25(1892)まで - の「民法典論争」の文脈の中で追ったなら、さぞかし勉強になることだろう。

 で、この穂積兄弟が愛媛県出身者であることが、かねがね自慢な気分であった。といっても、何度も書いているように狭いようでも愛媛は広い。穂積氏は後の児島惟謙などと同じく県南部の宇和島出身である。福島の県南と、遠く離れた南予宇和島に同じ穂積姓があることを面白く感じたが、大事なことを忘れていた。宇和島藩は伊達氏の配された土地で、当然ながら藩士の中には江戸時代初期に仙台から移ってきた人々が多く存在する。件の穂積氏もその例に属すらしく、それなら宇和島の穂積姓は東北由来として容易に説明がつく。

 ただ、学生さんの姓は濁らず「ほつみ」、いっぽう宇和島の著名氏は「ほづみ」と濁るようである。伊達の縁なら福島も県北と考えるのが自然で、「県南に多い」という情報とは一致しない。さてさてどうオチをつけたものか?

 やっぱり「おなまえ」は面白い。

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 Ω 


天空のアスパラガス

2018-12-15 07:43:11 | 日記

2018年12月14日(金)

 いやこれは、何というか・・・ほんとに自然にできたの?う~む・・・

 ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群/トルコ

 

 写真家、野町和嘉(のまち・かずよし)氏の撮影にかかる『世界遺産を訪ねて World Heritage Journey』が、今年の Canon 配給のカレンダーだった。12枚いずれも素晴らしいが、「奇観」といったら九月のこれにトドメを刺す。

 そうだ、『西遊記』の話が開始早々ほったらかしだ!

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