散日拾遺

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Le nozze di Figaro

2015-10-19 11:44:47 | 日記

2015年10月17日(土)

 歌劇は『フィガロの結婚』、これは文句なく楽しかった。この序曲を初めて聞いたのは小4の時で、内中原小学校が昭和41年の松江市内の音楽コンクールで銀賞になった時、優勝校が演奏したのがそれだった。優勝校の名前は忘れたが、太田定明先生のバイオリン教室で同門だった小野さんと栂(とが)さんがメンバーにあり、この人たちの確かな演奏のおかげでテンポの速いあの序曲が見事こなせたのである。こちらは確か、『水上の音楽』だったかな。

 4幕ものの全体を通して聞くのが、実は初めてだった。ただ、これも30年近く前に映画『アマデウス』を見たとき、サリエリの葛藤を決定的に深めるきっかけとしてこの作品が扱われ、むしろそのことが印象に残っていた。そのためクライマックスについては、少々勘違いをしていたらしい。ビデオ版の字幕でサリエリの語るところは、「大団円間近の場面で、伯爵夫人は小間使いに変奏して夫の逢い引きの場に出かけ、年来聞くことのなかった夫の愛の言葉を身代わりとして聞き、涙にくれる」という風に読めた。僕の記憶違いかもしれないが、それならそれで捨てたものではない。これほど痛ましく、しかも甘美な涙があるだろうかと思われる。

 実際は少しだけ違っていて、伯爵夫人の涙はさほどの注目を与えられずに場面が展開する。ここに巧みな鏡像関係があって、伯爵は夫人とフィガロが逢い引きしていると思い込み復讐の怒りで一杯になるのだが、夫人と見えたのが実は衣装を取り替えたフィガロの新妻スザンナ、つまり自分が誘惑しようとしていた「小間使い」であることを知る。そのとき伯爵は自分の企ての愚かしさと罪深さを思い知り、伯爵夫人に赦しを請う。

 "Contessa, perdono"

 寛容なる伯爵夫人が、赦しを与える。

 "Dico di si."

 悔い改めと赦しが大団円を飾る、この場面を指してサリエリが「赦しが満場を満たす」と悔しながらに絶賛したのだ。これで腑に落ちました。

***

 何でと訊かれると困るが、好きなオペラを挙げろと言われたらワーグナーものは番外の別格として(好きかどうかは微妙だが別格の凄まじさで、学生時代むやみに聞いた)、『カルメン』と『フィガロ』が外せない。

 『フィガロ』の原作と台本にも敬意を表する必要がある。

 原作はボーマルシェ(Beaumarchais)こと本名ピエール=オーギュスタン・カロン(Pierre-Augustin Caron)の戯曲『たわけた一日、あるいはフィガロの結婚』。彼は『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』『罪ある母』のフィガロ三部作で有名なんだそうだ。イタリア語の台本を書いたのはロレンツォ・ダ・ポンテとある。

 音楽は聴くものだ。

  


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