散日拾遺

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コヘレトって何?

2015-07-19 17:58:46 | 日記

2015年7月19日(日)

 ついでに書き留めておこう。少し前のT先生からの御質問と、それにまつわる調べ物のこと。

 

7月9日(木)の来信:

 出典は聖書だと思います。アルファベットの文字は、ラテン系と少し違います。

Job 3:3, Ecclesiastes 3:20, 12:7-8

 最初の部分はヨブ記だと見当をつけました。その箇所にそれらしい文を見つけました。後半が日本語訳では、何でしょうか。ごぞんじでしたら、ご教示ください。

 

同日のお返事:

 Ecclesiastes は旧約聖書の「箴言」と「雅歌」にはさまれた位置にあるもので、文語訳聖書や口語訳聖書では「伝道(者)の書」と訳されていましたが、新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」と題されています。

 

(すべては空しく、)すべてはひとつのところに行く。

すべては塵から成った。

すべては塵に返る。

(3章20節)

 

塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。

なんと空しいことか、とコヘレトは言う。

すべては空しい、と。

(12章7-8節)

 

 ヨブ記3章3節、「わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も」と内容的にも通うでしょうか。

 コヘレトのキーワードは「空しさ」であるようですが、一方で

「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ」(12:1)

「神のなさることは、すべてその時にかなって美しい」(3:17)

といった麗しい言葉でも知られています。(いずれも最近の訳では言葉が変わり、インパクトが薄れています。)

 

 ラテン系と少し違うアルファベットとは、ギリシア・アルファベットのことかと思われます。旧約聖書はヘブル語で記されましたが、後世のギリシア語訳(いわゆる七十人訳)でヘレニズム世界に広がりましたので、それを御覧になっているのかもしれません。

***

 かねがね訝っていたのは、Ecclesiastes という言葉である。明らかに ecclesia > εκκλησια (教会)の派生語で、会衆 congregation ぐらいの意味をもつのだと思うが、「伝道(者)」とか「コヘレト」とかは何のことだ?

 この際に少しだけ調べてみて、確認したのは「ヘブル語が分からないとダメ~」ということである。あれは右から書くという恐ろしい不便もあるのでアルファベット/カナ表記で代用しておくと、

 ヘブル語に「カーハール qahal」という言葉があり、これが assembly(教会の「会衆」、congregation と大同小異)にあたる言葉である。その派生語が「コヘレト qoheleth」で、preacher(説教者)というほどの意味があるんだそうだ。要するに「カーハール」において語る者といった意味か。これを Ecclesiastes と訳したのは、推測通り七十人訳。この語尾は複数形のようにも見えるけれど、「新英和大辞典」(研究社)第6版に a menber of the ECCLESIA とあるので信用しておく。

 

 「ある教会人のつぶやき」、そんな感じかな。「伝道の書」とかって、ちょっと違うでしょう。ともかく聖書にこういう文書が入っているのがほんとに面白いのだ。「雅歌」なんて、びっくりするぐらい艶っぽいんだからね。


二つの癒やしは並行箇所? ~ 「高官の息子」と「百卒長の僕」

2015-07-19 16:27:37 | 日記

2015年7月19日(日)

 今朝は小学科で「役人の息子の癒やし」の話をした。ヨハネ福音書、4章43-54節である。

 引証によればこの箇所は、「百人隊長の僕の癒やし」(マタイ8:5-13、ルカ7:1-10)の並行箇所とされる。そう言われてみて、以前から何だかもやもやしていたような気がしてくる。実は気がついてもいなかったんだろうが。

 並行箇所というけれど、両者の間にはいくつかはっきりした違いがある。マタイ/ルカの方はいわゆるQ資料から採取された素材だろうか、主人公は百人隊長(百卒長という昔の訳の方がよかった)すなわちローマの軍人で、政治的には優位に立つ支配者の一員であるけれども、聖書の神への信仰においては品下れる異邦人である。前者よりも後者を優先する驚くべき弁えが、有名な言葉の背景にある。

 「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすればわたしの僕はいやされます。」(マタイ8:8)

 「わたしは権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」(マタイ8:9)

 後者の助詞を二カ所、微妙に変えておいた。ずいぶん早い時期、教会通いなど考えもしなかった幼年期から、なぜか強く意識してきた下りである。百卒長の潔さ、あるいは真の権威感覚とでもいうものだろうか。部下が上官の命に従うのはもっぱら力関係によるもので、世俗的・物理的であるがそれだけに現実には逆らえない強い拘束力をもつ。軍隊での抗命は、軍法会議を経て極刑に直結するものだ。この異邦人は、目に見えもしない神の権威を彼の知悉する軍律のアナロジーで受けとめる。あるいはそれが彼の知る唯一の「権威」イメージだったかも知れず、その理解は素朴にして揺るぎがない。そのような絶対の権威のもとに自分が生かされており、その権威のうちにイエスと出会っていることを彼は明言する。イエスが手放しで褒めるのも当然だ。

 「(皆に)はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。(中略)帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。

 「これほどの信仰を見たことがない」と言うけれども、対比しうるものはたぶんいくつかある。主の衣に触れさえすれば癒やしていただけると信じた長血患いの女(マタイ9章、マルコ5章、ルカ8章)、「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と言ったカナンの女(マタイ15章、マルコ7章)、特に後者は異邦人の信仰というテーマにおいて、百卒長の物語と共通するものがある。

***

 ヨハネに記された「役人の息子の癒やし」では、この「異邦人」性は少なくとも表には出ていない。新共同訳が「王の役人」としているので、この王とは一体誰か、「ヘロデ」同様イドマヤ系の異邦人の王であり、従ってその役人も異邦人ではあるまいかと一瞬深読みしたが、その原語 βασιλικος という一語で「廷臣」「侍従」というほどの意味だから、さしあたり「高官」という以上の情報をもたらさない。

 さらに、この高官は百卒長のように「言葉だけ」を求めたのではなく、「カファルナウムに下ってきて」息子を癒やしてくれるよう懇請している。イエスの癒やしの力に望みをかけてはいるが、言葉の力だけで遠隔的に治癒が為されるとは思っていないのである。これに対して「帰りなさい πορευου」というイエスの言葉(ヨハネ4:50)は、百卒長に対する「帰りなさい υπαγε」と違って、さしあたり拒絶的に聞こえる。「これほど頼んでも来てくれないのか」という失望が当然あり、「あなたの息子は生きる」という約束との間でひどく揺さぶられながら、高官は帰途をたどったはずである。

 イエスは高官に対して、百卒長や女たちに言ったように「あなたが信じたとおりになるように/あなたの信仰があなたを救った」とは言わない。高官は強く願い、期待してはいるが、まだ信じていない。あるいは自分が何を信じようとしているか知らない。だからこそこの物語が貴い。あらかじめ存在した信仰に主が応えたのではなく、主とのやりとりの中で信仰が起こされているからである。

 さらにこだわって、πορευομαι 「旅を続ける、立ち去る」とυάγω 「引き返す、帰る」の使い分けに意味を見出したい気がする。高官に対して「帰りなさい πορευου」と告げられたその場所は、周囲を奇跡めあての物見高い群衆が埋めていた。「このような場を立ち退いて、信仰の場に進みなさい」と戒められたのではないか。いっぽうの百卒長には「現にあなたの生活する、その信仰の場に帰りなさい」と勧められた、そういうことではあるまいかと思う。僕のギリシア語の能力 では確信がもてないけれど。

***

 二つの物語を並行箇所として見ることは自由だが、それは解釈に属する。高官の物語と百卒長の物語、二つの出会いがそれぞれ別々に存在したのではないかというのが、今日の僕の感想ということになる・・・のかな。


本のツボ ~ 『人びとはなぜ満州へ渡ったのか』

2015-07-19 06:52:56 | 日記

2015年7月19日(日)

 著者に聞きたい本のツボ。

 小林信介 『人びとはなぜ満州へ渡ったのか―長野県の社会運動と移民 (金沢大学人間社会研究叢書)  』

 「なぜ」という問への半可通の答えとして、「日本国内の農村窮乏への対策」という言葉が浮かぶとするなら、「そうではなかった」というのが著者の基本的な主張であるらしい。

 昭和恐慌下に日本の農村が塗炭の苦しみを舐めたのはまぎれもない事実だが、そのピークは1934(昭和9)年であった。満蒙開拓団への勧誘と応募が盛んになるのはその数年後からで、既に国内の農村の状況は回復に向かい、むしろ人手がほしい時期に来ていた。そのことだけを考えても話が合わない。

 転換のきっかけを為したのは1936(昭和11)年の二・二六事件で、満州への移民に反対していた高橋是清蔵相が殺害されたために歯止めがかからなくなったという。二・二六の青年将校たちは、少なくとも主観的には農村の復興をひとつの念願として挙に至ったと考えられるから、その後の満蒙開拓団の悲惨な運命を考えると何ともいえない気持ちがする。まさに、地獄へ至る道は善意で敷きつめられている。

 長野県は満州移民の推進に最も熱心な県であったらしく、その事情がまた象徴的である。さらに往時のブラジル移民などと違い、移民先の文化に適応しつつこれに影響されたハイブリッドの日系人社会を作っていくというのではなくて、のっけから「分村」が指向された。満州統治と対ソの備えのため、日本(人)の村を移出してくさびのように打ち込んでいく(これは著者ではなく僕の言葉)方式である。当然、現地の人々の反発は強く、融和は進まない。そしてソ連の参戦と関東軍の「置き逃げ」・・・

 国家というものが何なのか、いかに「責任」と無縁であるか、今この時期の戒めという意味でも好著の候補と思われる。ただ、ちょっと高いんだな、4,669円。

 パラダイム・ロストはもっと高い。とほほ・・・

 


朴葉の大きさ

2015-07-19 05:37:34 | 日記

2015年7月19日(日)

 掲載し忘れていた。前回の卒研ゼミで、長野の学生が配ってくれた朴葉餅、その大きさを示しておく。

 

 ↑ これだと大きさが分からないね。

 ↓ 美味しく平らげ、2日後に乾燥したハッパを万年筆と一緒に撮影した。

 

 以上。


2015-07-19 05:18:45 | 日記

2015年7月19日(日)

 4時50分、朝風に誘われるように目が覚めた。

 ベランダに出ると、西の空に虹。

 

 虹を見ると、きっと何かが起きる。これまでいつもそうだった。

 

 こんなふうに垂直に切り立った虹は初めてのような気がする。ヤコブの梯子を思い出した。

 さて何を企てようか。