2013年11月8日(金)
ほとんどアディクトで、更新せずに一日を終えることができなくなっている。
今日は診療日だったから振り返ればいろいろあるが、そういうことは簡単には書けない。
で、気になった言葉から。
***
〇 申し子
① 「申す」に「神仏に祈り願う」の意がある。
祈願かなって与えられた子が申し子なんだそうだ。
ハンナの切なる祈りに対して与えられたサムエルが、「申し子」の原型ということになる。
② 異能の人を、その異能の与え手の「申し子」と呼ぶ用法(ex. 天狗の申し子、箱根の山の申し子)
③ あるものごとの特性を顕著に反映する象徴的なものの意(ex. 国際化時代の申し子、IT社会の申し子)
これらは派生形。
サザンカを太陽の申し子と書いたのは、②を擬人的に転用したことになるのか。
〇 椿事(ちんじ)
ひどく珍しい事態を「椿事」と書くのはなぜだ?
本来のツクリは「春」ではなく別字であるとか、「闖事」の音韻連合だとかは、特に面白みがない。
断然イチオシは、「荘子」の大椿(だいちん)に由来するとの説だ。
大椿は古伝説上の大木である。
「上古有大椿者、以八千歳爲春、八千歳爲秋」
(荘子-内篇・逍遥遊)
鯤/鵬の同類だね。三万二千年をもって四季一巡とする、とんでもない長寿の樹だ。
この大椿が花を咲かせるぐらいに、珍しいことという意味らしい。
ところで、ツバキとサザンカの違いって説明できますか?
〇 行きつ戻りつ
特に珍しい表現でもなくて、もちろん「行ったり戻ったり」ということなんだろうが、リズムがあっていいなあと感じる。
ついでに「つ」の品詞が気になって。
やっぱり完了の助動詞「つ」なんだろうなと、大辞林を見ると
「行きつ戻りつ」は連語で、「つ」は並立助詞とある。
そうなのか・・・でも待てよ、「行き」「戻り」は動詞の連用形だろう。
そこに助詞が付くって話があるんだろうか。
そこで「日本国語大辞典」(小学館)を見ると、これは助動詞「つ」の第四の用法として「~つ、~つ」の反復を挙げている。これなら分かる。
「僧都、乗ってはおりつ、おりてはのっつ」(平家物語)
名の通った辞書の間で、こんな不一致の起きることがあるんだな。
「さしつさされつ」とか、「ためつすがめつ」とか、この型の反復には情緒のこもる場面が多く思い出される。
「とつおいつ」は「取りつ置きつ」の音便形、手に取ったり、また置いたり、心落ち着かぬ様が所作に見事に反映されている。日本語だなあ。
とどめはこれ、
「妻は夫をいたわりつ 夫は妻を慕いつつ」
逆じゃないかって?ないったら!
浪曲『壷坂霊験記』、お里・沢市の夫婦連れ、そうさ沢市は盲目なのだ。
妻は夫をいたわりつ、夫は妻を慕いつつ、頃は六月なかのころ、夏とはいえど片田舎、木立の森のいと涼し、小田の早苗も青々と、蛙のなく声ここかしこ、聞くも涙の夫婦連・・・
僕の知ってる視覚障害者の面々は、かえって晴眼の配偶者をいたわっちゃう強さをもってるけれど、それはこの際、言いっこなしだ。
ああ、遅くなった。一時間はすぐ経ってしまう。
ほとんどアディクトで、更新せずに一日を終えることができなくなっている。
今日は診療日だったから振り返ればいろいろあるが、そういうことは簡単には書けない。
で、気になった言葉から。
***
〇 申し子
① 「申す」に「神仏に祈り願う」の意がある。
祈願かなって与えられた子が申し子なんだそうだ。
ハンナの切なる祈りに対して与えられたサムエルが、「申し子」の原型ということになる。
② 異能の人を、その異能の与え手の「申し子」と呼ぶ用法(ex. 天狗の申し子、箱根の山の申し子)
③ あるものごとの特性を顕著に反映する象徴的なものの意(ex. 国際化時代の申し子、IT社会の申し子)
これらは派生形。
サザンカを太陽の申し子と書いたのは、②を擬人的に転用したことになるのか。
〇 椿事(ちんじ)
ひどく珍しい事態を「椿事」と書くのはなぜだ?
本来のツクリは「春」ではなく別字であるとか、「闖事」の音韻連合だとかは、特に面白みがない。
断然イチオシは、「荘子」の大椿(だいちん)に由来するとの説だ。
大椿は古伝説上の大木である。
「上古有大椿者、以八千歳爲春、八千歳爲秋」
(荘子-内篇・逍遥遊)
鯤/鵬の同類だね。三万二千年をもって四季一巡とする、とんでもない長寿の樹だ。
この大椿が花を咲かせるぐらいに、珍しいことという意味らしい。
ところで、ツバキとサザンカの違いって説明できますか?
〇 行きつ戻りつ
特に珍しい表現でもなくて、もちろん「行ったり戻ったり」ということなんだろうが、リズムがあっていいなあと感じる。
ついでに「つ」の品詞が気になって。
やっぱり完了の助動詞「つ」なんだろうなと、大辞林を見ると
「行きつ戻りつ」は連語で、「つ」は並立助詞とある。
そうなのか・・・でも待てよ、「行き」「戻り」は動詞の連用形だろう。
そこに助詞が付くって話があるんだろうか。
そこで「日本国語大辞典」(小学館)を見ると、これは助動詞「つ」の第四の用法として「~つ、~つ」の反復を挙げている。これなら分かる。
「僧都、乗ってはおりつ、おりてはのっつ」(平家物語)
名の通った辞書の間で、こんな不一致の起きることがあるんだな。
「さしつさされつ」とか、「ためつすがめつ」とか、この型の反復には情緒のこもる場面が多く思い出される。
「とつおいつ」は「取りつ置きつ」の音便形、手に取ったり、また置いたり、心落ち着かぬ様が所作に見事に反映されている。日本語だなあ。
とどめはこれ、
「妻は夫をいたわりつ 夫は妻を慕いつつ」
逆じゃないかって?ないったら!
浪曲『壷坂霊験記』、お里・沢市の夫婦連れ、そうさ沢市は盲目なのだ。
妻は夫をいたわりつ、夫は妻を慕いつつ、頃は六月なかのころ、夏とはいえど片田舎、木立の森のいと涼し、小田の早苗も青々と、蛙のなく声ここかしこ、聞くも涙の夫婦連・・・
僕の知ってる視覚障害者の面々は、かえって晴眼の配偶者をいたわっちゃう強さをもってるけれど、それはこの際、言いっこなしだ。
ああ、遅くなった。一時間はすぐ経ってしまう。