散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

マフラーあるいは鶴の恩返し(予告篇)

2013-11-07 21:22:19 | 日記
2013年11月7日(木)

是非とも書いておきたいことがあるのに、今日はどうにも時間がない。
今週末は多摩SCで面接授業だから、しばらく時間が取れないかもしれない。

なので、自分への備忘の意味を込めつつ、タイトルだけ記しておく。
素敵な話なんだから。
もっとも、その素敵さをブログで上手に表現できるか、自信はないけれど。

さしあたり、サザンカがあまりにきれいなので再掲する。
ピンクのサザンカもすごく美味しそうだったんだが、僕のカメラではピンクがきれいに撮れない。

サザンカは何でサザンカなんだろう?いい響きだ。
山茶花なんて、当て字に決まってる。

「葉がお茶のように飲料となることから、『山に生える茶の木』の意味である。」
(http://gogen-allguide.com/sa/sazanka.html)

ほんとか~?ウソだろ、信じないもんね。


スタンスとグリップ

2013-11-07 08:01:14 | 日記
何の話だ?

種明かしは帰京後に。飛行機おちるなよ!

以上、11月6日(水)朝 於 愛媛県松山市
以下、11月7日(木)朝 於 東京都目黒区

落ちなかったので続きが書ける。
帰途は家族連れは皆無、ビジネス関係と思しき男性たちの間に、観光帰りの人々がパラパラ混じる。窓際で隣りは空席。離陸直後にとっぷり暮れ、鎌の刃の形の上弦の三日月が見え隠れするうちに羽田に着いた。

昔、陳清波という台湾出身のプロゴルファーがいた。
もとい、今も健在で「流れるように美しいスウィング」を人々に伝えているらしい。プレーヤーとしては1960年代に活躍した人で、この人の書いた手引書が父の本棚にあったのを、たぶん中学生時代に盗み読みした。

そこに「スタンスとグリップが何より大事」と書いてあったのだ。
ふぅん、と思った。
スタンスは足もとの土台、グリップは手先の巧緻、人をピラミッドに譬えるなら「最下層の底辺と最上層の頂部が大事」と言っているらしいのが面白かった。

その後ときどき思い出すのは、何でも同じだと思うからだ。
特にスタンス、つまり足場の重要性を、わかっていても忘れやすい。
庭木の枝おろしも同じで、梯子を揺るがないように据えること、木に乗り移って伐るならなおいっそう足場を確かめること、これ以上の重要事はない。

足場だ。

枝おろしについてはもうひとつ、枝というものの特性を頭に入れておく必要がある。端的にいえば、その重さである。木というのは大した生き物で、その枝は軽々と宙に伸び上っているように見えるけれど、伐って落とすと思いがけない重量がある。

木質にもよるがノコがしっかりしているなら、伐るのは時間さえかければ誰でもできる。怖いのは、いよいよ枝が切断される瞬間である。残る皮一枚になった大枝がメリメリと沈んでいき、地面に落ちてくれればよし、どうかするとつながった樹皮を支点として大きく回転することがある。回転して勢いつけて戻ってくる大枝に直撃されたら、ひとたまりもなく宙に跳ね飛ばされる。

こういうことを頭に入れてのノコ使いが、グリップに相当すると言えば言えるかな。ちょっと無理があるかしら。

足場の重要性は簡明にして枢要だが、それで人生の足場って何だ?
それが「信仰」だと聖書は言うのである。

これは信徒だけの関心事では済まない。
世間向けにどんな言葉で言い換えても構わないが、要するに世界と宇宙の中で、自分がどういう足場に立っているかということだ。
人生のスタンスである。

ところで、このことを「霊的次元」というような言葉で表すと、土台というよりはピラミッドのてっぺんのあたりのようにイメージされる。
それで良いのか良くないのか、締切遅れの原稿を書きながら悩んでいるというわけだ。

お仕事ですよ。

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追伸:

剪定機のビューティフルな仕上がり、伐った竹の山、和菓子のようなサザンカなど、写真を載っけておくので当該箇所を御覧じませ。
(前者:田園日記その3、後二者:田園日記その4)