散日拾遺

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田園日記 その3

2013-11-04 22:41:48 | 日記
2013年11月4日(月)

 赤き林檎青き林檎や卓の上 (子規)

愛媛新聞一面のコラム、三大紙の『天声人語』『編集手帖』『余録』に相当する欄は『地軸』という。
いいネーミングだが、書く方も覚悟が要りそうだ。地軸がブレたら話にならないもんな。

『地軸』だけでなく、紙面全体に当然ながらローカル色がある。
8月に他界した塔和子さん ~ ハンセン病の詩人 ~ を偲ぶ会が、大島青松園で行われたと。前にも書いたが、西予市の出身だったのだ。
文化の日にふさわしい営みだったろう。

***

昨夜も7時間半ぐっすり眠って、頭の底が抜けたような気がする。
睡眠90分サイクル説には機会ある毎に言及し、「できれば5サイクル、少なくとも4サイクル」と話すのだが、自分は最近4サイクル未満で「年を取るのも悪いことばかりではない、若いときほど寝なくて良い」とか言ってたのだが、笑っちゃう。日中あまりに眠くて、睡眠時無呼吸かと疑うほどだったんだから。
夜ちゃんと寝ないと話にならない。今日ならちゃんと原稿が書ける気がするが、雨が上がったから外回りからだ。

夜半、用足しに目覚めた時、離れたところでゴトゴト音がするので、てっきりネズミと思って確かめに行った。たかがネズミでも夜間に音がするのはけっこう恐いもので、太古の祖先の恐れをなぞる気がする。
おそるおそる覗き込むと、ネズミではなくて母だった。ネズミは彼女の干支である。やはり用足しに起きたついでに、洗面所で小かたづけをしていたのだ。
「頭の黒いネズミ」なんてのは、こんな状況から生まれた表現かな。
「頭の白いネズミ」だね。

***

心理臨床における治療効果が、技法よりも治療要因に強く影響されるということは、クチブエ君から繰り返し教わっている。
中でも、モデルとしての治療者を「取り込む」ということには、かなり大きな意義があるんじゃないか。

このプロセスには、どのくらいの時間がかかるものだろうかと考えたりする。
むろん病態水準や症状の重さによって相当のバラツキがあろうし、治療者の何をどこまで取り込むかもさまざだろうけれど。
取り込んで元気になれるなら、さっさと取り込みなよ、と言いたいことが最近また多いのだ。

自分は誰をどの程度取り込んできたのか、そのうちゆっくり考えてみよう。
やみくもに食べ過ぎて消化不良だったかもしれない。
食べすぎたものを吐き出すことは極力せず、それで一時は肥満だった・・・ほんとかな?

あ、陽が差してきた!

*****

電機屋さんのおばあちゃんの葬儀に両親が出かけ、この午前は留守番待機である。
天井裏でネズミの足音、愛媛新聞の集金、あとは静かでうららかな田舎の午前。

出がけに車のキーが見当たらず、探し回ることがあった。
父は周到な性格で、今朝も携行品を小さな手提げバッグに入れて前の間に置いていたのだが、その中に入れたはずのキーが見当たらないという。

僕も捜索に参加、バッグの置かれた位置と門前の車との間を、父が移動したと思われる動線に沿って確認していった。ほどなく発見、玄関前の椅子の背に庭仕事用のジャンパーがかけてある、そのポケットから出てきた。朝の支度の後、ジャンパーをひっかけて車まで往復した際にポケットに残したもので、よくあるパターンだ。

面白いというのはここである。僕は幼少時からうっかり者で、「どこに置いたかわからない」ことはよくあったし、今もよくある。そんな時、幼少期には僕より先に母が見つけたし、今は探していると言わない先から家人が見つけてしまう。ありがたいのと悔しいのと半々で、ともかく自分が見つける立場に回ることはついぞなかった。そういう意味で、これは記念すべき朝である。

手法としては単純で、当人がその時間帯にとっていた行動を推定し、その足取りに沿ってこまめにチェックしていくだけである。ただ、当人は慌てていて作業を落ち着いて行うことができないから、岡目八目、周囲のほうが有利なのである。しかし言うは易く、行うは難い。かつ、ここで要求されるのは一種の共感的理解の能力だから、この種の捜し物がうまい人は大いに自信をもってよいと思う。

何の「自信」かって?
EQかな、やっぱり。

***

午後からは、母屋から300mほど離れた3段ほどの小果樹林で草刈り。
農作業は雑草との戦いで、殊に父は除草剤を使わないから骨が折れる。
こればかりは機械の力を借りなければどうにもならない。

1m半ほどのパイプの先端に回転式の歯が取り付けられ、反対端にエンジンが付いている。小さいけれど2サイクルの立派なガソリンエンジンで、なかなかのスグレモノだ。供給元は事実上一社だけなのかな、このエンジンの「秘密」解明に特化した web site まであって、ちょっとした都市/農村伝説の香りがする。

数年前まで僕は草刈り機が苦手だった。尖端恐怖だもの、二枚刃のでっかいプロペラが高速回転するなんて、恐くて仕方ない。その後、回転円盤式に変わってから、ようやく安心して使えるようになった。例によって、たかが草刈りにもいろんなコツがあり、注意がある。機械にだんだん愛着が湧いてくる。

栗の大枝が草の中に埋もれて潜み、回転する刃が当たって金属音を立てる。夏に次男が、祖父を手伝って切り落としたものだ。
夏の草刈りは重労働、この時期は暑からず寒からず快適である。
一時間ほどで栗、ミカン、レモンなどの足もとがきれいになった。
刈った草がドーナツ状に積み上がって樹々を取り巻いている。

日没と競争で、今度は通販で買っておいた電動の剪定機を使ってみる。
釣り具の宣伝で聞き覚えのあるメーカーが作っているが、構造はシェーバーの際ぞりを20倍に拡大したようなものだ。その切れ味のいいのに驚いた。
これなら作業時間は10分の1だし、だいいち樹冠がきれいにまとまる。

唯一の心配は切れ味の良い作用点が手に近すぎることで、尖端恐怖が常に刺激されて落ち着かない。
それにしても良い物ができたものだ。