散日拾遺

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土日の記録: 入試面接/礼拝説教と午後の交わり/マリアンヌ

2013-11-24 20:00:26 | 日記
2013年11月23日(土)

 大学院の入試面接、相棒のT教授と二人で合計24名の志願者との面接にあたった。

 これも面接なら、診察室で患者さんと対面するのも面接。この二種類の面接に、当然ながら共通点と相違点がある。
 いちばんの共通点は、どちらにおいても共感的理解が必須の手法となることか。サリヴァンが『精神医学的面接』の中で、同著の内容はおよそすべての「面接」に応用できると説いたのは、要するにこのことだ。
 最大の相違点は、診療としての面接では相手の(=患者さんの)良いところ・できている部分を拾い出すことに過半の努力を傾注するのに対し、入試面接では相手の(=志願者の)過剰や不足に応分の注意を払って差別化を図らねばならないところにある。診療では基本的にすべての相手を拾おうとし、入試では少なくとも定数外の相手を落とさねばならないと言い換えても良い。
 僕は精神科医がもともとの身上で大学教員は後から付け足したものであり、性格的なものも手伝って医者根性が身に染みついているから、入試面接は何度やっても苦手である。なぜ苦手であるかがよく分かるだけに、なおさらしんどい。一日診療にあたった後は心地よい疲労があるのと対照的に、入試面接の晩は気持ちの底からくたくたになるのも、この違いに関連している。人柄の良さや熱意を重々評価しながら、大学院生の選抜という観点からは落とさざるを得なかった志願者達の顔が、帰りの電車の中でちらちらする。
 面接最初の数分で「この人はとれない」と確信した場合、残りの時間でできるだけの配慮をするよう心がけもする。この場合の配慮の要点は、後から振り返ってナゼ自分が不合格だったか志願者自身が思い当たれるようにすることで、そのためには決定的に「できていない」部分を相応しい表現で指摘せねばならない。詳しくは書けないが、それ自体は社会的意義のある貴い志であっても、大学院の修士課程における「研究」として実施するには不適切な企てを、特に高齢や闘病中の志願者がひたむきな熱意で提示してくる際は、殊に心が痛んで止まない。手続きを整えて試験場まで足を運ぶだけでも、どれほどか難儀であったろうに。
 入試面接が悪夢の記憶になることだけは、何とか避けたいものだけれど。


2013年11月24日(日)

 命の洗濯という言葉は、まだ生きているのかな。僕らにとっての日曜日の午前中は、まさしくそういったもので。
 M牧師のマタイ福音書連続講解、今朝の3章13~17節はイエスがヨルダン川でヨハネから洗礼を受ける場面。ヨハネが「私こそあなたから洗礼を授けられるべきなのに」と固辞するのを、イエスが「今はこのように」と強いて膝を折るくだりだ。

 この場面、新共同訳でヨハネが「思いとどまらせようとして」と記された箇所の原語は διεκωλυεν、「妨げる」の強意をあらわす動詞 διακωλυω の未完了過去である。ヨハネが「思いとどまらせようとし」たのは特定時点における動作なのだからアオリスト(不定過去)なら普通で、そこに未完了過去が用いられるのは「何度も繰り返し」の意味がこめられている。δια という強勢の接頭辞に加えて活用形でも強意が示される。
 これを汲んで新改訳は「そうさせまいとして」、塚本訳は「しきりに辞退し」と訳に工夫を凝らしていると、M師の精緻な解説。
 しかしそれを押してイエスはヨハネから洗礼を受ける。より具体的に描写するなら、ヨハネから洗礼を受けようとする人々の列に加わり、おとなしく順番を待ったのだ。これをM師は若い日に知人の結婚披露宴に出席なさった際、招待客のひとりであるやんごとなき方が会場に到着するや、周囲がこぞって道を開き順を飛ばして先頭へ送った風景と比較される。
 イエスは我らと同じく、忍耐強く順番を待った。職人の町ナザレで、父の跡を継いで大工稼業にいそしんで齢30に達した彼の公生涯の、これが出発点であった。

 ヨルダン川から上がったイエスの頭上に「聖霊が鳩のように」下ってくる。上がるイエスと下る聖霊、原語では αναβαινω と καταβαινω という一対の動詞が垂直方向の会合をダイナミックに描いている。そこに天から響く声あり、「これは私の愛する子、私の心に適う者」と告げる。詩編第2編が本歌だそうである。
 「心に適う」の原語 ευδοκησα が今度は不可思議にもアオリスト、これは「超時間不定過去」と称する特殊用法で、「永遠から永遠にわたって御心に適う」の意味だそうだ。

 「死に向かって下っていくのではない、日々くりかえし新生されるのである」とM師。一度本物を見たいとおっしゃる『キリストの洗礼』の画像を貼りつけておく。ヴェロッキオ、ダ・ヴィンチその他の合作とされ、1472-75年頃の作とあるから本邦では応仁の乱の最中だ。

 
(所蔵 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)、Wikipedia より)

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 午後は樫ノ木会(壮年会)・いずみ会(婦人会)のお招きで、死生学について話をさせてもらった。40人ほども集まった顔ぶれは、皆親しく懐かしい兄貴・姉貴達である。
 予想通り、質疑応答の中でいろいろと教わるところがあった。
 宗教学者のH兄からはいくつもの細やかなコメント、筋金入りの企業人であったM兄からは、転身された際の思いがけない御苦労の話を聞く。厚労省の中枢にあって勤労者のメンタルヘルス問題に心を砕かれたW兄からは、今日の職場が働く者を育てる機能を失ったことを何より憂慮するとの指摘あり。御自身のことについて、「人生のロスタイムを毎日感謝して受けとっています」ともおっしゃった。
 「人生のロスタイム」、8年前に召されたI兄の言葉だそうである。

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 火曜日にもうひとつ講演仕事を残し、あと一息で秋の信じがたい繁忙を乗り切るところまで来ている。夜はもう頭が働こうとしないので、水曜日にCATの皆からプレゼントされた『わが青春のマリアンヌ』フランス版を見た。
 
 「いま君に必要なのは、自信と希望だ。」

 40年間、折りに触れて繰り返し思い出したその部分は、

 「いまは、信頼と希望の言葉を語ろう」

 と訳され、それらしいフランス語が僕の耳にも余韻を残した。
 微妙ながらはっきりした違いがそこにある。ある事情から、自分の記憶違いではないと僕は断言できる。とすれば、当時の字幕にある種の誤りがあったのだ。珍しくもないことだし、それでかまわない。否、むしろそれで良い。少なくともこのことについては。あるいはまた、「記憶違いではない」という自分の主張が間違いであったとしても、それはそれでかまわないのである。

 ロマンチック・ホラーなどとも呼ぶそうだが、くだらない形容だ。むろん全体はきわめて幻想的で象徴的である。場面や出来事の「意味」について、家人らととりとめなく話した。
 寄宿生仲間の「不良」グループが、幽霊屋敷からの手紙を先に手に入れ、主人公には渡さず盗み読みして捨てる。去って行く主人公が、そのことへの攻撃に向かわない不思議を家人が指摘した。
 しばらく考えてみるに・・・
 寄宿生徒全体の集合的な意識を、一個の「自我」と捉えたらどうだろうか。マリアンヌの手紙は欲動を刺激し、その充足に走ろうとするヴァンサンと同時に、これを「裏切り」として禁圧しようとする「不良」(彼らが優等生ではなく、不良 ~ 可愛いものだが ~ であることも面白い。不良はしばしば優等生よりもはるかに柔軟かつ誠実に現実に適応する)もまた、「自我」の一部分でなくてはならない。主人公は実はヴァンサン個人ではなく、ヴァンサンを迎えまた送り出す寄宿生徒らの全体なのだろう。『風の又三郎』の真の主人公は誰か、と考えることに似ている。
 ともかく精神分析ないし深層心理学的な茶飲み話には格好の題材で、それにしてもナゼこの作品が40年にわたって古びることなく自分のうちにあったのか、不思議といえば不思議である。人は成長し退行するが、ある面では変わらない。その変わらない層に打ち込まれた楔なんだろうな。40年前より少しだけフランス語が分かるのが、掛け値なしに嬉しかった。

 約束の能書きはあらためて垂れるとして、ドイツ語版では気づかなかった小さな仕掛けをひとつ。
 ヴァンサンが城にやって来たとき、校長先生に「ムシュー・プロフェセール」と呼びかけると、「ムシューは要らん、ただプロフェセールで良い」と校長が返事する。むろん、少年に対する親しみの表現である。
 けれどもヴァンサンが去って行くとき、同じ校長が少年に対して「オルヴワール・ムシュー」と呼びかけているのだ。相手を少年/生徒としてではなく、一成人として遇する挨拶である。少年としてやってきたものが、マリアンヌ体験を経て一段成長し、成人として旅立っていくことを認めた校長のまなざしがそこに感じられる。

 それにしても、字幕とは実に実に限界のあるものだ。母と将来の義父が待つチューリッヒではなく、別の場所へ向かおうとしているヴァンサンに「どこへ行くのだ?」と校長が尋ねたとき、ヴァンサンの答は「a Pavlo, a Marianne パヴロのところへ、マリアンヌのところへ」だった。それが字幕には表れない。象徴としてきわめて重要な意味をもつ「パヴロ」は、ここだけでなく全編を通して何度も字幕から省略されている。
 アルゼンチンのパンパで荒馬を乗りこなし、その父が雪山で凍死したとされる若者パヴロは、主人公ヴァンサンの分身に他ならない。

 CATでまた話しましょうね、重ねて、ありがとう!