日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

イスラーム圏のサンタクロース(前)・ウズベキスタン編

2005年12月24日 16時02分29秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)21日 ヤウム・サブティ(土曜日)

マドラサ(イスラム神学校)の上に突然現れたサンタクロース

 「イスラーム世界」や「イスラーム圏」がどこを指すかという理論はさておいて(※1)、ウズベキスタンはイスラーム国である。
 イスラーム諸国会議機構に加盟していることだし、モスクなマドラサ(現地発音ではメドレセ)もたくさんあるし。


 数年前の年末、ウズベキスタンの古都ヒヴァのパルヴァン・カリ通り(※2)を歩いていると、突然背後から


ウワァーハッハッハッ!


という笑い声が聞こえてきた。


 「む、何ヤツだ!?」と思って振り返ると、クトゥルッグ・ムラド・イナク・メドレセのベランダにサンタクロースが立っていた(冒頭の写真)。





 なぜイスラム神学校の上にサンタクロースが立っているのか? 
 よく「日本は宗教に節操の無い国だ。仏教徒なのにクリスマスするしさあ」などと自虐気味にいう人もいるが、ウズベキスタンもなかなか節操無さそうだぞ。


 よく見ると「こっちゃ来い」というような手招きをしている。
 ウズベキスタンでは果たしてそのような意味のジェスチャーなのかどうかはわからなかったが、日本式の解釈なら「こっちゃ来い」である。


 ということで、早速走り寄っていった。近くで見るとサングラスしているし、だらしなく衣装の前を全開にしているし、どうも「不良サンタ」だったようだ。


 とりあえず一緒に写真を撮ってもらった後、「アー・ユー・ムスリム?」と尋ねると、「オフ・コース!」と力強くうなづいた。


 なにがオフ・コースなんだか。その格好で「もちろん私はイスラム教徒であーる!」と主張しても何の説得力も無いぞ。


 
 しばらくしてアタ・ダルヴァザ門から城壁の外に出てみると、今度は巨大なクリスマスツリーがあり、その前で結婚式の記念撮影をしていた。


 よく見ると、式を挙げている人々はロシア人ぽい(ヒヴァでは少数派)。
 ソ連時代には、公式には宗教が禁じられていたが、キリスト教(ロシア正教)とイスラームが庶民レベルではなんとなく微妙に混じり合ったりしていたのかもしれない。


 当時ムスリムでなかった私は「そうかそうか、イスラム教の国にもサンタクロースはいるのだなあ」となんとなく自分なりに納得したのであった。 



(※1)気になる人は、『東洋叢書⑬イスラーム世界の創造』(羽田正著、東京大学出版会)でも読んでください。

(※2)ソ連のウズベク自治共和国だった時代には、「カール・マルクス通り」と呼ばれた。独立後しばらくしてから改称。

久しぶりにモスクで礼拝3連続ですっきり

2005年12月23日 23時57分22秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)20日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

東京ジャーミイのミンバル(説教壇)
 今日は、ズフル(昼)、アスル(午後)、マグリブ(夕方)と東京ジャーミイで礼拝することができた。


 普段は、昼の集団礼拝だけして、さっさと返ってしまうというパターンがほとんどだが、本日は長時間モスクにいることができた。

 
 カフェ・バグダッドの記事で知った、エジプト料理の弁当屋兼食堂の「Deli Shop UCHIMURA」でエジプト料理も食べられたし、充実した一日だった。
 ここのところ精神的にだいぶ参っていたけど(仕事のストレス)、ずいぶん気分転換になった。やはりイスラームはええのう


 イスラームの研究熱心なmomoさんが、長時間つきあってくれたことも大きなプラスだった。日がな一日イスラームの話をしているうちに、自分にとっても改めて勉強になることが多かった。


 あ、それと、「Deli Shop UCHIMURA」のエジプト人のご主人から、ある相談を受けたので、明日、それについては読者のみなさんにも相談したいと思います。


 その相談とは…さて、どんなことでしょう? 答えのわかった人はコメント欄に残してください。

ベイルートの「犬の川」で子猫にメロメロ

2005年12月22日 08時25分08秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)20日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

「犬の川(ニフル・アル・カルブ)」なのに、子猫が住んでいた。しかもかわいい。

 ベイルート郊外には「犬の川」と呼ばれる場所がある。実際に行ってみると、川は無い(近くにはあるけど)。
 昔は川だったらしい。その川岸の崖に、侵入者・征服者たちが、この土地の攻略の難しさだの、征服した記録だのを残していったため、碑文がたくさん残っている。 
 現在では、幹線道路の横っちょの崖っぷちに、それらの碑文が保存され、それ以外は舗装されている。


 たとえば、紀元前のアッシリア軍が「あー、もう、何なんだよ、ここは!? 攻めにくくてしょうがねーじゃねーか!」とか、


 ローマ時代の将軍が「ここ攻めるの大変。もう、プンプン!(さとう珠緒風)」とか、

 
 19世紀にナポレオン3世が「この土地、わしがもらったもんね」とか、とにかく、いろいろな文字でいろいろなことがごちゃごちゃ刻まれている。


 しかし、腹が痛くて、写真を撮る気力が無い。もう、観光はいいから早くトイレのある場所へ行きましょうぜ…という気持ち。


 そのとき、私の目に一筋の光が!!!!


 道路っぷちのちいさな穴から子猫がひょこひょこ顔を出したり、引っ込めたりしている。そのプリティな姿に私はのけぞった。しかも足先が白い! これは私の好きなタイプである。ひー、たまらん!!


 腹痛や観光はどこへやら、夢中で子猫の写真を撮り続けた。

 
 ということで、「犬の川」に残る碑文などの写真は一切無く、私にとってここは「猫の穴」という印象しか残っていないのである。  


さすが「中東のスイス」と呼ばれた美しさ

2005年12月21日 19時22分33秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)19日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)

青い地中海に浮かぶ「鳩の岩」。子供が飛び込んだりして遊ぶらしいが、危なすぎないか?

 いよいよ、観光も最終日だ。
 さて、レバノンでは、写真撮影ができない観光地が多い。
 レバノン国立博物館は、内戦後に建て直し、金属探知器なども完備した、大変に美しい博物館である。
 展示品も素晴らしいし、ショップも素晴らしい。しかし写真撮影はできない。それ以上に驚いたのは、トイレが無い。新しい建物なのに、なぜトイレくらい作らなかったのか? しかも、私は激しい下痢の真っ最中だというのに。
 腹が「ゴロゴロ」というサインを発するたびに、美術館を出て、近くのプレハブトイレまで行き、用が済むと半券を見せて金属探知器をくぐって再入場…ということを何回繰り返したことか。 
作れよ、トイレ!!


 さらに、ジェイダの洞窟も写真撮影禁止である。『地球の歩き方』などでは、非常に軽々しい扱いを受けているが、この洞窟は素晴らしい。
 日本でいうと、岩手県の龍泉洞がスケールアップしたような感じか?
 外のクソ暑さに比べて、ひんやり涼しいし、通路を歩いていると、遙か下方に、美しい紺碧の地底湖が見えたりする。
 ボートに乗っての地底湖探検(と言っても15分くらい)もできる。こんなに美しいのだから、写真くらい撮らせてくれればいいのに。


 などと、写真にこだわるあたり、私も立派な日本人パッケージツーリストである。美しいものは自分の心の中に刻み込めばそれでよいという境地にはまだほど遠い。
ベイルートのアメリカン大学。地中海沿いの道。

ええと、カミングアウトしときます

2005年12月20日 23時32分26秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)18日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)

 心療内科二件をハシゴしてきました。


 診断①――過度のストレスによる鬱(うつ)病。多少休養が必要――
 診断②――過度のストレスによる心因反応。至急休養に入らないと危険――

 
 やはり医師によって診断が違うところが面白いね。困ってしまうのは、YG検査や、ロールシャッハテストや、バウムテストなどをやらされること。
 勉強したことがあるから、検査の意図とか、どう答えると、どういう診断になるってわかっちゃうんだよね。余計な知識がじゃまして、正直に答えていくのがかえって難しい。ああ、やりにくい。


 ブログを前から読まれている方は気付かれていたかもしれませんが、以前に比べて、イスラーム関係の記事が激減しました。
 理由は簡単です。集中力・気力が無くなり、頭の働きも鈍り、アラビア語学習も、イスラーム学習も、クルアーン暗記も、アラビア書道もすべてストップしてしまったためです。
 仕事のストレスと過労でエネルギーが枯渇してしまったのです。


 そんな状態にありながら、こんなアホなブログを毎日更新してきたことに対しては、我ながら感心するやら、あきれるやら。ここでエネルギーをセーブしろよ! と自分でつっこんでいます。

 
 とはいえ、鬱病と言っても、種類・段階があるようで、今のところ、すべてがアウトというわけではありません。むしろPCや空手は支えになっています。
 特に、ネット上でみなさんとの交流、あるいは直接お会いすることが、大きな支えになっています(ニサぴょんと アホな 楽しいやりとりしたり、momoさんやcizmaさんとお会いしたり)。
 そして空手は30年間続けてきた(結構な年齢だとバレちゃうね)自分の原点なので、空手の稽古をしていれば多少は自分を「元の位置」に修正することができます。

 
 しかし、ある日突然、PCもイヤになって、このブログが突然消える日が来るかもしれません。その日のために一応カミングアウトしておきます。
 明日から休養期間でもありますし、このブログも気分転換&療養の一環として続けるつもりではあるんですけどね。


 真面目な人ほど鬱病にかかりやすいらしいです。今回、不幸中の幸いは、私が真面目な人間であるということが証明されたことです。いやよかった、よかった…????

職場ぼろぼろ

2005年12月19日 23時58分32秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)17日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)

 「8・2の法則」なるものがある。


 「職場の仕事の80%は20%の人間がおこなっている」ということだ。自分で言うのもなんだが、今20%の人間の側に入ってしまっている。


 でもって、どこの職場もそうかもしれないけど、やらない方の80%の中には、文句ばかりは人一倍言うけど、修正案や対案、解決策を一切提案しないという困った人がいる。
 ウチの職場の特性か、年配の人間の中に「やらずの文句垂れ」が多く、ストレスの嵐である。


 今日も私が長を務める委員会は朝っぱらから、一人のオヤジのために大荒れだった。正確には私が大荒れしてしまった。
 ヤツにはシャイターンがとりついているに違いないと堅く確信した。


 理論家で実践家なら理想的だ。だけど、自分はそこまでの器が無い。
 となれば次善の方向性として実践家をめざしたい。とにかく動かないことには仕事が前に進まないことは多い。
 理論面は、頭の良い人にお願いしたい。
 でも、屁理屈屋になった挙げ句、後ろ向きの発言を繰り返し、メンバーを混乱させるのはやめてもらいたい。全く建設的でない。
 結局、仕事への信念だとか、精神的な支柱が無いから、屁理屈で存在を示すしかないのかもしれない。
 というわけで、このブログの趣旨(あったんですか?)とは関係ないが、職場はぼろぼろだった。今日は単なる愚痴です。

夜のベイルート、コルニッシュ海岸散策

2005年12月18日 06時13分14秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)16日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)

夜のコルニッシュ海岸。背景のマクドナルドがとてもくどい。

 いよいよ中東ヘロヘロ紀行も最後の夜を迎えた。疲れと腹痛で、本当にヘロヘロである。


 でも、せっかく最後の夜なので、地元の人も集まる、コルニッシュ海岸へ繰り出す。添乗員さんを含め、7人のグループ。


 レバノンは一応、キリスト教国ということになっているためか(実際はイスラーム教徒の方が少し多い)、欧米の都市と雰囲気がほとんど変わらない。
 マクドナルドがあり、ハードロックカフェがあり、アメリカ資本のホテルが並ぶ。違うのは、内乱の傷跡が各地に残っていることだ。廃業したホテルに開いた、多くの砲弾の跡とか。


 2005年2月の、ハリリ前首相の暗殺現場も訪れた。この件については、後日改めて触れるつもりだ。


 フェニキアホテルでは、結婚披露パーティーが開かれていた。背中が大きく開いたドレスを着た女性が、男性と一緒に歩いている姿を見ると「ああ、ここはイスラーム圏ではないな。少なくともベイルートは」と感じる。


 夜遅かったので、ショップは閉まっていたが、絨毯屋さんがパンフレットを3冊くれた(全部同じもの)。オールカラーでアート紙への印刷なので、なかなか美しい。ちょっと、うれしい気分になってホテルに帰ってきた。さて、明日は帰国だ。
世界の至る所に存在するハードロックカフェ。派手にライトアップされたモスク。
屋台で売っていたパンを食べる。うまい。果物やお菓子なども海岸沿いで売っている。


「部活バトン」超ロングうざうざ回答②

2005年12月17日 14時44分53秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)15日 ヤウム・サブティ(土曜日)

 おとといの続きです。ふつう簡潔に終わらせてから次に回す「バトン」をだらだらとした回答で3回シリーズで書いています。‎



1.あなたが小中高大それぞれで所属してた部活は?


 小中学校については、おとといの記事を見てください。


☆高校☆
 生徒会副会長になったのをきっかけに生徒会活動とボランティア活動が学校生活のメインになりました。
 2年生で生徒会長になったときには、学区内の高校の生徒会を結集させて「生徒会連絡協議会」なるものを立ち上げました。未だに続いているらしいです。

 
 で、その生徒会連絡協議会で「学区内合同大文化祭」なるイベントを企画したところ、当局 県教委だか校長会だかのストップがかかりました。


 学区内の高校がすべて同じ日に文化祭をやり、市内の商店街も巻き込んでハデにやろう! というイベントだったのですが、「高校生のやる範囲を超えている」ということで没。今考えると、当たり前か…。


 あとは空手同好会を設立。

‎ ‎

☆大学☆
 空手サークル(芦原会館という団体)、手話サークル、芸能山城組。‎
最後の「芸能山城組」が何だかわからない人も多いと思う。‎
大学合格発表の日に「いろいろなことやるよ」といきなり勧誘され、よくわからないまま入会。‎
‎ 今思うと、伝統芸能の総合サークルだったようです。十割そばを水だけで打って食べたり、劇をやったり、つくば科学万博の「電々INS館」とやらで、スクリーンに映し出された高野山の坊さんと一緒に声明(しょうみょう)を唱えたり、なんだかよくわからなかったです。‎
‎ そのうち、学費と生活費捻出のためのアルバイトをしているうちに、あまり学校に行けなくなりました。うーん、本末転倒。でも親には頼りたくなかった。‎
 オヤジとけんかして家を飛び出して、大学時代はずっと一人暮らし(仕送り無し)だったので。卒業後オヤジと和解しましたけどね。







2.部活動の中で一番楽しかった嬉しかった出来事は?‎(ようやく二問目)


 「嬉しかった出来事」とはちょっと違いますが、大学の手話サークルの合宿で、夜の灯台の下で、後輩の女の子(彼女とかではない)と語り合ったことが一番印象に残っています。
 波間に月の光が揺れていて、言葉では表現できない感情がわき上がってきて、なんだか感動の涙が流れてきたなあ(遠い目)。



3.部活動の中で一番辛かった苦しかった出来事は?‎


 大学の手話サークルで、学園祭用に映画を作ることになり、なぜか「ナンパされるオカマ」という役をやらされたこと
 女装して町中でロケをしていたら、警官から職務質問は受けるわ、学校帰りの小学生集団に「わあ、変態のオカマがいる!」と言って囲まれるわで大変だった。
 挙げ句に、違法駐車している先輩の車に荷物を取りに行ったら、駐車場の地主がいて「なんだお前は!? 変態の上に、違法駐車までするんか?」と怒られ、たまたま通りかかった先ほどの警官に「また、お前か!?」とうんざりされた。
 その上、慣れないハイヒールで歩いて足くじくしね。
 それだけ苦労して出演時間10秒かいっ!?


4.この部活動をやってて良かったなーと思うことは? (人間関係的なことでもスキル・資格の話でも何でも) ‎


 ヘタだったけど、最初に就職した会社で、たまたま就職してきた聾唖者の方の手話通訳ができたこと。
 ヘタでも多少、人の役には立てたかなあ…という感じで。
 なお、手話も言葉なので、長年使わなかったらすっかり忘れました。



5.他人に自慢できるような記録・逸話は持ってる?‎


 すでに述べましたが、まとめです。
 小学校:100m走市内大会優勝
 中学校:地区の陸上競技大会で100m走4位(2回)、走り幅跳び4位、400mリレー4位。(4位ばかりで自慢できるかどうかは微妙だな…)
 高校:学区内生徒会連絡協議会設立
 大学:女装で警官から職務質問(←自慢か?)
 なんか、これだけ見ると人生下り坂みたいじゃないですか…?



6.名物顧問・名物コーチなんかいたら詳しく‎


 これまた、第1問目の中学校編で詳しく書きました。momoさんのコメントへの返信でも。
 なんだか、悪い意味で名物な人が多かったような気がする。



7.他にやりたかった部活は?‎


 中学校できちんと陸上部として活動したかった。そうなっていれば、オリンピックで日本人初の短距離走(または走り幅跳び)の金メダリストが誕生していたはず…はないね。なお、私の卒業後4年経って陸上部が作られた。



‎8.最後に、あなたにとって「部活」とは?


 別にこれと言って…。自分の中で「部活」のウェイトはあまり重くないので。



9. この人の部活話を聞いてみたいって人は?‎


 ふっふっふ、ブログ仲間たちが「まさか次は自分では…?」と戦々恐々としているかもしれないと思うと楽しい(←サディスティック)


 じゃあ、ニサぴょん(「何バトン??」のお返しじゃ!)、divaneさん(最近見てくれているかな?)、めておらさん(発表の場が難しいかな)、スマイヤさん(もう回ったっけ?)、ファーティマさん(二度目のバトンですね)、よろしくお願いします。
 「あたしゃ答えられん」という方は、替わりの方を紹介して頂けるとありがたいです。
 

 あれっ? 3回シリーズのはずが、2回で終わってしまった。相変わらずの詰めの甘さようのう、我ながら。ふぉっふぉっふぉっ!

ということで

2005年12月16日 22時08分24秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)14日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

 カンボジアに行ってきます。12月29日から1月2日までです。
 アンコールワット周辺しか行きませんけどね。


 知人に、ポル・ポト派の大虐殺から逃れて日本に帰化したカンボジア人女性がいるので、なんとなくツアーで呑気に行くのが気が引けますが、その分、きちんと歴史・文化を学びたいと思います。

本人も忘れていた「この冬、私はどこの国へ行くでしょう」クイズ・最終日

2005年12月16日 18時14分45秒 | イベント
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)14日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

 いやあ、十日ほど前に、このブログで、そんな企画を始めたことをすっかり忘れていましたぜ。今日、正解の発表日じゃないですか。


 結局「密林」「世界遺産」しかヒントを出していないのに、cizmaさん、めておらさん、ニサぴょんにあてられてしまった。


 あと数時間ほど待ちますので、気が向いたらメール(isharq@goo.jp)で答えを送ってください。住所・本名が私にバレても構わない方には、なにか適当な素晴らしい土産物を送りつけプレゼントさせていただきます。


 cizmaさんには、直接賞品を手渡したのでOKだな。
 めておらさんは住所も本名も知っているしな。
 問題はニサぴょんだな。どーする、ニサぴょん? ご住所知りませんぜ、わたくし。 え? 「正解おめでとう」という気持ちだけでいいって? さすがニサぴょん、謙虚だなあ