ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)13日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日) |
月曜日にmomoさんから「部活バトン」なるものが回ってきました。
でも、あまり部活にいい思い出無いんだよなあ…。しかも長すぎるので、3回に分けて書きます。それでも途中で飽きられる可能性大だけど。
「これは学校教育の問題を鋭くえぐった(実は単なる愚痴?)問題長編作品である」と自己暗示をかけて読んで頂けるとありがたいです。
1.あなたが小中高大それぞれで所属してた部活は?
☆小学校☆
・1~4年はクラブ無し(という学校だった)。
5~6年は陸上部(週1回)。
100mを13秒00で走って、市の小学生大会で優勝したことが記念です。走り幅跳びも6年生のときにはコンスタントに5m以上飛んでいたのですが、大会が無くて活躍できませんでした。
「よ~し! 中学校では陸上部で頑張るぞぉー!」と燃えつつ、この頃空手も町道場で始めました。
☆中学校☆
・「ええっ!? 陸上部無いんですか、この中学校?」
100m走も12秒台で走れるようになっていたし、どうしても陸上がやりたくて、市の教育委員会に相談。
私&親:「あのー、隣の中学校 (ちなみに宇宙飛行士:野口聡一さんの母校) に転校して、陸上やりたいんですけど…」
教育委員会:「学区の関係で無理です」
私&親:「でも、部活には全員入らなくちゃいけないのに、やりたいことが無いんですよ。陸上部くらい無い方がおかしいじゃないですか?」
教育委員会:「それは学校の問題なので学校で相談してください。」
ということで、学校に相談したところ、「おまえのそんなわがままで陸上部ができると思っているのか? それより他の運動部入れ」と担任はじめ、多くの先生方から、ありがたーいご指導をいただきました。
そしてめでたく生物部に入部。
なぜ運動部でないのかと言えば、「運動部男子は全員丸坊主」という決まりがあって、「そんなくだらんしきたりに従えるか、アホたれ!」という気持ちだったのです。
生物部とはいっても、活動はほとんどせず、顧問もほとんど顔を出さず、ただ夕方まで生物室にたむろしているだけ。
時間がもったいないので、生物室の中でもくもくと腕立て伏せやスクワットや空手の練習をしていました。
ときどき、気晴らしに数キロ先の田んぼまでランニングしていって、ザリガニをとってきて、石綿金網にのっけてアルコールランプで焼いて食べたりしてね。
そんなある日、大嫌いな女性体育教師から呼び出し。
「なんじゃあ?」と思いながら尋ねてみると、「地区の中学校対抗の陸上大会があるので、100m走の代表で出なさい」という命令。
なんじゃ、それ? 陸上部無いのに、学校対抗の大会のときだけ、めぼしい生徒かき集めて出場するのかい? いやらしいやっちゃなこいつら。などと、心の中で教員のみなさんを軽蔑しつつ、満面の笑顔で「出るのはいいですけど、坊主にしろとかいうなら絶対出ませんよ」とさわやかにお返事。生意気な中一である。
「むむむ、仕方あるまい」という顔をされつつも、坊主にしなくてよいという条件で出場することとなった。こうして私の生物部所属陸上選手生活がスタートしたのである。
一ヶ月ほど特訓してから出るのだが、子供が見ても練習プログラムがめちゃくちゃで、計画も調整もあったものではない。
試合の前日に100mダッシュ30本やった後に筋トレしたりね。代表選手、みんなぐったりしていますぜ、先生。
結果、第4位。小学校のときには優勝だったのに、やはり専門に練習しているやつには差をつけられてしまった。つーかオーバーワークだろ!
中二のときの担任(新卒・美術)が、大学で陸上を専門にやっていたらしく、自主トレでグラウンドを走ったりしていたので、一緒に走らせてもらうことにした。
そのうち仲間が増え7~8人で走るようになり、担任も「陸上部作るからメンバー集めろ」と言い出した。
「よし、この先生についていくぞ!」と尊敬の念で見つめる私(キラキラ)。十数人のメンバーが集まった。
数日後、担任がメンバーを集めてひとこと。
「陸上部設立は職員会議でダメになったから、おまえら解散しろ。明日からはグラウンドも走れない。他の運動部のじゃまになるから」
ガラガラと音を立てて崩れる、尊敬の念。後に聞いたところによると、くだんの女性体育教師が特に反対したらしい。
納得のいかない我々は、担任や他の教員に文句を言いまくり、だいぶ荒れた。その結果、私は両親を呼び出された。
そして担任が、私の両親にひとこと。
「子供の育て方が悪いんじゃないですか?」
23歳の独身の若造にそう言い放たれた両親は、今でも「あのときの悔しさと怒りは一生忘れない」とたまにつぶやく。父ちゃん、母ちゃん、デキの悪い息子を持ったばかりに悔しい思いをさせてゴメンよ
あの先生は、さぞかし、私とはデキの違った立派なお子様を育てあげられたことでしょう。まだ、中学校の先生やっていらっしゃるみたいですけどね。
そんなことがありながらも、中二、中三も地区対抗の陸上大会には代表選手として出続けた。唯一の文化部代表でもある。
中三のときには、100m走は11秒台で走っていたし、走り幅跳びはコンスタントに6m以上飛んでいた(練習では、当時の県の記録を軽々クリア)。
ということで、100m走、走り幅跳び、400mリレーに出場決定。
例によって前日までオーバーワーク。100mダッシュ30本、走り幅跳び60本、バトンタッチの練習20本、筋トレって尋常とは思えないんですけど。
ちゃんと大学でトレーニング理論とか勉強してきました、体育の先生?
当日は100m走と走り幅跳びに平行して出場。ああ忙しい。100m走はまた4位。走り幅跳びはいい記録のときに限ってファウル。結果的には4位。
助走の調整をする余裕も無かった。と悔しがるヒマもなくリレーのアンカーで出場。すでにふつうに歩いていても足がもつれてます、わたくし。
結果は一人に抜かれて4位。つくづく4位に縁のある男である。
こうして私の、生物部所属の陸上選手生活は終わりを告げたのでした。なお、大嫌いだった女性体育教師は、暴力的な指導がPTAなどで大問題となりクビになったようです。
で、不思議なことに高校の先生になったとか。どうなっているのか、教育界
ちなみに、遙か後の後輩に松浦亜弥がいます。彼女はマスコミで中学校についてはあまり語りたがりませんが、やはりあの中学校にはあまりいい思い出が無いんじゃないかなあ。教員がいじめを黙認していたなんて噂も聞いたけど。
先生方は私のときとは全員替わっているはずですけど、学校の体質は変わらないものかもしれませんね。
中学校時代の愚痴を言いたくなったら、いつでもおいで、あやや(来ないか)
まだ1問目の回答の途中である。長いねえ。でも「生物部所属陸上選手」になってしまった特殊な事情は書いておきたかったのです。
ここから先は徐々に短くなっていくのでご勘弁を
それじゃ続きはまた今度